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3-2
エルネストはリヒャルトの身体を自身のベッドに横たえさせた。
消毒薬を傷に塗ると、染みるのか、ヒクリと身体を痙攣させるが、意識は戻らない。手当てを続けていると、腹の中央に手のひら大の傷跡があるのを見つけた。鍛え上げられた強靭な肉体を穢すかのように、皮膚が放射状に引き攣れている。今日できたものではなく古傷なのだろう。エルネストは初めて、この男の過去を見た気がした。
額に浮き出ている汗をタオルで拭いていたときだった。
「……んっ」
リヒャルトが身動ぎした。
「リヒャルト!」
声を掛けると、うっすらとその目蓋が開く。そして、虚ろながらもエルネストの姿と、その手に持ったタオルとを認めると、一気に覚醒し、ガバリと起き上がろうとする。
「おいっ、起きるにはまだ早い!」
肩を押さえるが、
「ど、どうして、」
リヒャルトは痛みに眉を顰めながらも、その手を振り切り、ベッドに上半身を起こした。彼の薄青の瞳には困惑と驚愕が現れている。
「どうして、あなたが……私の手当てを……」
「まったく、どいつもこいつも言うことを聞かない奴らばかりだな」
エルネストは苦笑しつつ、再びリヒャルトの額の汗を拭いた。ビクリと肩を竦める。
「怪我をしている人間が目の前に居る。手当てをするのは当然だ」
「でも……私は」
「リヒャルト、言っただろう」
その視線を受け止め、エルネストは言い含める。
「俺はおまえを信じる、と」
「…………っ」
するとリヒャルトは声を詰まらせ、俯いた。
「今は俺の応急処置で悪いが、ドクターがアジトに戻ってきたら、きちんとした治療をしてもらうから安心しろ。脇腹と脚のとこは縫わなけりゃ……」
「エルネスト、私は……っ」
エルネストの言葉を遮るようにリヒャルトが顔を上げた。艶やかな髪は乱れ、その表情はなぜか、今にも泣き出しそうな子供のように見えた。だがそんなリヒャルトを、エルネストは今までで一番人間らしいと思った。
「あなたに、話さなければならないことがあるんです」
「なんだ」
エルネストは静かに訊いた。
「バッガスが言っていたことか?」
「……はい。私が……、ゴダール少年団に居たというのは、事実なんです」
「それだけか?」
リヒャルトは首を横に振った。
「でも、両親があの政変で死んだことも真実なんです!」
「じゃあ、バッガスが見たおまえの両親というのは?」
「養親です。私は政変で親を亡くしたあと、子供に恵まれなかった現在の両親に養子として引き取られました。彼らは良き人々でした。……ただ、ゴダール政党の幹部だったという事実を除いて」
何かを掴むかのようにリヒャルトは拳を握った。
「五歳の私が生きていくには、両親の言いなりになるしかなかった。指示通り、私は十歳でゴダール少年団に入りました」
もしここにバッガスが居たら、大声でリヒャルトを罵っていただろう。
あの政変以前の戸籍は、ほとんどが戦火によって消えている。リヒャルトの話す素性を裏付けるものなど、何ひとつないじゃないか、と。
両親が本物か偽物か、少年団に入ったことが無理やりだったのか、自らの意思だったのか――。
証明できないからこそ、この男は話さなかったのだろうと、エルネストは思った。だがひとつ、エルネストにはどうしても訊きたいことがあった。
「いくら幼い頃に両親を殺されたといっても、政党幹部の両親、そして少年団。子供のおまえが二十年もの間、どうやってゴダールの思想に染まらずに生きてこられたんだ? どうして、俺たちの仲間になる気になった?」
するとリヒャルトは一度金色の睫毛を伏せ、そして決意したかのように碧い視線を上げた。
「あなたの手の温もりが、あなたの声が、ずっと、ここにあったから」
リヒャルトは手のひらを、自身の腹にある傷痕に当てた。
「あなたが私に、『生きろ』と言ったからです」
エルネストは瞠目し、リヒャルトの顔を凝視する。
「まさか、おまえ、あの時の……」
止まらない血。青ざめていく頬。腕の中で冷えていく小さな身体。
二十年前の光景が生々しく、エルネストの目の前に蘇った。
「生きて、いたのか……」
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