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第12話

卜部さんを急いで起こすと、ホームに電車が入っていくのが見えた。少し呆けていた卜部さんもそれを見て、ささっと棚から二人分の荷物を下ろす。 両手に一つずつのそれなりの大きさと重さのあるバッグを持ちながらも、私の腰にまたも手を回そうとした。 ふと思い立ち、 「昨夜のなら、もう…」 少し俯きながら卜部さんの手を押し戻す。 「本当に?無理していませんか?」 心配そうな顔で、開いた扉から卜部さんが振り向きつつ外へ出る。 続いて私も降りた。 「卜部さんこそ…」 この歳でこんな訳ありげなセリフ…言っていて顔が熱くなる。 しかしそれが卜部さんには恥じらいに見えたらしく、 「あなたは本当に不思議な人だ。昨夜はあんなに積極的だったのに、今はこんな風に恥じらって見せる。今夜はどちらのあなたが私を翻弄してくれるのですか?」 ふふふと笑ってホームにバッグを置くと私の腰に手を回した。 「そんな、積極的だったなんて事は…っ」 その手からスッと逃れると、置かれたバッグに手を伸ばす。 「あなたがあんな風に私を誘惑するから、私の心と体に火がついてしまったのですよ?」 そう言って、私の伸ばした手を掴むと自分の口に近付ける。 「う…卜部さん!?外ですよ!!」 卜部さんが伏せていた目を上げて周囲を見る。 「大丈夫、誰もいませんよ。」 そう言って手に口付けた。 それを見ながら、私は今までの会話を頭の中で思い返していた。そのどれ一つも私には記憶がなく、しかし卜部さんがこんな風に嘘をつくはずもなく… 何をしてくれたんだ、記憶のない時の私!! そう頭の中で叫びながら、瞬間、卜部さんが朝から、「今夜も」と言っている事の意味に気が付いた。 手を引いて無意識に後ずさる。 「どうされたんですか?」 心配そうな顔で卜部さんが私に近付く。 「こん…や?」 「あぁ、あなたが昨夜言っていたんですよ?今夜が楽しみだって。あんな風に煽られたので、今日は一日我慢するのが大変でしたよ。責任取って下さいますよね?」 あの何かを含んだような笑顔を見せて、私が持とうとしたバッグを卜部さんが持った。 「私も持ちますよ!」 そう言って手を伸ばす私に 「私が無理をさせてしまったのですから、持たせて下さい…まぁ、今夜も無理をさせてしまうでしょうけれど…」 そう言ってさあ行きましょうとまたも手が腰に回った。 しかし今の私には、もうそれを拒否するだけの心に余裕はなかった。 今や逃れる道は一つもない袋小路の中にいるようだ。 全ての道が閉ざされた挙句、新しくできたのは私の記憶にはない約束を遂行しようとしている男の元に向かう道だけ。 どうしたら… 心と頭を置いてけぼりにして足だけは前に進んで行く。 このまま回れ右をして帰りたい!! しかし、この旅の目的を思い出し、それはできないと頭を振る。と、同時に、先程の声の事も思い出した。 言おうかどうしようかとそっと卜部さんの顔を盗み見る。 まぁ、いいか… 自分が今まさにフラグというものを立てたと後から知る瞬間だった。

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