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貢サイド-4-
新しい抱き枕を探すのも面倒になり家に帰る事にした。
来た時同様電車を二本乗り継ぎ、地元に戻ると二十二時を過ぎていた。
抱き枕の代わりに寝酒を手に入れようと、駅周辺のコンビニに入ったがそこでは酒の取り扱いはしておらず、手に入れる事は出来なかった。
俺はこの街に越して来てから二ヶ月経っていたが、未だに何処に何があるのか把握しておらず、二十二時を過ぎてから酒が手に入る場所が分からなかった。
酒と書かれた看板がないか、適当な路地を出たり入ったりしながら探しているうちに、段々自分が何処に居るのかが分からなくなった。
迷ったな……。
そう思いながらも足を止める事はせずに、ふらふらと適当に歩いていると酒と書かれた看板が目に飛び込んで来た。
店のシャッターは半分閉まっていたが、駄目もとで店の中に声をかけた。
「すみません。もう終わりですか?」
店の奥から仏頂面した四十後半くらいのスキンヘッドの厳ついオヤジが出て来た。
「もう、終いだよ。買うならとっとと買って帰りな」
オヤジは面倒くさそうに頭を掻きながらレジの中に入った。
適当な酒を五本選びレジに持って行くと、店のオヤジは酒を見てから俺を眼光鋭く睨んだ。
きっと未成年のくせにとか思っているのだろう。
だがオヤジは睨んだだけで何も言わず、レジを打つと商品をビニール袋へ入れ、差し出した。
俺はそれを受け取るとさっさと出口へ向かった。
シャッターを潜り、店を出た途端、窮地に陥った。
路地を適当に曲がっていたため帰り道が分からなくなっていた。
来たのは右から来た。それだけは分かっている。
ただその先は全く分からない。
店の前で途方にくれていると……。
「先輩!」
咄嗟に声のした方へ顔を向けると、黒い影がこっちらに向かって手を振っていた。
誰かが後ろに居るのではないかと振り向いたが、人っ子一人居らず、影は確実に俺に向かって手を振っているらしかった。
俺の立っている場所は店の灯りで明るいが、影が立っている場所は店の灯りは勿論、街灯も民家の灯りも殆ど届か無い真っ暗闇で顔が見えなかった。
一体誰なんだ?
訝しんでいると、影は小走りで寄ってきた。
灯りが届く距離まで来て漸く影の正体が分かった。
いや、分からなかった。
顔はハッキリ見えたが、誰だかは分からなかった。
百七十八センチある俺よりも十センチぐらい高く、身体つきのガッシリとした体育会系の男だ。
ニコニコと屈託の無い優しい笑顔を浮かべている。
こんな後輩居ただろうか?
「あっ! 有り難う御座います!」
いきなりペコリと頭を下げた。
訳が分からないと言った顔をしていたのだろう、男は慌てて説明をした。
「この店、俺ん家なんです」
酒屋を指差しながら言った。
ああ、なるほど。
そう思ったが言葉には出さなかった。
目の前の男が誰だかを必死で思い出そうとしていたため、無言でいると沈黙を重たく感じたのか男は慌てて質問を発した。
「その酒全部先輩が飲むんですか?」
「……」
「志野原先輩は酒好きなんですか? 俺、酒屋の息子のくせに全然酒駄目で……」
話を合わせるどころか何の反応もしない俺に男は顔を強張らせた。
「やっぱり先輩怒っています?」
やっぱりって何だ?
俺を怒らせるような何かをコイツはしたのか?
だとしたら俺がコイツを覚えていないはずが無い。
俺のモットーは、恩は二倍、恨みは十倍返しだ。
何かされていたらその場で半殺しぐらいにはしているはず。
コイツの表情を見ている限りじゃ俺にボコボコにされた様子はないし……。
「起こすべきでしたよね? そのままにして行っちゃってスミマセンでした」
あ!
ああ!
屋上で寝ていた一年か!
