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第5話:LOVEとLIKEの違い

 治弥が俺を見下ろしながら、小さい声で呟いてた。小さくて聞き取れなくて、でも、見下ろしている治弥の顔が、怖くて聞き返せなかった。治弥のベットで横たわる俺の身体に跨り、治弥は互いの唇を重ねた。触れるだけじゃなくて、口内に治弥の舌が侵入してきて、俺の舌を容赦なく絡み取る。息をする隙もなく、口先から涎が滴り落ちた。 「……はぁ、はぁ…」  漸く離された唇からは、荒れた吐息が漏れて、俺は必死に息を整えることしか出来なかった。そのまま、俺の頬の体温を確かめるように、片手で治弥は撫でてくる。見上げた治弥の表情はまだ、無表情のままだった。俺は治弥の目から視線を離す事が出来ずに、治弥をずっと見ていると、頬にあった手は徐々に、俺の身体を沿って動いていく。気付いた時には治弥の手は、俺のズボンのベルトを触っていた。それを外そうとしている治弥に気付いて、止めようと慌てて手を俺は伸ばしていた。 「ま……待って! 待って、治弥!」  伸ばした手は、治弥の反対の手で押さえられてしまう。俺の手首を捕らえた治弥の手は、もう片方の腕と一緒にそのまま俺の頭上で固定されて、俺は抵抗するすべを失った。頭上で固定したままで、反対の手で器用に俺のベルトを外していく。ベルトを外され、ズボンのファスナーを下ろされて、治弥の手は俺の下着へと侵入された。 「……ん!」  侵入してきた手は、俺自身の形を確かめるように、指の腹で筋を撫でられる。ゆっくりとでも確かに治弥は何度も俺を撫でて来た。治弥の指に反応して、形を持ち始める自身に戸惑い、俺は首を何度も左右に振っていた。 「はん……、やぁ」  それでも治弥は止めてくれなくて、俺を触ってる治弥の手は、そのまま俺自身を握りしめた。握りしめると上下に擦り始め、擦り始められると体温が高くなるのを感じた。全身が熱くなり、無意識に声が漏れる。 「ぁ……ん、はぁ」  意識は朦朧としてきて、視界は歪み、熱で火照った身体は、治弥の手に翻弄されていた。治弥の親指が俺の先端を擦ると、強い刺激が俺の身体を走った。もう既に固くなってしまっている俺自身は、自分で感じているよりも熱くなっていて、判らない感覚に涙が零れていた。 「や…だ、はん、ん、は……、るみ…、も、やめ、て」  治弥は俺の顔を見ると、切なそうに目を細めて、上下に擦る手の動きを速められる。速められると、快楽が一気に込み上げて、俺は首を必死に左右に振っていた。 「や、……だめ! ひゃっ…あんあぁあぁあああ!」  身体が震えると、背中に電撃が走った感覚がし、俺は自身から白濁を吐き出していた。治弥は俺の白濁の液を掌に受け止めると、ようやく俺自身から手を離してくれた。 「はぁ…はぁ…」  息は荒れ、呼吸をするので精一杯で、頭に固定されていた腕が解放されると、俺は流れた涙を腕で拭っていた。こんな事をされるのも、こんな治弥を見るのも初めてで、初めて治弥が怖いと思った。ただ、判ることは、俺の何かが治弥を怒らせてしまったということだった。治弥は俺の白濁の液が付いた自身の手を見ていて、自分の行動に驚いたのか、目を見開いていた。 「あ……、ごめ…明」 -1-  俺は何をしてしまったのだろうか……、五十嵐とキスをしている明を見たら、頭に血が登って、明を渡したくないと思った。今まで我慢していたものが、音を発てて崩れる感覚がした。あとはもう、明を自分のものにしたくて、……無我夢中だった。目の前には、丸く大きな瞳から、涙をとめどなく零す明の姿。 「明……、ごめん」  俺はまた、そう謝罪の言葉を口にしながら、明の頬を撫でようと手を伸ばすが、その手は明によって払われていた。涙を零したまま、俺を怯えた表情で見てくる明を見て、俺は今してしまった事を後悔していた。 「触らないで……」  明は震えた声で、そう俺に言い放った。手の中にある明の白濁の液が、さらに今の状況を物語る。明の言葉は俺の胸を突き刺すには、十分過ぎるものだった。そのまま明は自身で服を整えると、涙を拭いながら、何も言わずに部屋を出て行った。静かな空間に、扉が閉まる音だけが鳴り響く。  自分の中にある嫉妬心が、明を傷付けた。今までずっと、大切にしてきて、明の隣に居ることを守ってきたのに……。自分の愚かな行動が、明を傷付け、守ってきたもの全てを失った。俺はそのまま壁へと座りながら寄りかかり、小さく溜息が漏れた。明の最後の言葉は、何度も俺の頭の中で繰り返されていた。震えた明の声……、怯えた明の表情……。 「あれ……、え? なに……? くっら!」  寄り掛かったままで居ると部屋の扉から声が聞こえ、そちらに視線だけを向けると、平良先輩が俺の居るベットを覗き込んでいた。その後ろから顔を出す朋成は、ベットの上の惨状に視線を流していた。 「こ……れは……」 「……情事の後だな」  朋成が続きを言うのを、躊躇うように途中まで口にすると、一緒に来ていたであろう和が簡単に口にしてしまった。 「治弥が落ち込んでいるって事は、これって……」 「同意ではない」 「って事だよね」  この状況を見ただけで、把握すんのやめてくれないかな……。ベット内には、明が果てた白濁の液が、布団の毛布に飛び散っている。部屋の中には、情事後の独特な匂いが漂っていた。 「ねー…、これって、明ちゃん大丈夫なの? 何があったのかちゃんと説明してよ。俺の明ちゃん泣かせたら、治弥だとしても許さないよ」  ベットの柵に座り、足を揺らしながら平良先輩は、少し怒った口調で言う。平良先輩はなんだかんだ言って、明の事お気に入りだからな……。説明って言ってもなんて言えばいいのか判らずに、俺は口籠ってしまう。 「…………」 「平良先輩、平良先輩……。今日、校外学習で色々あったし、二人共何かあったんでしょう。そんなに怒らないでやって下さい」 「でも……、朋成君。もー……、なんで二人共上手くやっていけないの……、俺、明ちゃんの様子見てくる」  何も言えなくなっている俺を見てか、朋成が平良先輩を宥めてくれて、平良先輩は素直にそれに従った。