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ヤイチを見送ってから、駿 は真斗 と共にゼンの家を後にした。あの騒動から一ヶ月、夏の名残りはあるが、夜風は大分涼しく感じられるようになった。
駿はまだ、自分が居たいと望む日常の中にいる。
家に帰ると、縁側で寝転がっていたユキに呼び止められた。「先、風呂入るぞー」という真斗の声に返事をして、駿はユキの隣へ腰掛けた。アオとムラサキも国に戻った為、今は三人暮らしだ。
「徐々に戻っていくんだな…言われてみれば、少し色が戻ってきたか?」
色を失った肘の少し上を念入りに見つめるユキに、駿は複雑な思いを感じる。
ユキに心配を掛けるから早く治った方がいい、でも本音を言えば、もう少しこのままでいたい。たくさん危険な思いもしたが、全てはこの腕のお陰でユキに出会えたし、人生の転機もあった。
もし腕が治ったら、全てなくなるのだろうか。いつだったか、妖の事を知った人間は記憶を消すと言っていた事を思い出す。駿の場合は、記憶が消えたら説明つかない状況があったから、腕の色が消えてしまっていたから、記憶を消されなかった。
でも、この腕の色が戻ったら、体は元通りだ。そうなったら、記憶を消されてしまうのだろうか。
今の生活も妖との記憶も。
ユキへのこの思いも。
全て消されてしまうのだろうか。
「浮かない顔だな、どうした?」
ユキが顔を覗き込んできて、駿ははっとして顔を上げた。
「いえ!えっと…花火!花火しませんか?」
「は?」
「ほら、祭りでは大変な思いをしたからちゃんと見てなかったなって。腕が治ればもう、」
言いかけて、駿は先を言葉に出来ずに口を噤んだ。
「もう?なんだよ?」
「あ、いえ、その…花火買ってあったかなって、ちょっと見てきますね」
続きを言葉に出来ず、駿はやんわりとユキの手を放し、家の奥へと入って行く。縁側に取り残されたユキは避けられた手のひらを見つめ、ムッと唇を尖らせた。
手持ち花火に水を張ったバケツを用意して、庭に出た駿はユキを手招きする。ユキは仏頂面のまま縁側で胡座をかいている。
「ほらほら!花火キレイですよ!ユキさんもこっち来て!」
「…嫌だ」
「なに、拗ねてるんですか!夏の思い出作りですよ、付き合って下さいよ。今年の夏はもう終わりなんですから」
「…今年は、ね。それなら、まぁいいけど」
手持ち花火に火をつけて、勢いよく火花が散る。男二人で花火ってどうなの、等と言いつつ、少しふざけあって、凄い凄いとはしゃぎあって、気づいたら胸の内のもやも忘れ笑い合う。
月の下、花火の灯りに照らされるユキの笑顔は美しく、もっと彼を撮りたかったなと駿は思う。
どうして忘れないといけないんだろう、忘れられる筈なんてないのに。
そう思っていたら、自然と体は動いて。
「はは、結構キレイなもんだな」
そう笑いかけるユキの手を引いて、駿は彼に口づけた。
柔らかな唇を束の間触れさせて、そっと離れる。間近に香るユキが、胸を苦しくさせた。
「…何してんの、キミ」
大きな目を更に見開いたユキに、駿は愛しさと悲しさが込み上げて、頬を緩めた。
「思い出作り。全部忘れてしまうなら、忘れる前に少し付き合ってくれてもいいでしょ」
そんな風に切なげに笑う駿に、ユキは惑い、その両腕を掴んだ。
「やっぱりここを出ていくつもりなの?腕が治ったら」
「つもりも何も出て行かなきゃいけないんでしょ?」
「どうして?誰が言った?」
「誰って、」
「誰だ?駿、答えてくれ!」
「だ、だって妖の事を知ったら記憶を消すって…俺だって腕が治ったら記憶消されるんでしょ?」
戸惑いながら話す駿の踵が、カツ、とバケツに当たった。ユキは詰め寄る足を止め、眉間に皺を寄せた。
「…いつそれ言われた?」
「…えっと、…出会った頃ですけど」
「…なんだよ、もー…」
ユキは大きく溜め息を吐いて脱力した。それから掴んだ腕をするすると下りて、ぎゅっと手を握る。ユキの様子の変化に戸惑いつつも、駿はしっかりと握られた手にどきりとした。
「ここまで関わらせておいて、今更キミの記憶を消すわけないだろ?それに、キミはすっかり鈴鳴神社の顔じゃないか。商店街でも爽やかなイケメンがやってきたって評判なんだから」