俺は漸く目の前の男が探していた一年だと気が付いた。
「志野原先輩があまりにも気持ちよさそうに寝ていたもんだから……授業遅刻しちゃいましたよね? すみません」
「放課後まで寝ていたよ」
「ええ! すみません! 俺の所為ですね。ごめんなさい」
申し訳無さそうな情けない顔をして、ペコペコ頭をさげた。
「授業サボるのは何時もの事だから気にしなくていい」
「え? 怒っているんじゃ……」
「怒ってないよ。それどころか感謝しているんだ」
そう言われ、驚いた顔をしている。
「感謝? 俺何かしましたっけ?」
「まぁね」
男は訳が分からないのだろう。腕組みをして小首をかしげた。
可愛かった。
俺より大きく筋肉質な身体つきの熊見たいな男だが、何故かそう感じた。
男が「う~ん」と唸りながら言葉の意味を考えているのを横目に俺は抱き枕の事をコイツに頼むかどうかを考えた。
良く知りもしない、しかも男の添い寝なんてするだろうか?
俺だったらしない。そんな気持ち悪い事。
いきなりこんな頼み事をして目の前の男に避けられたりしたら、俺に安眠の日々は永遠にやって来ない気がした。
この男に抱き枕をしてもらうにはどうすれば良いだろう。
俺はあれこれと考え、ある考えに至った。
友達と言う関係を築いたらどうだろうかと。
過去に一人として友達と言うものを作った事がない俺には、友達と言うモノがどんなモノなのかさっぱり分からないが、何処の誰とも知らない未知の存在より幾分かは引き受けてもらえる確率が上がるはずだ。
今まで一度も試みた事はないが、まずは友達になる事から始めよう。
どうやって友達になるか……まずはそこからだな。
考えがまとまった調度その時だった。
「志野原先輩眠れるようになったんですね」
急にそんな事を言われ、俺は驚いた。
今日初めて会ったコイツが何故不眠症を知っているんだ?
いや、その前に何で俺の名前を知っているんだ?
俺はその疑問を男にぶつけてみた。
男は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「だって志野原先輩目立つから……」
目立つような事を何かしただろうか?
中学の頃はバイクで校内を走ったり、窓硝子を割ったりと色々やったが……。
高校に入ってからはそんなバカな真似はしていない。
……。
…………いや、やったかもしれない。
不眠症になり酒も薬も効かなくなりヤケクソに両方いっぺんに飲んで悪酔いし、救急車で病院に運ばれた。
あれか?
「先輩かっこいいから女子の間ではFan倶楽部とかあるんです」
俺の予想を裏切った答えだった。
何だ。そういう意味か……。
「お前も入っているのか?」
「ちっ、違いますよ! Fan倶楽部会報を見た事があるだけで……」
分かっている。冗談だ。
一々素直な反応をして可愛い奴。
それにしても、会報まで出ているのか……女やる事は分からん。
だが、そのおかげで俺の事を説明する手間が省けた。
考えた。
俺が不眠症だと知っているこの男に抱き枕を今頼むべきか、ある程度の関係を築いてから頼むべきか。
もう、一週間近くも寝ていない。
どうやって友達になれば良いのかその方法さえも分からないのに、関係を築いてから申し込みをするなんて気の長い話だ。
第一、関係を築ける保証は何処にもないのに、待つ余裕なんてないだろう。
散々考えぬいた末、俺は意を決した。
「お前これから暇?」
「はい」
「バイトをしないか」
「バイトですか? これから?」
「俺と寝て欲しい」
いきなりの申し出に男の動きが止まった。
そりゃあそうだろう。
男に『寝て欲しい』と言われて驚かない男は居ない。
平静を装っていたが、内心少しドキドキしていた。
断られる確率の高い頼み事で、しかも断られれば俺に安眠の日はやって来ない。
コイツはいい奴みたいだし、俺が不眠症だと知っている。
金さえ出せば寝てくれるかもしれないが、いくら出されても生理的に受け付けない事だってある。
早まっただろうか?
やはり友達になってから頼むべきだっただろうか?
俺がそんな事を考えながらグルグルしていると男は意外な答えを返してきた。
「あの……俺そういう経験ないんで上手く出来る自信が無いんですけど……」
何か、大きく勘違いしているようだった。
『寝る』の意味をそっちで取ったか。
それにしても上手く出来る自信が有れば、そっちの意味で寝てくれるつもりなのだろうか?