明の部屋に行こうとベットから腰を上げて、平良先輩は玄関に向かって行った。本当……、俺何やってんだ。 -2-  治弥の部屋を出れば、俺は急いで隣の自分の部屋へと入る。治弥に連れていかれた様子を気にしていたのか、部屋に入ると昭二が心配そうな表情で、俺の様子を伺っている。俺はまだ涙を止める事が出来ずに、玄関で俯いたままで居た。 「あ……、きと? 大丈夫だったか……?」 「……ん、治弥……、怒らせちゃった……」  近寄ってきた昭二の腕を掴み、力の入らない身体を必死で俺は支えていた。怖かった治弥……、でも怒らせたのは俺で、俺の何かが治弥を怒らせたのは間違いなくて……。でも、俺……、治弥に最後なんて言ったんだろう……、なんて言っちゃったんだろう……。 「え?……、花沢に何かされた? 何か言われた? なんで泣いてるんだ?」  涙が溢れ、俺はそれを止める事が出来ずに、何度も止まらない涙を腕で拭っていた。そんな俺の腕を昭二は掴んできて、拭うことが出来なくなる。驚き顔を上げると昭二はそのまま俺を抱きしめて来た。 「んん……、昭二……」 「泣きたいだけ泣いたらいい……。後の事は、後で考えよう」  俺は昭二に言われた通りに頷き、昭二の胸の中でひたすら涙を流した。そうしている俺を昭二はただ、抱きしめながら背中を優しく、ゆっくりと摩ってくれていた。何も言わずに、ただ摩ってくれていた。漸く、目から滴る涙が落ち着き、俺は昭二から身体を離し、昭二を見上げた。 「もう……、大丈夫」  心配かけないよう、俺は笑みを作り、昭二にそう言い告げた。それでも昭二は心配そうな表情のまま、俺を見ていた。俺の額に昭二の右の掌が添えられ、俺は驚き目を見開いてしまった。 「……、明都……、熱ある」 「え? え??」   昭二は俺の熱を確かめる為に、手を額に添えていたんだ。自分では気づかなく、俺は自身の両の頬を手で押さえて確認した、頬は熱が籠っていて、確かに熱があるようだった。 「ちゃんと……、寝てた方がいい」 「ん、でも……」 「悪化させるぞ?」  昭二に促されるように、俺は自分のベッドへと登り、布団の上に座り込んだ。このまま、寝たら治弥とのあの出来事はなかった事にならないのかな……、実は全部夢で、起きたらいつものように治弥と笑いながら登校することが出来ればいいのに、いつものように治弥の隣に居られればいいのに。 「大丈夫……、明都少し寝な?」 「うん……」  俺のベットに階段から登り覗き込み、俺の頭を撫でつけながら昭二は言うから、これ以上心配は掛けたくないと俺は素直に布団に潜り込んだ、それを確認すると昭二は階段を下りて部屋を出て行った。 「冷たい飲み物でも買ってくるから」  そう昭二の声が聞こえると、ドアの閉まる音が聞こえた、横になると熱のせいか眠気はすぐに感じて、目を瞑る。 「触らないで……」  そう言った時の治弥の表情と、行為に没頭していた怖い表情の治弥。怖かった……、怖かった、怖くて触らないでと言ってしまった。それで治弥を傷つけた、というのは変わらない事実。怒らせたのも俺で、傷付けたのも俺、ごめんね治弥。でもまだ、治弥の傍に居たいよ。だって、気付いちゃったから、治弥が好きなんだって、大好きなんだって。   -3- 「……、明ちゃんの様子見てくる」  そう言うと平良先輩はベットに掛けていた腰を上げて、部屋の玄関へと向かう。俺はベッドに座り込んだままで、壁に寄りかかりどうすればいいのか判らず頭を抱えていた。 「……わっ!」 「あれ……、昭二」  部屋の扉が開く音と、共に平良先輩の声が耳に届くと、扉の方に視界を向けた朋成はそう言葉を漏らした。俺は不思議に思いベッドから顔を出すと、そこには五十嵐の姿が目線の中に映った。 「……なんだよ。邪魔して悪かったな……」  五十嵐と目が合って、五十嵐の顔を見たら、明とキスをしていた場面が思い出されて、俺は素っ気なく言葉を告げてしまった。そのまま再び壁際へと戻り、寄り掛かった。明が選んだ事なら、俺はもう何も言えない、ただ、五十嵐も同じ男で、世間体ばかり気にして、自分の気持ちを、明に告げなかった俺の負けなんだと思い知らされる。 「あのさ……、花沢……、明都熱出して寝た」  五十嵐はベッドの柵に腰を掛け、俺の様子を見ると、俺が発した言葉を無視するように違う言葉を告げる。意外な事を五十嵐が言うもんだから、俺は驚き五十嵐の方へと目線を向けた。明が……熱? 「明都くん……熱出したの?」 「え? 明ちゃん大丈夫??」 「あぁー……、たぶん知恵熱的なもんだと思うけど、一応、寝かしたから大丈夫だと思います」  明が熱と聞いて驚いたのは俺だけじゃなかったみたいで、朋成と平良先輩も五十嵐に問い詰めるように聞いた。俺が……、無理させちゃったのかな……。あの時、確かに明の身体は熱くなってた。俺は明を触ったこの自身の手を開いて、視線を落としながらそんな事を考えていた。 「最近色々あって、明都くん考えさせられてたからなー……、今回ので一気に身体に出ちゃったんだね」 「たぶんそー。……花沢、様子見に行かないか? 行った方がいいと思うけど」  朋成が考えを口に出すと、五十嵐は同意の意を述べては、俺へと行くように促してくる。 「……五十嵐が傍に居れば大丈夫だろ」  あんな場面見てしまったから、卑屈になってるのは判ってる。判ってるけど……、どうしても卑屈になってしまう。 「一言、言っとくけど、本当はこの状態は俺にはすっげー有利なんだけど……、してないからな、俺。花沢、勘違いしてるけど」 「……は?」 「ついでに言うと、俺告白して振られてるから」 「……え?」  またしても五十嵐の意外な言葉で、俺は目を見開いてしまった。直接的な言葉を発してはいないにしても、きっと、あの時のキス現場の事を言っているに違いない。 「だから……、早く、明都のとこ行ってやれ」  五十嵐は口角を上げ、ドアへと顎で差し示しながら俺にそう告げた。全ては俺の勘違いで、明にとんでもない事をしてしまった。その罪悪感が自身の胸を支配していた。