怒ったように言いながら、ユキは顔を伏せる。
「真斗も店番助かってるって言ってたし、STARSでカメラの仕事もやってるじゃないか」
「見習いですけど」
「アシスタントから皆入るものだろ?妖の存在は人に知られちゃいけないのが前提だけど、妖を理解してくれる人が増えるのは、皆嬉しいんだよ。こうやって一緒に暮らしてきてさ、家族みたいなものじゃないか。それをさ…」
「ユキさん、俺がいないと寂しい?」
まさかと思い顔を覗き込もうとすれば、目が合ったユキに思い切り頭突きをされてしまった。
「いっ!」
しかし、頭突きの衝撃の後も額から温もりが離れない。同じような背丈だが、今のユキはいつもより小さく見える。伏し目がちの睫毛は長く、不機嫌な唇は小さくて可愛い。
赤い頬に触れたかったが、しっかり手を握られて叶わなかった。
「…寂しいさ、寂しいに決まってるじゃないか。いつも俺の周りうろちょろしてる奴が居なくなれば、誰だって」
「誰だって…」
「…キミはどうなんだい?やっぱり妖は恐ろしいだろ?俺達といれば、また騒動に巻き込まれないとは限らないし」
「怖くなんかないですよ。今更でしょ?それに何があっても守ってくれるじゃないですか」
「キミは独断での行動がすぎるからな」
「それは、お城のお姫様とは訳が違いますからね。俺だって男ですから」
「お人好しだしな」
「面倒ですか?」
「いや…見ていて飽きないよ」
「呆れてますか?」
「誉め言葉、半分はね」
「半分…」
「それで丁度いいんじゃないか。脆くて弱い、短い人生を懸命に生きる人の子が好きだよ。意味を求めて、迷って立ち止まって傷ついて。それでも、結果はどうあれ前を向く、キミ達の姿勢が好きだ。妖は長生きだから、怠け者が多いからね」
「俺は?」
「ん?」
「人とか関係なく、俺は?俺個人の事は?」
ユキは目を泳がせ、少し黙ったあと目を伏せると額を離し、握ったままの駿の手を引く。更に体が近づき、ユキは駿の肩に顔を寄せた。
「…来年も一緒に思い出作りしてくれるなら、教えてやらないこともないけど」
ボソッと耳元で告げられた言葉に、駿は驚き、言葉の真意を確かめようと顔を見ようとするが叶わず。見えたのは赤くなった耳元と、熱い体温。駿は触れるだけとなったユキの手から抜け出すと、その腕で彼の体を抱き寄せる。ユキの手が背中に回ると、安心と喜びで、身体中から力が抜けそうになる。
「来年も再来年も、その先も、俺はここに居ます。ユキさんの側にいます」
「…そうか」
そっと力を抜いて凭れかかる重みに愛しさが増す。
夏の終わり、二人にとっての夏の終わり、少しだけ涼しさを増した夜風が、そっと桜の木々を揺らす。葉の擦れる音は、優しく二人を包んでいるようだ。
その時、耳元で誰かの声がした。そっと、優しく、ユキの好きだった声。
大丈夫だよと、背中を押してくれる。ユキはその声に心の中で頷き、顔を上げた。
いつかの駿の鼓動が移ってしまったかのように、ユキの心臓は煩い。ドクドクと、緊張と少しの恐怖がユキを責めるが、それでも駿は、急かすでも呆れるでもなく、ただユキの言葉を待っている。
その穏やかな目が好きだ、優しい手が好きだ、誰かをいつも思う温かなキミが。
ユキは小さく息を吸って、駿の目を見つめた。
「…好きだ、キミが」
「好きだ」の三文字、たったの三文字。それが精一杯だ。
ユキが顔を赤くしたまま言えば、駿は目を丸くして。それから心底嬉しそうに微笑むので、ユキはもう堪えきれず、再びその肩に顔を伏せた。
「ユキさん、俺も、俺も大好きですよ。一緒に居ます、ここにずっと。俺の居場所は、ユキさんの隣ですから」
幸せだと思うと、胸が苦しくなるのはどうしてだろう。ぎゅうと抱きしめる腕が愛しくて、嬉しくて、涙が零れてくる。
そんなユキを抱きしめ、駿は空を仰ぐ。
ユキが抱えていたもの、怖くて踏み出せなかったもの、少しはこの腕に抱えられているだろうか。安心して寄り添えるには頼りないだろうけど、いつだって、隣にいる。
「……」
大丈夫、任せて下さい。
仰いだ空に、桜の葉が揺れる。
駿は愛しい温もりを、その涙が止まるまで抱きしめ続けた。
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