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「で、この人が、その風舞 の師で、恩人で、…ずっと俺が焦がれてた人」
「え、」
駿 は驚いて桜の木を見上げる。しかしそこに人影はなく、ただの桜の木があるだけだ。
「えっと、この、桜の木が?」
「そう」
「でも、桜千 さんみたいに花は咲きませんよ?」
「はは、そっか言ってないもんな。桜千の木は、元々はただの木で、桜千の力が宿ってるから、夏でも構わず花を咲かすんだ。桜千は境界の番人だから、力は常にその木に宿ってる。術者がその場を離れても作動し続けてる結界と同じようにね。だから、桜千の実体があの木ってわけじゃなく、全く別物。あの桜の木は、道具と思って良い」
「そうだったんですか…」
「でも、桜の妖だから、一生を終えればその命は桜の木になる。ただの木だ、意識も何もない、ただの木にね」
ユキは少しだけ寂しそうに、そして、いつか見たように、愛しそうに木の幹に触れる。
駿は恥ずかしながら、ユキのその様子に胸が痛む思いを覚えつつ、再び桜の木を見上げた。
葉の隙間から、朝陽がキラキラと差し込む、優しく雄大な、立派な木だ。
「俺さ、前にも言ったけど、ゼンとリュウとは幼なじみなんだよ。ゼンが国には帰らない、王子じゃないって言い張るのは、ゼンの半妖の力のせいなんだ。ゼンは脅威だって怖がられて、命を狙われたり、まあ色々あってさ…でも、国王達は本当、いい妖達でさ。国民が何を言っても、ゼンを守り続けてる、城の皆もそう。だから、使用人の子供だった俺やリュウジも、ゼンと遊ぶ事が出来たんだ」
普通、王子様と使いの家の子供なんてなかなか会わせてくれないだろ、とユキは笑った。
「だから、ゼンを頼むよって国王にリュウと揃って言われた時は嬉しくて、二人でさ、生涯ゼンを守るんだって決めて。でも俺、腕っぷしは弱くてさ」
「え、」
思わず駿は、初対面でユキに腕を捻り上げられた事を思い出す。すると、ユキは吹き出した。
「まぁ、常人には負けないさ、リュウと比べればってこと」
その言葉に、成る程と駿は頷いた。リュウジはイケメンというだけではなく、逞しい体つきも世の女性達を虜にしているが、あの二の腕の太さは伊達ではないのだろう。
「で、術の腕を磨いて磨いて、相当技術はよくなったわけ。でも、それだけじゃ何も守れなかった。心配してついて行ったら、逆にゼンやリュウに庇われてさ。技術は身についても、使いこなせなきゃ意味がない。呪文は唱えればすぐ力が使えるわけじゃない、体に染み込ませないといけないんだ。俺はそれが下手だった、頭は良いんだけどなー」
「顔もいいし?」と、おどけて笑うユキに、幼い頃はさぞ可愛かっただろうなと、駿は思う。
「そんな時にさ、先生に会ったんだ。風舞は、先生に教わったんだ」
「どんな方だったんですか」
ユキは懐かしそうに笑み、幹に背を預け、葉桜を見上げた。
「誰にでも優しい妖だった。階級とか関係なく厳しくも出来る妖でさ、何でも知ってて教えてくれて、遊んでくれて、いつも励ましてくれた。…ちょっとキミに似てたな」
「俺?」
「キミ、何の躊躇いもなくアオちゃんの手握れるでしょ、妖だって怯むのにさ。アオちゃんの手はただの氷じゃない、妖の能力が身体中から放たれている。だから、その冷たさは相手の体に根付くんだよ」
駿は思わず自分の手を見た。正直、そこまでとは思いもよらず若干青ざめている。
「はは、大丈夫だよ。俺が、アオちゃんの力を一つずつ解いていったから。手、温めてやってただろ?」
「あれって…そういう事だったんですね…」
術を使って温めてくれていたのは分かっていたが、単純に温めていたというわけでは無かったのか。
「それなら、先に言ってくれれば…」
と言いかけ、駿は口を閉じた。それを知っていても、何も変わらなかった気がする。