それでも、熱を出しているという明が心配で、俺は四人を部屋に残し明の部屋へと向かった。 -4-  夢の中。治弥の声を聞いた。ごめんね、治弥。触らないでなんて、本当はそんな事、全然思ってないよ。ずっと傍に居る、それが当たり前で、全然気付けなかった。こんなにも傍に居たのに、気付けなかった。当たり前過ぎて、自分の想いが当たり前だと思ってた。でも、昭二に言われて気付いた。友達とは違う好き、特別な好き。  俺は治弥が特別な意味で好きだよ。これからもずっと治弥と一緒に居たい。そう願うのはもう遅いのかな……。  自分の頬に生暖かい感触がして俺は目を開いた、そこには、いつもの治弥の笑顔が視界に広がっていた。治弥はベッドで横になっている俺の頬を、ゆっくりと優しい手付きで撫でていた。 「ごめん、起きた?」 「ん……、うん」 「熱は?」  治弥はそう俺に問い掛けながら、頬を撫でていた手を俺の額へと移し、熱を確かめているようだった。 「大丈夫……」 「大丈夫じゃないだろ……、まだ熱あるから、ちゃんと寝てろよ」  さっきまでの怖かった治弥とは違う、優しい口調と優しい笑顔で治弥は俺にそう言い告げる。これは夢なのかな……、夢心地のまま俺は治弥に手を伸ばしていた。その手を治弥は両手で捕らえ、握りしめられる。 「明……、ごめんな。もうしないから」  治弥は俺の手を握り、自身の頬へと摺り寄せながらそう告げる。謝らなきゃいけないのは俺で……、熱で朦朧としている中、俺は治弥の頬にある手をそのままで頬をゆっくりと撫でた。 「治……」  謝りたくて治弥の名を口にしようとすると治弥は俺の手を離し、布団の中へとそっと入れられる。それを見て俺は治弥の顔に視線を移した。治弥は優しく笑みを浮かべていた。 「……明の傍に居たんじゃ……、俺また何するか判らない……、だからもう忘れて、もう傍には居ないから」  治弥はそう言って俺の頭をゆっくりと優しく撫でてきた。心地いいはずの治弥の手の温もりは、心地いいのに今は凄く切なく感じた。治弥……? 今なんて言ったの? もう傍には居ない?? どういう意味??  俺が触らないでって言ったのを怒ってるの? もう、そんな事言わない。いっぱい謝る……、だから、傍に居ないなんて言わないで。そう言いたかったけど、声に出なかった。涙が溢れて来て、言えなかった。治弥は俺の頭を撫でて優しく笑い、部屋を出て行った。  これが夢だったら良かったのに、夢だったら、また明日からも治弥の傍に居れるのに。触らないでって言ったのも夢だったら良かった……、一度言った言葉は取り返しなんて効かないんだ。気付いたこの気持ちは、気付くには遅かったのかな……。当たり前過ぎたこの感情の意味に気付いたのは遅かったのかな……。治弥が特別だって気付いたのに、特別なのに傷付けちゃったのかな。もう遅いの……?  自分の身体が熱で犯されていくのを感じながら、朦朧とする中、俺はそのまま眠りについてしまった。 -5-    次の日の朝、俺は寮の部屋の前でドアを呆然と見上げる。隣の部屋にはきっと、まだ明は眠りについている。あのまま熱が下がらなければ、授業は欠席するだろう……。明の体調が気になるが、俺は明の部屋を通り過ぎ寮の玄関へと向かう。 「……本当にいいの?」 「ん?」  毎朝、明の部屋に寄り、一緒に登校していたが、今日は寄ることもせずに玄関に向かう俺の姿を見てか、朋成は心配そうに声を掛けてくる。寮の玄関を出て、外へ向かう。外は晴天で日差しも強く、自分の気持ちとは裏腹な青空が広がっていた。 「これ以上傍にいても……、もう俺が満足出来ないんだ。それでまた同じことしてしまう前に……、離れた方がいい」  今回は勘違いだったとしても、いつか明に好きな人が出来て、俺ではない誰かと付き合う姿を見て、それを一番近くで見なくてはいけないそんな立場のままでは、また自分の嫉妬心を抑える自信はもう、……正直ない。 「本当……、二人とも不器用だよね」  朋成はそう言うと、俺の肩を軽く二度叩きそのまま追い越して学園に向かった。俺は朋成の背中を見ながら歩き続ける。朋成は結構と言っていいほど鋭い。鋭いというか観察力が高いというか……、なんでも判っている雰囲気なのに、それを全て周りに話すような事はしない。 「どういう意味だよ……」  この何か月間同室で過ごして、朋成の印象はそんな感じになっていた。確信をついてるようで、ついてないような言い方をすることが多い。自分で気付かなきゃダメだって事なんだろうけどな……。 「……相手の話もちゃんと聞かなきゃダメだよって意味」  ……余計判らない。でも、言われてみれば確かに、明の話って俺聞いてたか? なんか一方的に話してしまった感じが無きにしも非ず。俺の考えとか一方的に言っていたかもしれない。 「治……」  あの時、明は何か言い掛けた。俺を呼んでから、何か言い掛けた。 「んーー……」 「……ん?」 「いや……、何か。明から離れるって決意したくせに、結局、明の事しか考えてないな……と」 「……今更」  俺が改めて口にしてしまうと、朋成は呆れたような表情を浮かべ、一言口に漏らしていた。 「今更とか言うな」  前を歩く朋成の足を軽く蹴りながら俺は悔し紛れにそう言い告げる。確かに今更だけど、はっきり言わなくてもいいじゃねーか。そんな会話をしていると、いつの間にか学園の門へと到着していた。昇降口を通り上履きに履き替えると、下駄箱の前で俺は自然に止まってしまっていた。 「……、治弥? 今日は明都くん居ないよ?」 「………!」  そう、明が靴を履きかえるのを待っている、そんな毎日の事を俺は自然としてしまっていた。……だめじゃん、俺。 -6-  翌朝、俺は自然と目が覚めた。目が覚めベットから降りるが、同室の昭二の姿がなかった。俺はクローゼットから制服を取り、それに着替える。着替えて洗面所に向かい、登校の支度をしていると、部屋のドアが開く音がして、俺は慌てて洗面所から出た。部屋に入って来たのが、治弥なんじゃないかと、どこか期待をしていたんだ。そこに居たのは、朝食を食べ終えたのであろう、昭二の姿だった。 