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「あれ?一緒に来ちゃって大丈夫だったの?」 ユキに手を引っ張っられながらやって来た駿(しゅん)に気づき、そう声を掛けたのは、白に近い灰色の髪をした男だ。スラリとした体格で、いつも洒落たスーツ姿、きっちりとした服を着ている。彼はミオ、ヤタガラスの妖だ。通常は黒い羽を持つ一族の中、ミオだけ白い羽を持つという。いつも穏やかで優しい佇まいの、キレイな青年という印象だ。 「ふふ、好奇心に勝てなかったんじゃない?ユキが焦って走ってるの見えたもん」 楽しそうに笑ってミオの後ろからひょっこり顔を覗かせたのは、ナオという猫又の妖の少年だ。小柄な少年のような姿で、シャーロックホームズに憧れ、白いワイシャツにサスペンダーを付けたチェック柄の短パンを履き、チェック柄の鹿撃帽がお気に入りだ。可愛らしい顔立ちをしている。 彼らは大体一緒に行動しており、たまに真斗(まこと)の店を手伝いに来てくれている妖というのは、彼らの事だ。 「キミは余計な事言わなくていいんだよ!」 「キャー」 「コラコラ」 ユキがナオにチョークスリーパーを仕掛け、楽しげな様子の二人をミオが窘めている。先程までの真剣な様子はどこへやら、何とも穏やかな現場だ。 「ところで、あの…何かあったんですか?」 「こいつが襲われてたらしい」 駿の疑問に答えながら、ゼンは、イタチへと視線を送った。つられるように、駿もイタチへと目を向ける。イタチの周囲には、分厚い本やら書類やらが散らばっていた。 何故イタチ、何故本が散らばっているのかと、頭にはてなマークを浮かべていた駿だが、ゼンの視線に耐え兼ねたのか、イタチは怯えきった様子で、勢いよくひれ伏した。 「すみません!皆様にご迷惑をおかけして…本当に申し訳ありません!!」 そのイタチの姿に、駿は目を見開いた。 「……な、成る程」 駿は一人呟いた。普通、イタチは人の言葉を喋らず、人のように頭を下げたりしない。これはきっと妖だ。そうかそうかと、必死に自分を納得させ、密かに騒ぎ出した心臓を落ち着かせていた。 いくら妖の存在を知っていても、喋る動物を目の当たりにするのは、なかなか慣れない。自分の中の常識と戦って勝たないといけない。そんな駿の様子にユキは苦笑い、労う様に、ぽんと肩を叩いた。 「それで、なんで襲われてたキミが謝るわけ?」 ユキに問われ、イタチはびくりと肩を震わせ視線を彷徨わせた。 「ぼ、僕が弱いので…」 「襲われた理由に心あたりは?」 「い、いえ…」 「相手もさ、わざわざこの場所で襲うには、何か理由があるんじゃない?」 するとイタチは駿を見上げ、それから俯いて首を振った。 「あ、あの、そんなに責めるように言ったら可哀想ですよ、イタチ…さんは、被害者なんですから」 駿がそう声を掛けると、ユキは暫し駿を見つめ、それから黙って駿の腕を掴んだ。 「え、どうしたんですか?」 しかし駿の問いにユキは答えず、二人のやり取りを遮るように、今度はミオが駿に声を掛けた。 「彼はヤイチ。今はうちの屋敷で研究をして貰ってるんだ」 「結界のまじないに掛かったな…掛かったのは、被害者のみか」 ゼンが前に出て、ヤイチに手をかざす。すると、ヤイチの体は光に包まれ、中から少年が現れた。茶色の長い髪のおかげで顔はよく見えないが、小柄な体格で袴姿、散らばっていた本や書類を抱え直せば、いつかの時代の書生のようだ。 「わ、」 「まじないに触れれば妖力を吸いとられ力を失う、自ら変化も出来なくなるんだ、下級の妖は特に」 驚いたのは駿のみで、ユキがそう教えてくれた。 「まじない?」 「結界は、ネズミ取りみたいなもんでさ、不法に境界を抜けようとしたり、結界を壊そうとしたりすると、まじないが作動してくれるんだ。俺達が故意に作動させる事も出来るよ」 駿の問いにユキが答えると、ミオは苦笑い肩を竦めた。 「相変わらずユキのまじないは強力だね。一度捕まっちゃったら、そこそこの奴でも抜け出せないよ。この結界があると分かってこの場所に手を出すのは、余程の間抜けか命知らずな妖だけ。人の世の妖達はこの結界の力を知ってる。