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 エルネストはリヒャルトの身体を自身のベッドに横たえさせた。  消毒薬を傷に塗ると、染みるのか、ヒクリと身体を痙攣させるが、意識は戻らない。手当てを続けていると、腹の中央に手のひら大の傷跡があるのを見つけた。鍛え上げられた強靭な肉体を穢すかのように、皮膚が放射状に引き攣れている。今日できたものではなく古傷なのだろう。エルネストは初めて、この男の過去を見た気がした。  額に浮き出ている汗をタオルで拭いていたときだった。 「……んっ」  リヒャルトが身動ぎした。 「リヒャルト!」  声を掛けると、うっすらとその目蓋が開く。そして、虚ろながらもエルネストの姿と、その手に持ったタオルとを認めると、一気に覚醒し、ガバリと起き上がろうとする。 「おいっ、起きるにはまだ早い!」  肩を押さえるが、 「ど、どうして、」  リヒャルトは痛みに眉を顰めながらも、その手を振り切り、ベッドに上半身を起こした。彼の薄青の瞳には困惑と驚愕が現れている。 「どうして、あなたが……私の手当てを……」 「まったく、どいつもこいつも言うことを聞かない奴らばかりだな」  エルネストは苦笑しつつ、再びリヒャルトの額の汗を拭いた。ビクリと肩を竦める。 「怪我をしている人間が目の前に居る。手当てをするのは当然だ」 「でも……私は」 「リヒャルト、言っただろう」  その視線を受け止め、エルネストは言い含める。 「俺はおまえを信じる、と」 「…………っ」  するとリヒャルトは声を詰まらせ、俯いた。 「今は俺の応急処置で悪いが、ドクターがアジトに戻ってきたら、きちんとした治療をしてもらうから安心しろ。脇腹と脚のとこは縫わなけりゃ……」 「エルネスト、私は……っ」  エルネストの言葉を遮るようにリヒャルトが顔を上げた。艶やかな髪は乱れ、その表情はなぜか、今にも泣き出しそうな子供のように見えた。だがそんなリヒャルトを、エルネストは今までで一番人間らしいと思った。 「あなたに、話さなければならないことがあるんです」 「なんだ」   エルネストは静かに訊いた。 「バッガスが言っていたことか?」 「……はい。私が……、ゴダール少年団に居たというのは、事実なんです」 「それだけか?」  リヒャルトは首を横に振った。 「でも、両親があの政変で死んだことも真実なんです!」 「じゃあ、バッガスが見たおまえの両親というのは?」 「養親です。私は政変で親を亡くしたあと、子供に恵まれなかった現在の両親に養子として引き取られました。彼らは良き人々でした。……ただ、ゴダール政党の幹部だったという事実を除いて」  何かを掴むかのようにリヒャルトは拳を握った。 「五歳の私が生きていくには、両親の言いなりになるしかなかった。指示通り、私は十歳でゴダール少年団に入りました」  もしここにバッガスが居たら、大声でリヒャルトを罵っていただろう。  あの政変以前の戸籍は、ほとんどが戦火によって消えている。リヒャルトの話す素性を裏付けるものなど、何ひとつないじゃないか、と。  両親が本物か偽物か、少年団に入ったことが無理やりだったのか、自らの意思だったのか――。  証明できないからこそ、この男は話さなかったのだろうと、エルネストは思った。だがひとつ、エルネストにはどうしても訊きたいことがあった。 「いくら幼い頃に両親を殺されたといっても、政党幹部の両親、そして少年団。子供のおまえが二十年もの間、どうやってゴダールの思想に染まらずに生きてこられたんだ? どうして、俺たちの仲間になる気になった?」  するとリヒャルトは一度金色の睫毛を伏せ、そして決意したかのように碧い視線を上げた。 「あなたの手の温もりが、あなたの声が、ずっと、ここにあったから」  リヒャルトは手のひらを、自身の腹にある傷痕に当てた。 「あなたが私に、『生きろ』と言ったからです」  エルネストは瞠目し、リヒャルトの顔を凝視する。 「まさか、おまえ、あの時の……」  止まらない血。青ざめていく頬。腕の中で冷えていく小さな身体。  二十年前の光景が生々しく、エルネストの目の前に蘇った。 「生きて、いたのか……」

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