「……、そんなあからさまにがっかりした表情されると、さすがに傷付くんだけど……」 「ご! ごめん!」  あとの出来事が衝撃過ぎて、昭二には悪いけど、すっかり忘れていた。俺、昨日、昭二に告白されてたんだった。 「冗談、冗談。制服着てるけど……、明都学校行けるのか?」 「ん……、大丈夫」  昭二は笑いながらそう言葉を漏らし、俺の頭を髪の毛に指を絡ませながら撫でてきた。頭を撫でると、昭二は俺の額に掌を当てて、熱を確かめているようだった。 「熱……、まだ下がってないぞ?」 「……大丈夫」 「無理したら……」 「大丈夫、今日じゃないと、今日行かないと……」  今日……、治弥と話さないと…、二度と傍には居れなくなる気がしてしょうがないんだ。俺が言わんとしている事が昭二に伝わったのか、昭二は眉間を少し寄せながらも、一つ頷いて俺の頭を撫で続けた。 「具合悪くなったらすぐに保健室に行くんだぞ?」 「うん……、ありがとう」  昨日から昭二には心配ばかり掛け過ぎている。治弥が部屋に戻った後、ただただ涙が止まらない俺の背中を黙って撫でてくれていた。涙が止まるまで、ずっと何も言わずに、何も聞かずに撫で続けてくれていた。  朝食を食べる食欲もなくて、気分でもなく、俺はそのまま食べずに寮の部屋を出る。隣の治弥の部屋を小さく拳で叩くが、返事は予想通りになくて、俺は肩を落とし溜息を吐いた。 「……学校に行けば話せるだろ…」  そんな俺の様子を見てか、昭二は頭を軽く二度叩いて、そう言い告げてくれた。自分は昭二に甘えてばかりで、本当申し訳なくなる。こんな俺を励ましてくれて、どうして人の想いというものは、一直線に上手く絡まらないでいくことが出来ないのだろうか。 「……、ありがとう」  俺は何度目かになるか判らないお礼の言葉を、昭二に向けて言っていた。 -7- 「……あれ? 明都くん熱下がったのかな」 「え?」  1年A組の教室の前の廊下で、朋成や他のクラスメイトと話し込んでいると、朋成が昇降口の方へ続く廊下に目線を向けながら言葉を発すので、俺はそちらへと目線を向けた。その遠くには、昭二の後ろを覚束ない足取りで歩みを進める明の姿が見えた。明の頬はほのかに赤く、熱が下がってない事は見ただけで確認出来た。 「……あのばか」  俺はその方向に足を向け進める、先を歩いている五十嵐の腕を掴み、俺はそのまま五十嵐を連れて、昇降口へと進んだ。昇降口の壁際へと移動すれば、明には聞こえない位置に来た事を確認する。引き連れられている五十嵐は、素直に従いながらも軽く悪態をついてくる。 「おまっ! なんだよ、花沢!」 「なんで、明を休ませなかったんだよ」  どう見ても熱があるのは、すれ違った時に向けられた目線と、遠くからでも判る頬の赤みで判るはずだ。そこは無理やりにでも授業を休ませるべきだろ……。 「……本人に言えよ。なんで俺に言うんだよ」  俺の言葉を聞くと、五十嵐は壁際へに寄り掛かり、深く溜息をつき、そう返してきた。明とはもう、距離を置くことに決めた……。決めたから、俺からは明に言えない、言ったりしたらいつもの様に戻ってしまう。俺はそんな生半可な気持ちで決めたわけじゃない。でも……、心配するのはしてしまうんだ。 「……わりい」  でも確かに五十嵐を攻めるのは筋違いで、俺は謝罪の言葉を口にしていた。 「明都はな……、花沢とちゃんと話したいって、今日話さなかったら、もう傍には居れないかもしらないからって……、少しでもいいから明都の話聞いてやれよ」  朋成も五十嵐も同じ事を言う……。俺は思わず五十嵐が寄り掛かる隣に行き、向かい合わせのまま壁へと頭を軽くぶつけていた。 「何やってるんだ……」  それを横目で見ながら五十嵐は、呆れたような声音を上げて言葉を漏らしてた。壁に頭上を付けたまま五十嵐の方に視線を向け、目が合うと五十嵐は俺の頭に手を添えたかと思えばそのまま壁に擦り付けた。それはもう、ぐりぐりって効果音が出るんじゃないかと思うくらいに。 「いたっ! おま、何すんだよ!?」 「花沢はいい加減腹をくくれ、そうやって離れる覚悟があるくらいなら、一回当たって砕けるということをしてからでもいいだろう……、明都にはお前が必要なんだという事にさっさと気付け」  頭を擦り付けたままで五十嵐は、俺にそう周りには聞こえない声量で、耳元で言葉を伝えてくる。言葉を言い切れば五十嵐は俺の頭から手を離し、そのまま教室に向かってその場を離れて行った。 「…………」  俺はその五十嵐の後ろ姿を見つめ、今、五十嵐に言われた言葉を胸に刻んで離れないでいた。確かに離れるのが嫌で、明に気持ちを伝えずに今まで過ごしてきた。離れるつもりなら気持ちを伝えてからでも遅くはない……、離れる覚悟で居るなら気持ちを伝えないで居る意味はない。伝えてすっぱり気持ち悪がられてからの方が、離れるのに覚悟も要らない。俺から離れなくても、明から離れて行く。  好きだって伝えてからでも遅くはない……。 -8- 「大丈夫? 明都くん、まだ顔赤いよ?」 「ん? うん、大丈夫」  昇降口から教室に向かう為、廊下を歩いていると治弥と朋成君が、そこで他のクラスメイトと談話をしているのが目に入った。治弥達もこちらに気付いたように俺の方を見ると、そのまま向かって来たかと思えば、昭二の腕を掴んで昇降口の方に戻ってしまった。それを俺は目線で追いかけるも、昭二が手振りで先に教室に行けと言わんばかりだったから、俺はそのまま教室に向かった。教室の前に居た朋成君に声を掛けられ、そのままそこに留まった。 「熱……、まだあるでしょ?」 「んー……、たぶん?」 「たぶん……って。無理しちゃだめだよ?」 「ん、ありがとう」  俺が朋成君の問いに答えると、朋成君は俺の考えが判ったようで、目元を緩めると俺の頭を二度軽く叩いてきた。なんだかその笑顔と行動が俺の心を擽って、俺は目を伏せながらお礼の言葉を告げていた。 「泉? 熱あんの?」 「ん? 大丈夫、そんなに高くないし」  朋成君と一緒に居たクラスメイトが心配そうに問い掛けてきたから、俺は精一杯の笑みを見せて答える。これ以上他の誰にも心配なんてかけちゃいけない。