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第16話

 真夜中に目を覚ました郎威軍は、一瞬、自分の居る場所が分からなかった。  ようやく、そこが恋人の寝室であることに気付いたものの、隣にあるはずの姿が無く、急に不安になる。  あの恋人との熱い交歓は、まさか夢だったのか?  慌てて身を起こして、威軍はあれが夢では無かったことを実感した。下半身に残る鈍い倦怠感だけでなく、胸に残る赤い痕が、確かに恋人が自分を愛してくれた証として残っていた。それが嬉しくて、そして切なくて、愛しくて、すぐに自分をこんな風にした相手の存在が必要になる。手が届く場所にいて欲しかった。  その愛しい相手が、なぜ今隣に居ないのか気になって、威軍は一糸纏わぬままベッドから下りた。一度バスルームに戻って、厚手のバスローブを手にして、袖を通しながら主寝室を出てリビングに向かった。 「また…こんな…」  足を止めて、威軍は思わず苦笑した。  志津真は、リビングのソファに横になって眠っていた。  主寝室のベッドはダブルサイズだ。たとえ威軍が先に寝ていたとしても、横に滑り込んでくればいい。そのせいで威軍が目覚めたとしても、静かにしていればすぐに寝入ってしまうだろうし、目覚めてしまったとしても、もう一度バスルームでの行為の続きで眠らせてくれれば済むのに…。  それでも、志津真は威軍を起こすまいとして、こうしてリビングのソファで寝入っている。こういう優しい、可愛いところがあるのだ。  主寝室でなくても、もう一部屋小さい個室があり、そこにシングルベッドもあるのに、志津真はそこを使わない。どんなこだわりなのか威軍は知らないが、ゲスト用のベッドで1人で寝ることは、まるで威軍への裏切り行為であるかのように、志津真は思っている。  そして、加瀬志津真は、郎威軍を決して裏切らない。 (変な所で頑固なんだから…)  威軍は、呆れながらも温かい気持ちで志津真の寝顔を見詰めた。  リビングのテーブルの上には、志津真が出張に持って行ったPCや資料が乗っていた。いい加減なように見えて、ちゃんと見えない所で仕事を片付けようとしているのが、加瀬志津真らしい、と部下の郎威軍は思った。  出張で疲れているのに、恋人の淫らな要求に付き合い、ベッドまで放棄して、どこまで加瀬志津真という人間はお人好しなのか、と、威軍はもう一度笑みを浮かべて、そっとソファの側に近寄った。 (貴方が好きです…。貴方を、心から愛しています)  口には出さないものの、威軍は志津真への想いで胸をいっぱいにしていた。これほど優しく、思いやり深く、情熱的な男に愛されて威軍は幸せを噛み締めた。  初めて、加瀬志津真と会った頃、郎威軍は自暴自棄になっていた。  10代も、もうすぐ終わりを告げるというのに、威軍は誰かを愛することが出来ない自分が不安だった。しかも、これまで年齢に相応しい程度の女性への関心も無い。  認めまいとしてきたが、郎威軍青年は、自分が同性を愛する人間なのではないかと薄々感じ始めていた。  それを認めることは、威軍にとって恐怖に近かった。両親や祖母が何と思うだろう。教授でさえ一目置くほどの優秀な学生である自分を見る目は、どうなってしまうだろう。将来は、どんな風に自分に向き合って生きていけばいいのだろう。答えの無い、困難な問題ばかりを抱えて郎威軍は苦しんでいた。  長く思い悩み続けた、ある日。  ついに威軍は、一思いに答えを見つけようとした。つまり、自分が同性との性的な行為を求める存在なのかどうか、経験することで決着を得ようとしたのだ。  今から思えば、とてつもなく愚かしい考えだ。だが、当時の威軍は内に秘めた性的衝動と同性との行為が結ぶ着くことが恐ろしくもあり、苦痛でもあった。いっそ行動で確かめて、認めてしまえば楽になれると思ったのだ。  そんな心の不安定さを抱えた、世間知らずの若く美しい青年がどれほど危険な、そして惨めで哀れな存在か、その頃の郎威軍には理解できなかった。  結果、優しくされ、唆され、利用された。  その、もっとも際どい時に会ったのが、当時、日本の官僚だった加瀬志津真だったのだ。  その時に、生まれて初めて同性に触れられ、身体を開かれた威軍だった。今思えば、あれが「加瀬志津真」であって、本当に良かったと思う。  加瀬志津真に抱かれ、郎威軍は変わった。そして、元来の聡明さに目覚め、落ち着きを取り戻し、平凡な学生生活に戻ることが出来たのだから。  そして卒業後、奇跡とも思える加瀬との再会で、引き入れられて同じオフィスで働くことになったのだった。  それから、こんな風な関係になるまでは、それほど時間が掛からなかった。  今、こんな風に愛する人と穏やかに過ごせることが出来て、郎威軍は心から感謝していた。 「起きて下さい」  手を添えて、威軍は志津真の耳元で囁く。 「ん…う、ん…。眠い…」  威軍から逃れようとするかのように、志津真がソファの上で身を捩る。 「こんなところで寝ていては、風邪を引きますよ」  少し力を入れて、身体を揺さぶると、ぐずぐず何かを呟きながら、志津真が目を開けた。 「あん?」  状況が呑み込めず、ぼんやりと威軍を見上げる。そんな間抜けな恋人でも、威軍は愛しいと思うのだ。 「さあ、起きて。ベッドへ行きましょう」  威軍が支えるようにして、志津真を起き上がらせた。 「う~ん。あんなにシタのに、まだベッドに誘って来るんか?」  寝ぼけているせいか、「声優部長」も形無しのしゃがれ声で志津真がふざけたことを言う。 「はいはい。ベッドで続きをしましょうね」  もはや、いちいち逆らうのも面倒になり、威軍は適当に口を合わせる。 「マジか…」  睡魔に襲われ、ぐったりとしながら立ち上がり、ぶつぶつ言いながら志津真は威軍に身を任せた。それをしっかりと支え、威軍は寝室へと向かう。 「続きは、明日にしよ…」  ベッドまで来ると、志津真はそう言ってバタンと倒れ込むように寝入ってしまった。 「当たり前です…」  気が抜けたようにそう言って、威軍はきちんと志津真に布団をかけ、異常が無いことを確認したうえで、静かに自分も隣に横たわる。 「おやすみなさい」  そう言った威軍の声が聞こえたのか、すっかり寝入っているはずの志津真が手を伸ばし、威軍の手を握ってきた。 (朝まで、離さないで下さいね)  心の中で願いながら、威軍も目を閉じ、眠りについた。

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