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「妖の神様か、」
ぼんやりと思いながら、拝殿前から下がって何気なく辺りを見回すと、拝殿裏に広がる木々が見えた。
「…あれ?」
いつもの森と思っていたが、その木々の手前にうっすらと何かが見える。近づくとそれは、ガラスのような水面のような何か。
それは拝殿前の建物から神社を囲う塀まで、そして木々の遥か上空まで壁のようにそびえ立っている。
こんな物があれば話題になりそうなものだが、騒がれない所をみると、この壁のような物は人には見えないのだろうか。
そう考えて、駿 は包帯に巻かれた右腕に目を落とした。だとすれば、自分の中の何かが変わってしまったという事だろうか。
「…これも妖の力なのか?」
この向こうに真斗 の住む家があるというが、これはバリケードのような物だろうか。明らかに人が作った物ではない、触れるには得体が知れないので勇気が要りそうだ。
そのまますぐに踵を返そうとしたが、ある物が目に留まり足を止めた。
「…あ、」
キラリと輝く金色の髪が見えた。
あの人だ、鈴鳴 川に居た強くて綺麗な人。
それは、ユキの姿だった。
大きな木の幹に隠れていたのか、彼が居る事に今気づいた。駿は振り返り境内を見渡す。まだ真斗の姿は見えないし、ゼンも神主と会話を交わしている間に、参拝客に押しよられ人だかりが出来ている。あの人気作家だとばれたのだろう。
とりあえず、まだ時間はありそうだと確認し、再び木々へと目を向けたが、今度はユキの姿が見当たらない。
「あれ、」
さっきまでそこに居たのに。不思議に思いユキを探す事に夢中になって、気づけば透明の壁に触れていた。
「わ!」
何気なく手をついて驚いた。壁だと思っていたら手がすり抜けてしまった。まるで水に手をつけるように。しかしその先は、何が起きるわけもなく、ただ壁を通り抜けたという事実だけ。
「…なんなんだ、コレ」
不快は無いが妙だ。手を出したり引っ込めたりしていると、「キミ」と声を掛けられ、駿ははっとして顔を上げた。
そこに、ユキが居た。暗闇の中で見るのとはまた違い、陽に照らされたその髪はキラキラと輝くようだ。その髪色とはどこか不釣り合いの禰宜の姿、怖かった大きな猫のような瞳は成りを潜め、傷ついたように揺れていた。
「あの…」
「体は大丈夫なの?」
「え?は、はい」
「大丈夫じゃないでしょ」
「え?」
右腕が引かれ、駿の体が壁の内側に入る。入ってしまっても景色は何も変わらないし、体に異変もない。ただ突然、ユキが頭を下げたので戸惑った。
「え、あの、」
「キミの手をこんな目に遭わせたのは俺のせいなんだ。俺がちゃんと人と妖を見分けられなかったせいで、キミを傷つけてしまった。本当に申し訳なかった」
「や、やめて下さい、あなたのせいじゃないですよ!俺がたまたまあそこに居たから起きた事で…事故みたいなものじゃないですか。俺の不注意でもありますし、それなのに皆さん良くして下さって、本当有難いです」
「それは当然だろ、俺達は目の前に居たのに守れなかったんだから。それに、人の医者にその腕は治せないだろ」
駿は少し意外だった。初対面が穏やかなものじゃなかったせいもあるが、もっと気が強く、こうなったのは自己責任だ、くらい言われるかと思ったが、彼は見ず知らずの人間の傷を自分の事のように痛み苦しんでいる。
人と妖の見極め方は駿には分からない、だって今の彼らは人にしか見えない。だけど、見えなかった物が見える今、もしかしたら、打たれた薬のような物のせいでその境を曖昧にしてしまったのかもしれない。だとしても、彼らに落ち度はない。いくら側に居ても、蝶の存在に気づいたとしても、駿は薬を盛られていたかもしれないし、起きた事実以外は、誰にも分からないのだから。
「…俺、オカルト雑誌の仕事、嫌々やってたんです。嫌なら辞めればいいのに、やりたい事やればいいのに、そんな勇気もなくて。だから、舐めた覚悟で仕事するなって、きっと神様に怒られたんですよ」
笑って言えばユキはきょとんとした顔で駿を見つめている。その顔が可愛い、なんて言ったら怒られるだろうか。
「だから、良い機会だったと思ってるんです。皆さんは怒るかもしれませんが…俺、今、本当にやりたいと思える事に出会えました」
「本当にやりたい事?」
頷いて、カメラを握りしめる。その先を言おうとして駿はさすがに躊躇い言葉を止め、代わりの言葉を探し、包帯の腕を伸ばした。
「見えないだけで腕はありますし、皆さんが居て下さるから心強いですし、不思議な世界も、今はワクワクしています」
「…キミは凄いな」
駿の言葉にユキは感嘆の後、申し訳なさそうに笑った。
凄いのは、あなたの方だ。
駿は笑うユキを見つめて密かに思う。
今、目の前にユキが現れて一瞬にして心が決まってしまった。この人を写真に撮りたい、その気持ちは、駿の中に渦巻く戸惑いも恐怖も疑問も全て彼方へ追いやり、未来だけを示してくれる。
「必ず治す方法を見つけるから、待っていてほしい。もう、傷つけたりしないから」
負い目と後悔に歪む表情に、覚悟が見える。
例え、理解しがたいものも想像を越える状況が起きても、全て抱えて未来へ向かえる。この現状が希望に満ちているなんて、駿は不思議な気分だった。
その時の心情の名前に気づくのは、それから間もなくのこと。
駿がユキに恋に落ちた瞬間だった。
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