気合を入れる為に俺は両手で両の頬を軽く二度叩いた。 「ん、大丈夫」  独り言のつもりで言うと、周りにいたクラスメイトと朋成君から視線を集めてしまった。皆が不思議そうに見てくるから、俺は思わず首を左右に勢いよく振ってしまった。 「ちょっ……、明都くん、そんなに頭振ったら熱上がっちゃうんじゃないの?」  俺の行動を見て、朋成くんは可笑しそうに口許を緩めながら、そう言葉を漏らしていた。 「あ、治弥戻って来た」 「え?」  朋成くんは俺の背後の方に目線を向けたかと思うと、治弥が戻って来た事を知らせる。俺は治弥の名前を耳にして思わず振り向いてしまった。振り向くとそこには確かに治弥が居た。治弥と俺は目線が絡み合って、そのままの状態で治弥は俺の方に近寄ってきた。 「……明……、ちょっと話あるから、放課後……、中庭に来れるか?」 「え? あ、うん。俺も……、治弥と話したかったから」  周りに居るクラスメイトには聞こえないように、治弥は耳元で俺に問い掛けてきた。俺はそれに合わせるように、小声になって答えた。もう、話してくれないと思っていた分、ただそれだけの会話なのに、俺は治弥が話掛けてくれた事が嬉しかった。   -9-  うあー……、何このドキドキ感。授業になんて全く集中出来ません。今まで、告白されてばかりで、俺に告白しようとしてきた子達は、いつもこんなに緊張していたのかと思うと、素っ気ない態度で断ってきた俺に反省する。断るのに優しくして、変な期待持たせてしまうんじゃないかと思って、そうしてきたけど、もうちょっと気の利いた言葉で返していれば良かった。  明の席は俺の席よりも前に位置するもんだから、授業中は明の姿が目に入る。やっぱりその姿は愛おしくて、俺の緊張感はさらに増す。これが話すのが最後になるかもしれない。いや、きっと最後になるだろう……。ただ、最後になるとしても、もう後戻りは出来ない。気持ちを伝えても伝えなくても、離れる覚悟は出来たんだ。五十嵐が言う通りに言ってから離れても遅くはない。  告白して振られても、きっと、こうやって、明の後ろ姿を席替えが来るまでは、見ているのだろう。離れたとしても、明を好きな気持ちは、絶対に揺るがない自信がある。忘れようとしても、消そうとしても、何をしても揺るがなかったんだ、離れたくらいでは気持ちが消えるわけがない。 「……え?」  授業中、明の後ろ姿へ目線を向けていると、明の身体がぐらつくのに気付く、熱が有っても登校してきた明は、座っているのも限界だったのかもしれない。なんでそこまで無理をして、登校してきたのか判らないが、明は身体を支えられずに、席から崩れ落ちるのを目の当たりにした。その姿を見て俺は思わず、自分の席を立ち、明の元へと駆け出していた。 「明!?」  床に横たわる明を俺は抱きかかえ、膝の上に乗せて明の様子を伺う。熱にうなされているのか、朦朧としているのか、明は物凄い汗を垂らしていて、頬は熱で紅潮していた。明が倒れた事により、授業は中断されていて、クラスメイトは皆騒めいている。 「……びっくりしたー……。明都大丈夫か?」 「熱上がったっぽい、これ無理だわ」  明の席の前の五十嵐は、明の倒れた音を一番近くで聞いたであろう、その音で気付いたようで振り向いては、俺が抱きかかえている明の顔を除き込みながら問いかけてきた。 「先生ー、明を保健室連れて行きますね」  事の事態を教師も様子を見るように見下ろしていたので、俺は教師にそう声を掛けた。教師は頷き同意の意思を示したので、俺はそのまま明を横抱きに抱えて、教室を後にした。抱きかかえたままで朋成の席の横を通ると、朋成も心配そうな表情を浮かべているのが目に入った。  保健室に着き、入り口のドアを両手が塞がっていて開ける事が出来ずに、暫くその場で立ち尽くしていると、何故かそのドアは静かに開かれた。 「……あ」 「あれ?」  開かれたドアの先には、生徒会の先輩で、生徒会長でもある、戸河牧先輩の姿が目に入った。俺は見知った相手の登場に思わず声を出してしまった。 「ん? 明都くん具合悪いのかな?」 「あー……、まあ、熱上がったみたいで……」  明を抱きかかえていたもんだから、牧先輩はドアを開け放ってくれて、保健室の中に入るよう促してくれる。俺はその行動に今の状況遠慮している余裕はないので、牧先輩に甘えてそのまま保健室へと足を踏み入れた。保健室に入ると、保険医の姿を確認することが出来なく、俺は保健室内を見渡してしまっていた。 「今の時間な……、保険医、教育委員会の会議とかで不在なんだ……、明都くん早退させた方がいいんじゃないか?」  俺が言わんとしている事が判ったのか、牧先輩は保険医が居ない理由を説明してくれた。 「とりあえず、寝かして、落ち着いてから寮に帰そうと思います」 「ん、それがいいかもな……、付き合っててやりたいけど、俺あんまここに長居すると、身の危険が訪れるから、俺は教室に戻るからな」  ……身の危険って……、あー……咲先輩か。保険医が不在の保健室とか、咲先輩にしたら絶好のチャンスとか思ってるかもしれないな。だから、用が有ってもあえて授業中に来たのか、牧先輩は。 「頑張って下さい」 「……その激励が逆になんか腹立つ」  俺は率直に言葉を掛けたが、牧先輩にはあまり効果はないようだった。苦笑いを浮かべては、牧先輩はそのまま保健室を出て行った。牧先輩を見送り、俺はとりあえずと、明をベットへと横たえた。寒くないように布団と毛布を掛けてやる。授業に戻らなければと思いつつも、俺は明の様子が気がかりで、眠っている明の頬をゆっくりと撫でていた。  こんなにも愛おしくて、恋しくて、こんな存在は昔からいつでも明だけだった。 -10-  頬に暖かい、心地のよい感覚がして、俺は目を覚ました。目の前には治弥の心配する表情が視界に入り、俺は何が起こっているのか理解できずに、目を見開いてしまった。 「目……覚めたか?」 「ん……、んー??」 「明、授業中に倒れたんだぞ? 覚えてない?」  授業中、頭が朦朧として……、目の前が真っ暗になったとこまでは覚えている。