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つくづく人間とは単純な生き物だと、駿(しゅん)は思う。 あの出会いから、早くも三ヶ月が経った。今では駿も立派な妖通とでも言うべきか。水のような壁が人を近づけさせない結界である事も、それが人には決して見えず、人が無意識の内に結界を回避している事も、駿は人でありながらそれらを知り、そして見えている。 全ては、黒く長いグローブに覆われた、色を失った右腕のせいだ。 ユキが駿の事を人か妖か見極められなかったのも、やはり蝶に盛られた薬のような物が原因だったらしく、今でも駿からは妖の匂いがするらしい。 その蝶の妖だが、廊に入れられていたが、監視付きで釈放されたという。それというのも首謀者が捕らえられたからだ。その妖は、ゼンを陥れる為、人の世で暴動を起こしては捕まるという事を長年繰り返している集団のトップで、彼の部屋からは駿に盛ったとされる薬の器具も見つかっていた。また蝶の妖も、その妖に逆らえず駿を襲ってしまったという事らしい、今は深く反省しているらしい。 妖の世にどんな法律やルールがあるのか駿には分からないが、とりあえず首謀者である妖が捕まり、ほっとした。蝶の妖も、監視が付いていればとりあえずは大丈夫だろう、と思う。 しかし、駿の腕は今も透明のままで、ゼン達も用心深いのか、まだ駿の守りを解こうとしない。首謀者が捕まったわけだから、後は腕が治る方法を探すだけ、それなら駿を守る理由もなさそうだが、この腕が治るまでは安心出来ない何かがあるのだろうか。 だが駿は、腕が透明のままでも良いと思っている。腕の色を取り戻す方法を探してくれている皆には申し訳ないが、そう望んでしまうのは、いつだったか妖の秘密を知った人間はその記憶を消すのが通常のルールだと聞いたからだ。催眠術のようなまじないで、夢を見ていたと思わせるらしい。駿の事も本来ならそうする予定だったが、夢では誤魔化しきれない傷を負ってしまった為、記憶を持たせたまま妖の騒動に巻き込むと決めたという。 駿は黒い手を、ぎゅ、と握る。 だから、もしこの腕が治ったら、今までユキ達と過ごした記憶を失うかもしれないのだ。 「あれ、先に行ってて良いって言ったのに」 笑い声に顔を上げる。ユキが居る。この人の事を忘れてしまいたくない。駿が今の生活を望む理由は、ただその一点だ。 「せっかく迎えに来たんですから良いでしょ?」 「迎えって、すぐそこだろ」 「いつもの事だから良いじゃないですか。会えた時に捕まえておかないと、ユキさんどこかに行ってしまいますから」 「キミ、俺の事なんだと思ってるんだよ」 「あれ、一秒でも一緒に居たいって伝わってませんか?」 「残念ながらね。…キミ何か変わったよね」 「あなたに似てきたんじゃないですか?」 「それならキミはまだまだだね。落とせなきゃ口説いた内に入らないよ」 ああ言えばこう言う。ひらりとかわされる言葉のやり取りに、ならばと駿がユキの手を引こうと手を伸ばしたところ、別の手に引っ張っられよろめいてしまう。 「あなた達、先程から何の話をしているの?朝食が冷めてしまうわ」 駿の手を引いたのは小さな女の子だ。ぱっちりとした大きな瞳に小さな唇、長い髪は灰色がかっていて、淡い青色の着物を着ている。六、七才位だろうか、人であればその位の歳の子に見える。 そんな彼女の後ろには、女性が一人控えめに佇んでいる。黒いスーツを身に纏い、長い黒髪を後ろに一つ結っている。華やかな出で立ちではないのに人目を引くのは、彼女がまるで日本画から飛び出してきたような美女だからだろうか。 「ごめんごめん」 「駿はいつもユキの事ばっかりなんだから!」 少女は頬を膨らませ、ご立腹の様子だ。その様は大変愛らしいが、駿は罰が悪そうに苦笑う。ぎゅっと握る小さな手は氷を掴むように冷たいが、駿が気づかぬ振りでその手を握り返してやると、嬉しそうにはにかんだ。 彼女は人ではない。雪の国の雪女で、お姫様のアオと言う。今は王族として、人の世の暮らしを知るため社会見学に来ているといったところだ。その為、妖にとって安全な場所である鈴鳴(すずなり)神社で、駿達と共に暮らしている。 「アオ様」 後ろから声を掛ける美女も雪女で、アオの世話係のムラサキと言う。彼女達と共に過ごして数日経つが、駿はムラサキが取り乱したり表情を崩すところを見た事がない。 だが、ムラサキの視線を辿れば、彼女が言わんとする事は見えてくる。駿はそれでも、そっとアオの手を引いた。 「大丈夫ですよ、俺なら。アオちゃん、ご飯食べに行こう」 「えぇ!」 ふぅと溜め息の気配が聞こえたが、駿は気づかぬ振りで歩き出す。このやり取りは何度もしているので、駿も慣れたものだ。 「…ユキ、あなたからも何か言ってくれませんか。アオ様は力のコントロールが出来ません。本当なら、その手に触れただけでも凍えるような思いをしている筈です。あのままでは、彼が体を壊してしまいます」 しかし、切に訴えるムラサキをよそに、ユキはぼんやりと二人の背中を見つめるだけだ。 「…ユキ?」 どうかしましたか、と問われ、はっとしたようにユキはムラサキを振り返った。 「あいつは優しいからな。大丈夫、俺が後で体調見とくよ。だからあまり気にしすぎないでさ、そうでなくてもムラサキは忙しいんだから」 「私の事はいいんです。アオ様の為ならば」 「それそれ、そういうとこだって。いざって時にアオを守れなきゃ意味ないんだからさ、」 考え過ぎはよくない、と言おうとして自分自身が一つのものに捕らわれている事に気付き、思わず言葉に詰まった。 「ユキ?」 「え?あー…だからさ、肩の力抜けって話!美人が台無しだろ」 「また、あなたはそういう事を…」 ムラサキの溜め息にユキは笑い、それから何かを振り払うように駿とアオの元へ駆け寄った。

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