61 / 75
第八章・5
「あぁ、降って来た! 七瀬、タオル!」
全身をしっとり濡らした丈士は、マンションへ飛び込んだ。
すぐに七瀬がタオルを持ってくると思っていたのに、その気配が無い。
「おーい。七瀬!」
返事も、無い。
何だよ、役立たずだな、とぶつぶつ言いながら濡れたまま部屋へ上がると、リビングに七瀬が倒れている。
「七瀬? おい、七瀬!?」
抱き起してみると、ぐったりとして力が無い。
「どうしたんだ、しっかりしろ!」
丈士の必死の呼びかけに、七瀬の瞼がぴくりと動いた。
「丈士、さん?」
「七瀬、救急車呼んでやるから。死ぬなよ!」
だが七瀬は丈士の手を取ってゆるく握ると、細い声で言った。
「マスターのところ、連れてって」
「マスター?」
「初めて、丈士さんと、会った、ところ……」
丈士は、なじみのバー『マノス』のマスターを思い浮かべた。
あの人は、医者じゃない。
「七瀬、一体何を言って……」
「お願い」
そこまで言われては、丈士は七瀬に従うしかなかった。
どんどん冷たくなっていく彼の体に焦りながら、自動車を走らせた。
ともだちにシェアしよう!