周りの声が段々遠くなっていって……、視界も焦点が合わなくなっていって。あの後、俺倒れたんだ……。 「なんとなく……、覚えてる。ここ保健室?」 「そう、落ち着くまでここで休んでな……、寮に帰れそうになったら帰るんだぞ? 担任には言っておくから」  治弥は俺の頬をゆっくりと優しい手付きで撫でながら、俺に言い聞かせるようにそう告げる。俺はそれが心配している事から言っているのは、頭で理解はしているものの、その言葉は俺を突き放しているように感じで、どこか切なげに感じた。俺は思わず、自身の頬を撫でてくれている治弥の腕に手を伸ばした。 「……ん? 明?」 「治弥は……、どっか行っちゃうの?」 「え?」 「…………、ごめん。なんでもない」  俺が治弥に問い掛けると、治弥は困惑の表情を浮かべた。その表情を見ると、なんだかこれ以上治弥を困らせたくないって思った。だから、俺はそれ以上言うのを止め、首を左右にゆっくりと振りなんでもないと答えた。 「俺……、ここに居るよ。だから、ゆっくり休みな」 「治弥? 授業は?」 「居て欲しいって明が言ってくれたら、居る」 「……、居て欲しい」  俺がそう、素直に答えたら、治弥は目元を緩めて笑みを浮かべ、治弥の腕を掴んでいる俺の手を一度握り、毛布の中へと仕舞った。  ”居て欲しい”その言葉は、本当は離れるなんて言わないで、”傍に居て欲しい”そう言いたい。そんな気持ちも含まれてて、今みたいに素直に治弥に言えたらいいのに……。でも、素直に言ったら治弥は、また困った顔をしちゃうのかな、とか思うと素直に言えなかった。 「居るから、少し寝な? 寝付くまで傍に居るから」 「うん、ありがとう」 -11-  明が保健室に寝かした後、俺は教室に戻り、授業の参加を再開した。授業を受けていても、明が心配で教師の話は頭に入って来なかった。あの時、明が”居て欲しい”と言ってくれた事が凄く嬉しくて。明から離れる事なんて、俺、本当に出来るのか……。 「明都くん……、大丈夫?」 「ああー、保健室で寝てるから大丈夫だと思う」  休憩時間になると、心配していた朋成が俺の席に移動してきて、そう問い掛ける。授業中に倒れられたら誰だって心配するよな、普通は。 「無理矢理にでも、今日、休ませてれば良かった。まさか倒れるとは」  申し訳なさそうに言ってきたのは五十嵐で、俺は五十嵐の頭を軽く小突いてしまった。 「明が無理したのは、俺が原因だろ……、ちゃんと話さなかった俺が悪いんだし、五十嵐のせいじゃない」 「そう……、治弥のせい、意地張ってる治弥のせい」 「……朋成くん、はっきりと言ってくれますね」  胸に突き刺さる言葉を、朋成からもろに受けてしまった俺は、朋成を睨みながら言い告げると、朋成は俺からの目線をわざとらしく反らしていた。 「あ、明都くん……」  朋成は目線を逸らした先に、教室に入って来た明を見つけると言葉を発した。その言葉に反応して、俺と五十嵐は教室の入り口に目線を向けた。明はそのまま早退することに決めたのか、自身の席へと向かって歩いていた。 「明都くん大丈夫?」 「うん、大丈夫……って言いたいけど、保健室の先生に怒られちゃった。無理しないで早退しろって言われた」  席に向かっている明を追い掛けて、朋成が問い掛けると、明は苦笑いを浮かべながら答えていた。クラスメイト達は明に話し掛けるまでもないが、明へと視線を集めていた。そんなのを気にしている余裕がないのか、気付いていないだけなのか、明は周りには目線を向けずに席に行き、鞄を取るとまた教室の入り口へと戻った。 「一人で寮帰れるか?」 「うん……、寮近いから大丈夫。ちょっと寝たら楽になったし」  入り口で俺は明に問い掛ける。まだ、少し明の頬は赤みを帯びていて、完璧に熱が下がったようには見えなかった。 「気を付けて帰れよ?」 「うん、ありがとう、我儘言って、ごめんね。治弥の言う通りにする……、でも、ちょっとは話くらいしてね」 「え? 明?」 「これ以上治弥に嫌われたくないから」  俺の言う通り……。明が言わんとしている事は、俺が明に昨日、”もう傍には居ないから”と言ったその言葉だ。それで、俺は離れる前に気持ちを伝える決意をして……。あれ? ちょっと、待てよ。これ、明が早退しちゃったら、放課後の約束はなくなるって事だよな……。って事は、俺、気持ち伝えるタイミング失うんじゃね?  そんな事を考えていると、明はそのまま言い告げれば黙ってしまっている俺を見て目を細めて笑みを向けると、教室を出て行った。明の後ろ姿を廊下に出て、目線で追う。休憩時間の廊下は、生徒達が話をしていたり、戯れて居たり、そんな中、明はどんどんと遠くへと行ってしまう。その距離だけじゃなくても、自分の傍から明が実際に離れて行くのが、現実として見えてしまった。 「明! 明、待って」  今……、伝えなければ、もう二度と言えない気がした。 -12-  他の生徒達が居る中、俺は寮に帰る為、昇降口に向かった。もう、今まで通りに治弥の一番の傍には居れないけど、いつまでも嫌だって言って、治弥を困らせたくない。熱で朦朧としている今なら、考え事をしている余裕もないから、治弥にその通りにするって事を伝える事が出来た。頭から離れなくて寝れないって事も今はないから、言っときたかったんだ。じゃなかったら、また、治弥に嫌だって言ってしまいそうだから……。 「明! 明、待って」  廊下に居る生徒達を避けながら歩いていると、治弥の呼び止める声が耳に届き、俺は反応してその場に立ち止り振り向いた。振り向くと、治弥の声に反応したのは俺だけじゃなくて、廊下に居た生徒達は会話をしていたのを辞めて、治弥に視線を集めていた。廊下に居る生徒達の後ろ姿の奥に、治弥は真っ直ぐに俺を見て立っていた。 「明ーー!! 俺は明が大好きだよーーー!!」 「……え? ええ?」  治弥は生徒が沢山居る中、俺にも届くようにそう大声で叫んでいた。その声に驚いたのか教室に居たはずの生徒達も皆、廊下を覗いたり出てきたりしている。俺のクラスの生徒だけじゃなく他のクラスの生徒達も出てきていた。その中に朋成くんと昭二も出てきていて、俺の方に目線を向けていた。