「そうじゃなくて俺が言った寝るは添い寝して欲しいって事で……」
「はい。ですから人と一緒に寝た事無いんで……」
勘違いはしていなかったらしい。
添い寝に上手いも下手も無いだろうに。
「一緒に寝てくれる気持ちは有るのか?」
「はい。それは勿論!」
「ならそれで十分だ。一緒に来てくれ」
「はい。ちょっと待ってて下さい!」
男は慌ててシャッターを潜り、店の中に入っていた。
五分程して、男は入って行った時と同じ勢いで出て来た。
軽く息を切らせながら「お待たせしました」っと、ニッコリ笑った。
見れば、背中には大きな黒いリュックサックがパンパンになって引っ付いている。
一体何が入っているんだかな。
「さあ、先輩行きましょう!」
俺の手から酒の入った袋を奪い取り、ズンズンと歩いていく。
「ちょっと待て。 何処に行くのか分かっているのか?」
男の動きがピタリと止まり振り向く。
「あの……先輩の家は何処でしょう?」
恥ずかしそうに頭を掻きながら近付いてくる。
「俺にも分からない」
「はい?」
俺は自分が現在地を見失っている事を告げると、男は納得したという風に軽く笑った。
「とりあえず駅まで連れて行ってくれ」
「はい!」
元気に返事をして男は再びズンズン歩き始めた。
コイツが現れなければ俺は数十分この界隈を闇雲に歩いていたに違いない。
コイツに会えて本当に助かったと、心底思った。
男に案内されて駅まで戻ると、二十三時を過ぎており、会社帰りのサラリーマンの姿が疎らにあるだけだった。
俺は切符を購入するために財布を開けて見るが、小銭が数枚有るだけで紙幣は一枚も無かった。
ホテルでの支払いと、酒を買った事で全ての金を使い果たしたらしい。
これではホテルに泊まるどころか繁華街に行く事すら出来ない。
「先輩どうしたんですか?」
「どうもしてない。行くぞ」
金を取りに一旦家に戻るため、踵を返すと男は俺の半歩後ろから付いて来た。
そういえば……。
「お前名前なんて言うんだ?」
「え? すっすみません!」
男は慌てて俺の前に回りこんだ。
デカイな。
デカイうえにガタイもいい。
真正面に立たれると威嚇されている気になる。
顔が凄んでいればの話だが。
こっちが身構えなくて済んでいるのは、育ちのよさそうな端正な顔に人好きする笑顔を浮かべているからだ。
「自己紹介が遅れました。碧校一年、稔川 光 です」
丁寧に頭まで下げて挨拶した。
稔川光。
稔川光。
海馬に深く刻まれるように、繰り返し繰り返し男の名前を心の中で呼んだ。
と言うのも、俺は人の名前を覚えるのが苦手だ。
今まで付き合った奴に始まり、毎日顔を合わせているクラスメイトまで顔と名前が見事に一致しない。
深い付き合いをしなければ、人の名前など呼ばなくても何とかなるからな。
「光でいいか?」
「はい。好きに呼んでください!」
嬉しそうに返事をし、再び俺の後ろにへ回った。
「光」
「はい!」
深夜だと言う事を無視した素晴らしく元気の良い返事に思わず振り向くと、光は目をキラキラと輝かせ、自分の名前が呼ばれる事が至福の喜びだと言わんばかりの表情を俺に向けていた。
犬だとしたら、尻尾を引き千切れそうなくらいに振っていそうだ。
なんでコイツはこんなにテンション高いんだ?
まぁ、どうでもいいけど。
「話し辛いから、横に来いよ」
言うと、一瞬戸惑った顔をし「失礼します」と律儀に断ってから真横へ並んだ。
二人仲良く並んだはいいが、会話をどうしたものかと思案し、思いついた質問が一つだけあった。
「そう言えば、お前よく屋上の鍵を持ち出せたな」
「ああ、あれはですね。俺生徒会なんです」
意外な答えに思わず足を止めた。
「生徒会? お前が?」
「見えないですよね?」
アハハっ、と照れた様に頭を掻いた。
確かに見えない。
運動部の部長にはなっても、生徒会には入りそうもない感じだ。
それにウチの高校の生徒会はなろうと思って、なれるものでもない。
成績優秀で人望もなくてはならないし、生徒会の人間から推薦してもらわなくて入れない。
コイツは結構出来る男なのか?
「今週は俺当番で朝学校の旗を上げていたんですけど、その時に忘れ物をしてしまいまして、特別に貸してもらったんです」
「で、ついでに昼寝をした訳か?」
「はい」
ヘラヘラと人懐っこい笑顔はどう見てものほほん系で、出来る男には見えないが……。
まぁ、いいか。
話をしているうちに俺の住むマンション前まで来ていた。
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