境界を守ってるのが誰なのかも、勿論ね」 「ゼンを敵に回したら、生きていけないもんねー」 ミオに続いて、駿の腕を掴むユキの腕に両腕を凭れさせ、軽くぶら下がりながら、ナオが言う。 「ナオ」 「ごめんごめん」 ミオが窘めると、ナオは肩を竦めた。それからミオは、まだ蹲ったままのヤイチに合わせ膝をついた。 「…ヤイチ、君を襲った妖はどんな奴だった?」 「…す、すみません。突然だったので、よく覚えていません…」 「そうか、分かった」 「え、ちょっと、」 あっさりと納得したミオに、ユキが反論しようと身を乗り出したが、ナオがさりげなくユキの腕を掴んでそれを引き止めた。駿は、不思議そうにナオとユキを見た。何か、深掘りしてはいけない理由があるのだろうか。 「まぁ、怪我が無いなら良い。用があって来たんだろ?」 ゼンも、ヤイチにそれ以上問いただす事なく話を進めていく。ユキは口を出す代わりに駿の手を強く握った。手を握られた駿は、ユキ達の心情が分からず困惑するばかりだ。 「はい、ミオ様に頼まれていた研究の中間報告に参りました」 ヤイチが、ちら、と駿を見たが、ミオが立ち上がったので、その視線は遮られた。 「ありがとう、助かる」 「ミオが呼んだの?わざわざ?」 ユキの問いに、ミオは苦笑う。 「俺も色々忙しくてさ」 「違う違う、向こうに帰ったら、お見合い話がわんさか舞い込むからだよねー」 「こら、ナオ!俺はあの家に縛られたくないだけなんだ、今更、不必要の三男坊に何を期待してるのか、知らないけど」 「あれだけ国に貢献していれば国民はお前を支持するだろう、ヤタの国が民主主義なら、国民にトップに推されるのはお前だろうな」 淡々としたゼンの分析に、ミオはやめてやめてと首を振る。 「ミオが総理大臣なら、僕は副総理をやる!」 「それが一番恐ろしいよナオ」 はいっと挙手する手を、ミオは優しく下げさせた。 「あ、あの…それでは僕は失礼します」 賑やかになってきた主達に、ヤイチは控え目に声を掛ける。頭を下げて去ろうとするヤイチを、ミオが慌てて引き止めた。 「せっかく来たんだから、観光していかない?」 「え?」 「人の世は久々だろ?研究室に籠りきりは良くないよ。どうかな、ゼン」 「…構わない」 「え、待って待って」 ゼンの了承を得て歩き出すミオとナオ、そして二人に手を引かれるヤイチ。ユキは信じられないとばかりにゼンに詰め寄った。その手はまだ駿を掴んだままだ。 「いいの?いくらなんでも怪しいでしょ、襲った妖も誰だか分かんないとか、イタチの姿で結界に一人捕まってるとか!ミオもなんでヤイチを擁護してるの?自分の懐に入れたから?それなら、ミオには悪いけど信用出来ないよ」 「俺は、お前もミオも信じてる。だからミオに預けたんだ」 そう言ってゼンは意図的に視線を外す。つられてユキが視線を辿ると、振り返ったミオが居た。その瞳は明らかに何かを語っている。それに気付き、ユキは勢いよくゼンを振り返った。 「ゼン!何か隠して、」 しかし、振り返ったゼンは、もう桜の木の側まで歩いており、ユキはムッとして駿の手を掴んだまま歩き出した。 「ユ、ユキさん!別に引っ張らなくてもちゃんとついて行きますから!」 「良いんだ、キミはすぐ勝手に居なくなる!」 ぐ、と強く手首を掴まれ、駿は骨張ったキレイな指先からユキの気持ちを感じとる。きっと、怖いのかもしれない。また誰かを傷つけやしないかと、また誰かが人を襲わないかと、不安なのかもしれない。 そして駿は、本当にユキの気持ちを考えていなかったと気づかされる。 ゼンの元へ行ってと言ったのもそうだ、良かれと思ってやった事が、ユキを惑わせ負担を掛けている。ユキは既に割りきって自分を守る事を優先してくれているのに。 これではただの子守りだ。駄々をこねる問題児。 顔を上げれば、手を引く金色の髪の向こう、夏の空に照らされながら立派に咲き誇る桜の木。散る花びらは地面に落ちる前に、幻のように消えていく。 まるで、ユキへの思いがそこに映し出されているようで、胸の奥が軋んだ。 きっと、自分の思いなど、ユキが見上げる桜への思いの、足元にも及ばないだろうと。

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