「それでも、結局キミは、アオちゃんの手を自ら取りにいってたと思うけどね」
肩を竦めるユキに苦笑う。恐らく、その通りだ。
「先生がアオちゃんに会った事あるかは分からないけど、まぁ、そういう妖だった。誰かのことばかり考えて、厳しいこと言うくせに誰一人見放さないんだ。だから、巻き込んでしまった」
ユキの声色が変わり、駿は顔を上げる。
「ゼンは本当によく危ない目にあってた…まぁ、今もか。だから、よく一人で人の世に来て、俺達の目を盗んでふらふらしてた。
だから、ある妖に、ゼンがまた人の世に出掛けて行ったって聞いて、俺は人の世に行ったんだけど、それが嘘でさ。ゼンを陥れようとして、取り巻きの俺らを使おうって、それで目を付けられたのが、一番弱い俺だった。ゼンの家庭教師もやってた先生は、話を聞いてすぐに駆けつけてくれて、俺を守ってくれた。でも、その時に大きな傷を負ったんだ。慣れない土地で、結界も張らず暴れ回る妖は一人じゃない、更に足手まといの俺を庇い続けてさ。スズナリがあと一歩遅かったら…そう考えるとゾッとする」
ふぅ、とユキは一つ息を吐いて、再び葉桜を見上げる。
「先生はその傷を悪化させて、亡くなってしまった」
「それは、」
「分かってる!」
ユキは駿の声を、とっさに遮った。震える肩に、駿は声を詰まらせる。
「…分かってるよ、分かってるんだ」
吐き出された消え入りそうな声に、駿は思わず手を伸ばし、その体を抱きしめた。
いつも、目を離せばどこかへ行ってしまいそうだった、飄々として、よく笑って、楽しそうな顔の裏で、ずっと一人で抱えて耐えていたのかと思えば苦しくて。
ユキの震える心を包みたくて、でもどうしたらいいか分からなくて、ただただ力いっぱい抱きしめる駿に、ユキは大人しくされるがまま。
「俺の、せいなんだ」
「違いますよ、先生はユキさんを守りたかったんですから。そんな風に思わないで下さい」
「うん、でも、考えずにはいられない」
「ユキさん、」
「俺は、だからこそ、また守れないのは嫌なんだ。もう誰も、俺のせいで傷ついたりしてほしくないんだ」
ユキは唇を噛みしめ、駿のシャツを握りしめる。
「だから頼むよ、手の届かない所へ行かないでくれ」
駿は、え、と思わず体を起こした。抱き合ったまま、泣きそうなな顔でユキは頬を緩めるので、その顔を間近に見て、駿は思わずドキリとする。
「キミ、ここを出て行く気だっただろ?」
ギクリとした。
「見ていれば分かる、駄目だよ、側に居てくれなきゃ、キミを守れない。どこに居たって危ない事には変わりないなら、俺に守らせてほしい」
ユキはシャツを掴む手を緩め、駿から体を離すと桜を振り返り、幹に触れる。
「俺のしてしまった事は変わらないし、先生が戻って来ることも無いけど、でもだからこそ、俺は守らないといけないんだ。もう、側に居る者を失いたくない」
それからユキは、再び駿と向き合う。
「風舞は、より広範囲に術を飛ばす事も出来るんだ。俺が足さえ引っ張らなければ、先生は切り抜けられたんだ。でも、もう失敗しない、だから、ここに居てほしい。ゼンと仲間達も居る、祭りは成功させる。今回の犯人も捕まえる、だから」
お願いだ。駿の両腕を掴み、頭を下げるユキの手は少し震えていた。
「俺、ここに居て良いんですか」
ユキの腕を支えるように触れる。間近で顔を見合わせたユキは、ホッとしたように微笑んだ。
「当たり前だろ」
「ただ、」
「ただ?」
「俺も力になりたいんです、何でもいい、俺を使ってください。俺だって男ですから、好きな人を守りたいじゃないですか」
「…生意気だな、キミは」
「あなたに鍛えられましたから」
そう言って笑い合う二人を、木漏れ日が優しく照らしているようだった。
頼むよ、まるでそう囁くように。揺れる日は温かく、優しかった。
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