俺は驚いてその場に鞄を落としてしまった。 「好きなんだよ、明が」  それでも構わずに、治弥は俺の元に近寄ってくる。驚いて目を瞬かせている俺の傍まで来ると、治弥は俺の右頬を撫でながら、もう一度、今度はゆっくりとそう告げてきた。 「……、俺の事嫌いになったから、離れるって言ったんじゃないの?」 「え? なんでそうなるんだ?」 「だって、俺が触らないでって言ったから」 「いや……、それは、俺が明を怖がらせたからで」  俺の頬を触る治弥の手に、俺は自身の手を重ねて、治弥にそう問い掛けると、治弥は驚いたのか目を見開いて言葉を返してきた。この時にはもう、周りなんて気にしてる余裕はなくて、思ってた事を確かめるように俺は治弥に言っていた。 「俺……、それで治弥俺の事嫌いになったから、離れるって言ったのかと思って」 「俺はこれ以上明を傷つけたくなかっただけで、傍に居たらまた嫉妬して同じことしそうになるし、もう止められないし」  治弥の口から出てきた言葉は、俺の想像とは全く違う言葉で、治弥が嫉妬なんてする事に驚いて、治弥の手に重ねていた手でそのまま治弥の手を握ると、治弥は握り返して、握ったままで手を下ろし俺達は目線を合わせていた。 「えっと……、嫉妬?」 「あ、うん」 「ヤキモチであれ?」 「うん、ごめん」  ”あれ”と間接的な言葉で言ったけど、治弥には通じたみたいで、治弥は申し訳なさそうに頭を下げた。そっか……、ヤキモチなんだ。そっか……。 「俺と……一緒だ……」  俺はそのまま、思った事を口にしてしまっていた。俺の言葉を耳にすると治弥は驚きの表情を浮かべて、俺に問い掛けてきた。 「え?」 「俺も治弥の前の彼女にヤキモチ妬いてたから……」 「明……」  握り返された手に目線を落として、更に力を込めて俺はそう言葉にしていた。 -13-  えーっと、なんだろう……、これ。俺、明に振られてるわけじゃないよな……。明は直接的に俺の気持ちに答えてきてるわけじゃないけど、握り返した手はそのままで離さずに居てくれている。それが答えなんだろうか……。  俺が離れると言った言葉は、明には違う意味で言ったのかと思われていた、その誤解は解いたけど、俺の気持ちは明に伝わっているようではあるけど……、そして、今言わなければ、二度と言えない気がしたから、咄嗟で言ってしまったが……。これ、すっげー注目浴びてるな……。明は俺と話すのに夢中で気にならないみたいだけど……、背中から突き刺さる、五十嵐と朋成の視線。明は俯いたままで居て、俺は明の様子を気にしつつも、周りに目線を見配させる。自身の教室の方に目線を向けると、朋成と五十嵐の目線と絡み合う。二人に後で謝らないといけないかもしれない……、心配は掛けたよな……、特に五十嵐。 「うーーー」  俯いたままの明が突如唸りだすから、俺は慌ててしまい、俯く明の頭を、握っている手とは逆の手でゆっくりと撫でつけながら問い掛けた。 「ど、どうした? 明?」 「やだ……」 「や、やだ!?」  やだって……、なにこれ、振られてるわけじゃないよなって思ってたのに、これ、俺振られるのか? だったら、今までの件ってなんだったんですか……。そう、振られる覚悟は出来ていて気持ちを伝えたけど、明の反応が違うから俺は淡い期待を抱いていたのに、今の明の”やだ”で一気に目が覚めた。ヤキモチの件ってなんだったわけ……? 「もー……、嬉しい」  そんな事が頭を巡っていると、明は俯いたままでそう小さく言葉を呟いた。俯く明の顔を覗き込むと、明は目にいっぱいの涙を溜めていた。 「な、泣くなよ……、明ー?」 「だって……、嬉しいんだもん、これからも、治弥の傍に居てもいいの?」 「う、うん。いいよっつうか、傍に居て、もう離さないから」 「うん、絶対離れるなんて言わないで」  零れる涙を片方の腕で拭いながら、明は笑みを見せ、そう答えてくれた。俺達の会話を見守っていた他の生徒達は、明の返事を耳にすると、溜息を吐き捨てて俺達を注目するのを各々辞めて行った。溜息すんなよ、おいおい。ちょっとはこう、祝福モードになれないのかよ……。まあ、いいけど。 「もう、入ってもいいかなー?」 「いいともー」  そんな俺達に近寄って来ながら、朋成が問い掛けてくると、その返事をもう、これでもかって言うくらいの棒読みで返す五十嵐。その会話が耳に届いた明は目を真ん丸に見開いて、今の状況を思い出したのか、熱で赤みを帯びていた頬を更に紅潮させ、握り合っていた手を慌てて明は離した。 「え? わー、うわーー!」  明はそのままその場にしゃがみ込み、頭を抱え込んでしまった。 -14-  治弥と話しててすっかり忘れてたけど、これ、すっごい公衆の面前。は、恥ずかしい……。 「大丈夫? 明都くん」 「恥ずかしい……」 「だよね」  恥ずかしくて、朋成くんに声を掛けられたけど、顔を上げれずに俺はしゃがみ込んだままで、答えていた。だよねと返してきた朋成くんのおかしそうに笑う声が耳に届く。その頃にはもう、廊下に居た生徒達は、俺達に注目を浴びせては居なかったけど、どこまで会話聞かれてたんだろう。 「うーうーうー」 「よしよし」  俯いたままで唸り声を出していると、そんな俺の頭を昭二も笑いながら撫でてくれていた。 「なんで……、こんなトコで言うの、もうー、恥ずかしい」 「え? あ、ごめん」  俺の一方的な責め立てに、治弥は思わずといった感じで謝罪の言葉を口にしてくる。しゃがみ込んでる俺の前に、治弥は屈んで俺の髪の毛を指で梳くように何度も撫でてくれた。 「顔上げて? 明?」 「ん……」 「今、言わなきゃ、もう二度と言えないんじゃないかって思ったから」 「……うん」  治弥に言われて素直に顔を上げると、治弥は目元を緩めて、優しく微笑みながら、そう言い聞かせてくれた。恥ずかしかったけど、それ以上に言ってくれたのは嬉しかった。凄く、嬉しかったんだ。 「あ、授業始まる」  そんな時、廊下に授業の予鈴が鳴り響いた。その音を聞いて、朋成くんは急かすように、俺達に向かって言葉を発する。 「寮……、ちゃんと帰れるか?」 