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第33話

 世界遺産の庭園を見学した後は、早めに昼食の場所へ向かうことにした。  朝食をたっぷりと摂った2人は、ボリュームのある名物料理は避けて、日本人にも人気の蘇州麺を食べに行くことにした。  有名店では無かったが、貸切にしたタクシーのドライバーさんの勧めに従って、観光地から少し外れた、小さな、それでも清潔な感じのする麺料理の店を訪れた。  蘇州ラーメンの特徴は、紅湯(ホァンタン)白湯(バイタン)の2種類のスープがあるところだ。言うなれば紅湯は醤油ラーメンで、白湯は塩ラーメンとくらいの違いだが、日本人の人気は白湯の方が高い。そして、日本人の感覚からすれば、一番の特徴はラーメンの具が別皿に出されるところだろう。麺とスープだけの器に、皿に入った具が供される。一度に具を麺に投入してもいいし、少しずつ足して「味変」を楽しむことも出来る。  実は、この蘇州麺は上海市内でも本格的な物を味わうことが出来る。淮海路や南京路の「滄浪亭」チェーンは、実は加瀬志津真も常連だ。  それでも、本場の蘇州に来た以上、グルメ志向の志津真の期待は高まる。志津真は、白湯ラーメンに、上海蟹と海老の入った具を選んだ。一方、食にそれほどこだわりの無い威軍は、志津真が味見をしたがることを予測して、紅湯ラーメンに、牛肉の炒め物が付いたものにした。  あっさりの白湯麺に、海鮮系の具はよく合う。上海の蘇州ラーメン店でも志津真が良く注文するメニューだった。 「うわ~、ナニコレ!スープが激ウマやん!」  どこの国でも違いはないのか、タクシードライバーさんおススメの店にハズレは無かった。 「ウェイウェイのスープも一口ちょうだい」  こうやって人のものを欲しがるのは、部下の女の子たちによく見られるが、志津真は威軍にだけこうやって甘える。 「え~、紅湯もコクがあって、すっごく上品な甘味やん!紅湯は、単なる甘醤油味って決めつけてたけど、ココのは深みがあって美味しいな~」  食通の志津真がここまで絶賛するのだ。その喜びように、威軍も嬉しそうだった。  ラーメンと惣菜だけの簡単な昼食だったが、2人は満足し、予定の新幹線の時間まで、これまたドライバーさんが推薦するシルクの専門店へ行くことになった。 「上海に初めて来た時に、シルクのトランクスにハマって、何枚も買ったこと思い出すな~」    蘇州の有名なお土産はシルク製品だが、男女問わず日本人には下着が人気だった。品質の割に安く買え、しかも実用的で(かさ)張らないので、お土産にぴったりだからだ。もちろん、下着なので送る相手を選ばなくも無いが、よほど奇抜なデザインを選ばない限り、お土産であれば男性が女性に下着を送ってもそれほど問題にはならない。そんなところが、お土産選びに悩む、駐在員の男性には喜ばれるのだ。もちろん、肌触りの良い絹の下着は女性の憧れで、貰って嫌がる女性も少ない。  それでも気になる場合は、もう一つの蘇州の名物である見事な刺繍が施されたシルクのハンカチなら、男性が女性に送りやすい。  ドライバーさんが案内してくれたのは、シルクショップというよりは、縫製工場のようなところで、シルクの衣類はもちろん、寝具や雑貨なども取り扱っていた。  店の案内係は工場長のような中年男性だったが、ベテランの彼は威軍が着ていたシルクニットのサマーセーターに目敏(めざと)く気付いた。 「好看(いいですね)!」  工場長らしき人物は、その品質の高さとデザインの良さを手放しで褒めた。おそらく、来年の夏には、威軍の物とそっくりな商品がこの工場から出荷されることになるだろう。それをパクリと呼ぶのか、参考にしたと言うのかは、2人の知ったことではない。  縫製工場を見学し、正規品はもちろんだが、上海のショップなどでは決して購入できないような、B級品も、格安で商品を購入することが出来た。その滑らかさが重視される高級なシルク製品ならではで、ほんの小さな織キズやほつれ、ほとんど目立たない汚れなどでもB級品扱いになる。  人に渡すお土産用ではなく、自分が使う下着やアウターのシャツ、ネクタイ、シーツなどを、関西人である志津真は格安のB級品で買いそろえてご機嫌だった。威軍もつられるように紺色のシルクのパジャマを購入した。  志津真はさらに、正規品のスカーフやポーチなどの小物も購入し、今回不義理をした実家の家族に送るのだと言った。 「仕事でも使えそうな工場やな」  志津真がそう言うので、威軍は名刺を渡し、工場長と話を始めた。  日本企業との共同開発の可能性があるとのことで、工場長も気を良くして、2人に気前よく、自社の開発商品だというシルク混のビジネスソックスと、刺繍の美しいハンカチを数点ずつお土産に持たせてくれた。 「職場のみんなへのお土産買わんで済んだな」  駅へ向かうタクシーの中で、志津真が嬉しそうに言ったが、威軍がそれを(たしな)めた。 「2人で蘇州に行った理由を、部下になんと説明するつもりですか」 「あ、そ、そうか…。お泊りデートやなんて、バレたらアカンのか」  そう言った志津真はちょっと残念そうだ。  グローバルな視野と、自由な思想を持つ加瀬志津真は、郎威軍との関係が誰にバレようが、何と言われようが気にも留めない。だが、保守的な環境で生まれ育った郎威軍はそうはいかないのだ。  そして、威軍が嫌がるようなことは、志津真は決してしない。 「なら、こっそりお揃いの靴下穿いて出勤しような」  明るく笑う志津真だったが、自分のせいで秘密を抱えさせてると思えば、威軍の胸が痛んだ。  それでも、自分を大切に思ってくれている志津真の愛情を感じて、幸せだった。  蘇州駅に到着すると、2人は親切で情報通のドライバーさんと再会を約束して別れた。  行きと同様、全席指定の新幹線に乗って、2人は上海へと戻って行った。

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