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「それにちょうど、麦の耕作地を広げるための用水路の建設に、人手が欲しいと思っていたところなんじゃ。汗を流して働いて、家族の笑顔を見ながら、うまいパンを食う。これ以上の幸せがあるかい?」  マーヤはパチリと片目を瞑ってみせた。 「そんな幸せを知っちまったら、麻薬なんてものは必要なくなるのさ」  そのとき、玄関扉を叩く音がした。 「おーい、マーヤ爺さん! エルネスト! 難しい話は終わったか? 酒持ってきたぞ!」  返事も待たずに勝手に扉が開かれる。続々と男たちが上がり込んできた。その手には大きな甕が抱えられている。 「おお、今年のバーシュ酒か」  それを見て、エルネストが嬉々とした声を上げた。テーブル上にドシンと置かれた甕の蓋が開けられると、プンとアルコールの匂いがし、白く濁った液体が見えた。 「やれやれ、こいつらときたら。うちで朝まで飲み明かさんでくれよ」  マーヤは愚痴を零しながらも、茶碗や湯呑みなどを戸棚からありったけ持ってくる。 「エルネストが来たんだ、飲まずにいられるかよ!」 「おう、そっちの綺麗な兄ちゃんも飲めや!」  杓子で無造作に注がれた茶碗が差し向けられる。 「…………」  この雰囲気の中、断ることなどできない。リヒャルトは意を決して、なみなみと酒が入った茶碗を受け取ろうと手を差し出した。 「すまんな、こいつは飲めないんだ」 「……っ?」  だが、横から大きな手がやってきて、その茶碗を攫った。  隣を見る。エルネストがニッと歯を見せた。  エルネストは笑うと、精悍で男らしい顔付きが途端に無邪気な子供のようになる。その笑顔に、いつ何時でも平静を装う訓練を受けてきたはずのリヒャルトの鼓動が、跳ねた。 「俺が代わりに飲むから勘弁してやってくれ」 「えー、そうなのかよ? 今年の出来は格別なのにもったいねぇなぁ」  村の男が残念そうに言っている間に、エルネストは茶碗の酒を一気に飲み干してしまった。 「ほらほら、次だ次!」 「お、おう! さすがエルネスト、すげー飲みっぷりだぜ!」 「次の甕、持ってきたほうがいいんじゃないか?」 「マーヤ爺さんも飲めよ! あ、爺さんは一番小さな湯呑みにしとけよ?」  エルネストが言うと、 「わしを年寄り扱いするな! わしの酒豪伝説を知らんとはモグリだな!」 「一体何年前の話だよ!」  全員が腹を抱えて大声で笑う。  エルネストはあっという間に場の空気を掌握してしまう。リヒャルトが酒を飲めないことなど、もはや誰も気に留めていなかった。  逞しい身体に村の男たちと変わらない質素な服、日に焼けた顔に無精髭。誰にも気さくで分け隔てしない。しかしエルネストからは、誰をも惹きつける隠しきれない魅力が発せられている。  喧騒から逃れるように、リヒャルトはそっと席を立ち、長老の家を出た。  陽が傾き始めていた。風が冷えてきて、灰黒色のコートの前を合わせる。  エルネストが新入りのリヒャルトをこの村に連れて来た意味がようやくわかった気がした。 『麻薬工場の壊滅』  エルネストは、ただ工場を潰すことが目的ではないのだ。もちろん、ゴダールから政権を奪取することでもない。この国の民、ひとりひとりを幸せにすることが、彼の真の目的なのだ。 「やっぱり、本当だった」  夕暮れに、リヒャルトの声が落ちた。  太陽は分け隔てなく、すべての人に等しく温もりを届ける。  ……これが、あの人の目指す『太陽の国』。  長老の家からは、男たちの陽気な歌声が聞こえてくる。この地方の歌なのだろうか。 「……でも」  リヒャルトはエルネストの歌声を振り返って、風の中、呟いた。 「エルネスト。あなたは……甘い」

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