「うん、大丈夫」 「全部の授業終わったら急いで帰るから、ちゃんと寝てるんだぞ?」 「うん、待ってる」  しゃがみ込んでいる俺を治弥は立たせてくれて、膝についた埃を綺麗に払ってくれた。予鈴が鳴って廊下に居た生徒達は次々と教室に戻っていく、朋成くんと昭二も同じように、先に教室に戻った。  治弥は俺がそう返すと嬉しそうに口許を緩ませ笑って、一旦周りに誰も居なくなったのを見渡し確認すると、治弥は俺の腕を引いた。驚いて、俺は治弥の方に顔を向けると治弥は俺の頬に唇を添えた。 「待っててな、帰ったらゆっくり話そう」  そう言うと、治弥はもう一度俺の頭を撫でて、教室に戻っていった。俺は唇が添えられた頬を自身で撫でながら、恥ずかしく俯いたままで学園を後にした。 -15- 「どういう事これ……」  すべての授業が終わり、寮の明の部屋へと自分の部屋にも寄らずに向かったのに、そこには何故か生徒会の先輩達が揃っていた。 「治弥、おかえりー」 「花沢……、ほら早く座れ」 「そうそう、治弥くんには聞きたい事が山ほどあるんだからね」 「噂聞いてから、本人達に聞きたくてしょうがなかったよね」  あれ? 俺、結構急いで帰って来たんだけど……。いや……、途中で伝言聞いて、生徒会室寄って……。呼び出されたのに生徒会室には誰も居ないどころか、生徒会室の鍵すら開いてなくて……。 「なんで、呼び出したくせに、ここに居るんですか。平良先輩に尭江先輩、牧先輩、咲先輩……!」  やられた……、明の部屋に先回りしたくて、こいつら俺を生徒会室に呼び出したな……。狭いこの寮の部屋に、この人数で集まってるからか、先に帰っていた朋成と五十嵐は座るとこもなく、部屋に備え付けられている学習机に寄りかかっていた。 「五十嵐……、せめて、入れんなよ」 「先輩方、俺と朋成帰ってくる前から部屋にいた」 「俺らはもう、事情聴取されたから、用済みになったんだって」  事情聴取って……。たぶん、これ、最初に明に聞きまくって、明は恥ずかしくなって布団から出てこなくなったパターンか。その後に帰ってきた朋成と五十嵐にまた聞いたわけだ……。 「もう、十分聞いたから、俺から聞かなくてもいいんじゃないですか?」  先輩方に言われるままに、俺は先輩方に囲まれる形で部屋の中央に置いてあるテーブルの前にあぐらをかいて座った。 「公衆の面前とかやってくれたね……、治弥くん」 「ねー! 治弥! 好きだって叫んだってほんとー??」 「なんで、こんな美味しい感じの、誰も動画撮らんかったの、見たかった」 「動画とか撮られててたまるか!? つうか、いっぺんに聞かれてもどれから答えていいか判りませんよ先輩方!」  寮に帰ったら、明とゆっくり話しようと思ってたのに……、なにこれ、なんの嫌がらせ。俺はテーブルに額をぶつけて俯いてしまう。 「ところで、明って熱下がってました?」 「俺ら来た時は、もうすっかり良くなったみたいで」 「元気に部屋を開けてくれたよ?」 「なら、いいんですけど……、明ー?」  俺は顔を上げて、明のベッドを見上げながら、声を掛けた。俺の声に反応したのか、ベッドの方から布団が動き擦れあう音が微かに耳に届いてきた。その音で明が起きてるのは明白で、間違いなく先輩達は明にも事情聴取とやらをやったんだな。 「……はぁー」  俺は深く溜息を吐いてしまった。   -16-  ドアがノックされたから、治弥が帰ってきたと思ってドアを開けたら、生徒会の先輩達がそこには居た。どこで聞いて来たのか判らなかったけど、四人に色々聞かれて、もう恥ずかしくて、朋成くんと昭二が帰って来たから、俺はそのままベッドに潜り込んだ。 「明?」 「……ん?」  平良先輩達を上手くあしらってくれた後、治弥は俺のベッドに乗り込んで、傍でずっと頭を撫でてくれている。朋成くんと昭二は気を効かせてくれたのか、寮の談話室に先輩達と共に行ってくれた。 「熱、……下がったか?」 「ん……、それはたぶん大丈夫。帰ってからいっぱい寝てた」  心配そうな治弥の声を聞いて、俺は布団に入ったままで上半身を起き上がらせ、隣に座っていた治弥へと向き直した。向きを直すと、治弥と目線が合って、なんだか気恥ずかしくなってしまい、俺は目線を下ろし俯いてしまった。そんな俺の前髪を治弥は掻き上げて、顔を覗き込んでくる。 「あのさ……、明?」 「……ん?」 「抱きしめてもいい?」 「え? あ、うん」  俺の様子を伺いながら治弥が聞いてくるから、なんかそんな治弥が愛しく想えた。うんと一つ頷き答えると、治弥は俺の腕を引いて抱き寄せてきて、俺はされるがままに治弥の肩に顔を埋めて身を任せた。 「あー……」 「治弥……?」  抱き合ったままで居ると、治弥が突然声を出すから、不思議に思って俺は治弥に問い掛けた。 「いつもこうしたいって思ってた、ずっとこうしたかった。腕の中に収めたかった」 「治弥……」  治弥は俺の頭をゆっくりと撫でつけながら、耳元でそう呟いてきた、それが凄く治弥の気持ちが伝わって来て、嬉しくて泣きそうになるのを俺はグッと堪えていた。身を任せていた俺の身体を離し、治弥は額同士を触れさせたかと思ったら、真っ直ぐ俺の目を見て、言葉を続けた。 「もう一回言ってもいい?」 「う、うん」 「世界中の誰よりも、今も、昔からもずっと……、きっとこれからも明を愛してる。明が一番大事だよ」  俺の目を見たままで、治弥ははっきりと一つ一つの言葉を刻み込むように、真剣な眼差しでそう告げてきた。嬉しくて泣きそうになってるのを堪えていたのに、その言葉を耳にしたら、涙は勝手に溢れてきた。 「……俺も、……治、弥が……すき、大好き」  涙が出てちゃんと口に出来なくて、上手く気持ちを伝える事が出来なかったけど、俺なりの精一杯で答えると、治弥は嬉しそうに笑みを零した。俺の涙を指で拭うと、治弥はそのまま唇を重ねてきて、俺は瞼を閉じた。触れるだけの、優しい口づけ。幸せを感じれるキスだった……。   -17-

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