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第25話
レストランを出て、参加者の大半は地下鉄の駅に向かって歩き出した。
残ったのは、歩いて帰れる距離に住む郎威軍と、タクシーで帰るからと部下たちを見送った加瀬主任の2人だった。
「なんか、スマンな」
苦笑いをする加瀬主任を、郎威軍は不思議そうに見返した。
「『関西会』なんてつもりや無かったんやけど…。話の内容、分からんかったやろ?」
確かに、ただ日本の話をするのではなく、ローカルな話題に偏っていたので、郎威軍が語ることは無かった。だが、元々会話が弾む方ではない威軍にしてみれば、初めて聞く話題ばかりでそれなりに楽しめていた。
「しかし、楽しそうでした。聞いているだけでも、充分です」
ニコリとして答える郎威軍を、加瀬は珍しそうに見詰めている。
「郎くんが、楽しんでくれたんやったら、嬉しいな」
低く、擽るような優しい声で、加瀬は言った。
「ちょっと歩こうかな」
加瀬がそう言うので、郎威軍も並んで歩きだした。
部下たちが向かった地下鉄の駅から、一駅先の駅へ向かう道だった。そして、威軍の自宅にも近い。
「郎くんは、あれからちょっと変わったよな」
歩きながら、前を見たまま加瀬が楽しそうに言う。
「そうですか?」
自覚が無い威軍は、感情の見えない様子で答える。
「うん。ちょっとは『脇道』を気にしてくれてるんかな」
そういうと、加瀬はチラリと威軍に視線を送った。
「あの…」
威軍が急に足を止めた。
「お茶でもいかがですか。私のアパートが、すぐそこなんです」
「…ああ、エエな」
普通なら、その言葉の意味に下心を感じたであろう加瀬志津真だったが、相手が郎威軍だけに、言葉以上の意味は無いと思い、それはそれで少し残念な気持ちで申し出を受け入れた。
そこから歩いて10分程度で、郎威軍のアパートに着いた。
セキュリティゲートのある中級程度の新築アパートで、9階建ての、日本でいうマンションだ。
そこの6階に威軍の部屋はあった。
「どうぞ」
そう言うと威軍は、口の肥えた加瀬のために、とっておきの龍井茶 を出した。
「ありがとう」
加瀬は心から嬉しそうに言って、気品さえ感じさせながら香りの良い龍井茶を口に運んだ。
その様子を見守るようにして、威軍もテーブルに着いた。
「私こそ、お礼を言います」
「何が?」
部下の言いたいことを分かってでもいるように、加瀬は威軍を見ようともしない。
「人生の脇道に気付くよう、アドバイスをしていただきました」
威軍は微笑みながら言った。
その笑顔を確かめて、加瀬も穏やかに微笑んだ。
「なら、今の郎くんの笑顔に、俺も協力が出来たってことやんな」
「え?」
加瀬の言葉の意味が分からず、威軍は彼を凝視する。見詰められて、ちょっと照れ笑いを浮かべて、加瀬は静かに言った。
「俺が、郎くんの役に立てるんやったら、1回、真面目に話したいんやけど」
改めて言われて、威軍も居住いを正して上司の発言を待った。
「あんな、郎くん…」
一瞬、黙り込んで、その後ついに決心したように、加瀬はいつに無く真摯な顔つきで口を開いた。何かを求められるのではないか、と怯える一方で、期待に胸が膨らむ自分を否定できない郎威軍がいた。
「まだ、内定なんやけど、俺、今度、営業部長になる」
加瀬の言葉が意外で、郎威軍は一瞬、固まったように動けなくなった。2人の距離が離れて行くようで不安になる。
「おめでとう…ございます」
ようやく威軍が発した言葉はそれだけだった。
「それで、もし、郎くんがチャレンジする気があるなら…」
真剣で、それでいて包み込むような暖かさを持つ態度で、加瀬が丁寧に言った。
「俺の下で、第5班の主任をやってみいひんか?」
情熱的な加瀬の眼差しに、冷淡なはずの威軍の心も揺さぶられる。
「主任?」
思いがけない申し出だった。入社して丸3年。まだまだ自分よりキャリアの長い人材は多い。それらを差し置いての主任への抜擢は、さすがの威軍も動揺を隠せなかった。
「わ、私…が?」
「俺が、部長になったら、チーム全体の改革をしたいと思ってる。第5班は、若手で固めて、チームとクライアントが一緒に成長していくスタイルにしたいんや」
その時、加瀬らしい、と郎威軍は思った。ただ、会社の収益や評価という利益を追求するのではなく、社員のやりがいや成長など付加的なものを重要視するのだ。
合理主義で、数字で結果の見えることが一番重要だと思っていた郎威軍にとって、そんな人情的な加瀬のやり方は理解できないと思っていた。
けれど、加瀬志津真という人間を知るようになり、この職場の雰囲気にも慣れ、郎威軍の物の見方が変わったのだ。
「私に、出来るでしょうか」
「俺は、郎くんに任せたい」
信頼を込めた声と眼差しで加瀬に言われ、郎威軍の気持ちも動かざるを得なかった。
「…見ていて」
震える声で、威軍が口を開いた。
「見ていて、くれるんですよね」
初めて2人で食事に行った夜、郎威軍が「人生の正解」を探すのなら、見ててやると言ったのは加瀬の方だ。
フッと威軍は思った。
加瀬が見ててくれたなら、この人がいつも後ろに居てくれたら、その時は、きっと自分自身も信じられる。
自分の言ったことを覚えていたのか、加瀬はクッと口元を歪めた。
「見てて、欲しいんか」
駆け引きのような加瀬の言葉に、郎威軍もまた珍しくリスキーな賭けに挑んだ。
「あなたのために、主任を引き受けても構いません」
フワッと加瀬の表情が柔らかくなった。
「但し、条件が1つあります」
硬化した態度で臨む部下を、加瀬は怪しむように見つめた。
「条件?」
「私と…」
言いかけて、一度ギュッと目を瞑り、息を呑んでから郎威軍は思い切って告げた。
「私と、付き合って下さい…」
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