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「駿 !起きろ、駿!」
ユキの声がして目を開ければ、目の前に美しい顔が迫り、駿は一瞬で目を覚ました。
「な、ユキさん!?」
寝坊したかと時計に目をやれば、まだ起きるには早い時間。
「ほら、起きたら早く支度してくれ。真斗 には少し遅くなってもいいように許可は取ってきたからさ」
ユキはそう言いながら、窓のカーテンを開ける。朝の日射しが目に染みて、駿は目を細めた。
鈴鳴 神社の敷地内、本殿の裏にある真斗の家は、二階建ての日本家屋。
庭に面した縁側があるが、そこの戸はよく開け放たれていて、玄関のドアも鍵が掛かっていないのがほとんどだ。結界が張ってあるので、人は近づかないし、妖も寄りつかない。なので、施錠をする時は、遠出や長時間神社から離れる時くらいだという。
駿の部屋は、二階にある。三部屋ある内の一部屋で、六畳の部屋には、ベッドに机、クローゼットと小さな棚があり、棚の中には、写真集やカメラについての本が詰め込まれていた。
因みに、ユキの部屋は隣にあり、真斗は一階の和室を自室としている。
カーテンを開けたユキは、駿の部屋だが勝手が分かっているようで、クローゼットを開け、仕事用の黒いシャツとズボンを掴むと、まだ呆けている駿に服を手渡した。
「あの、こんなに早くから何かあるんですか?俺、何も聞いてないんですけど…」
「あぁ、言ってないからな。言ったらキミ、眠れなくなるだろ?俺のこと大好きだもんな」
「…へ?」
ふふ、と笑うユキは上機嫌だ。駿が好きだと言う度、あれ程いなされていたというのに。
「あ、あの、ユキさん…?」
「さぁ、早く着替えて行こう。良い写真を撮ってくれないと困るからな」
その笑顔は、夏の朝日に照らされ、いつもより輝いて見えた。
早朝の鈴鳴神社は、参拝客の出入りも少なく、清々しい。ユキは拝殿の前に立つ。駿を朝早く起こした理由は、夏祭りの告知用の写真を撮るためだ。早朝を選んだのは、参拝客が来る前に撮らなくてはならないから。拝殿の前を陣取っては、参拝客に迷惑だろうし、逆に人を呼びすぎても困る。
ユキはいつもの袴姿のまま、念入りにストレッチをしている。その姿を見て、駿は試しにカメラを向ける。拝殿をバックにどのように撮るのが最適か、ピントを合わせカメラアングルを考え、そうしている内に、これがユキを撮れる最初で最後かもしれないと、ふと思いがよぎる。
黒いグローブをはめた右手に視線を落とす。もしこの家を出て行ったら、こんな風にユキと顔を合わせる事もなくなるだろう。
そう思えば、あんなに撮りたかったユキを前にしても、シャッターを押すのが躊躇われた。
「駿、寝ぼけてる?」
「あ、いえ!すみません」
「…どうする?先ず舞ってみせるか?それともいきなり撮ってく?」
「…そうですね、どうしようかな」
うん、と悩む素振りの駿だが、別の事を考えているのは、ユキの目には明らかだったのだろう。
こっそり仕方なさそうに溜め息を吐いたが、それでもユキの表情は軽やかだった。
「よし、先ずやるか!キミにはまだ見せてないよな?俺が初めて手にした武器なんだ、しっかり見といてよ」
「は、はい」
ユキは腰帯に差していた扇子を手に取る。そこで駿の脳裏に過るのは、ユキと初めて会った時の事。あの扇子は、風を自在に操っていた。そして、初対面のユキの冷たい眼差しを、駿は思わず、昨日の出来事と結びつけて思い返してしまい、内心怯んだ。
舞う為のスタート姿勢があるのだろう、ユキはすっと居ずまいを正し、閉じた扇子を右手で持ち、左手で下から支えるように添えた。目を閉じて一呼吸。その姿からは神聖ささえ感じられ、駿は怯えた心がどこか凪いでいくのを感じた。そしてユキの瞳がゆっくりと開かれた瞬間、ぎゅっと心を掴まれた。
閉じた扇子を薙ぎ、それが勢いよく開かれる。しかし、初めて会ったあの時のように風は起こらない。ユキは、ふ、と微笑みを浮かべた。
それからは瞬きするのも惜しかった。金色の髪が揺れ、陽に照らされ輝いている。揺れるそれは煌めきの線を描き、風だけでなく光さえ操っているようだ。しなやかな腕に軽やかなステップ、美しさにただ見惚れていれば、時折心臓を鷲掴みされるような力強い瞳に見つめられる。同時に、その動きにも力強さが盛り込まれていき、躍動としなやかで優しい表現が入り交じり、まっすぐと先を見つめる瞳が揺らがないその姿は、ただただ美しい。
木漏れ日と風の戯れに、気づけばシャッターを切っていた。
好きだ、この人が好きだ。
溢れ出す思いに、涙が零れそうだった。
「どうだった?」
舞を収め、ユキは良かっただろうと言わんばかりに聞いてくる。
「とても素敵でした。思わずシャッターを切ってしまいましたよ」
「なんだ、もう一回やってやろうかと思ったのに」
どれどれと、ユキは近づいて駿のカメラを覗き込む。それから、うん、と頷いた。
「良いじゃん!自分で言うのもなんだけど、良いタイミングで撮れてるんじゃない?神社もバッチリだし」
「…ありがとうございます」
駿は改めてカメラに目を向け、噛み締めるように言った。ユキは黙ってその横顔を見つめ、それから小さく息を吐いた。
「俺の舞いは武器なんだよ」
「はい、とてもキレイで魅入ってしまいましたよ」
「うん、そうなんだけど、そうじゃないんだよな」
「え?」
「ただの舞いじゃなくて、風の力を最大限扱えるんだ。風に術を乗せる事も出来る。昨日の、アオちゃんの氷の盾を吹き飛ばす力なんて、はっきり言って目じゃないね」
「え、でも今、何も起きてませんよ」
「力を使ってないからね。神社で何かある度に舞ってるけど、あれは単なるカモフラージュ。神様の為にそれっぽい行事を行ってないと、こんなに大きな神社なのに不自然に見えるだろ?」
「…まぁ、確かに」
頷く駿に、ユキは目を細める。
「この舞の本来の使い方は、誰かを守る為にあるんだ」
と、そんな話をしていると、参拝客の姿がちらほらと見えてきた。ユキは「こっち」と駿の手を引いて、家のある方、結界の中へ入り、桜の木の前で足を止めた。
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