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貢サイド-5-

 話をしているうちに、俺の住むマンション前まで来ていた。  オートロックを開錠し、光を連れ立ってエレベーターに乗ると、最上階の十五階で降りた。  開錠しドアを開けてやると光はおずおずと中へ入り、良く通る声で「お邪魔します」と部屋の奥に向けて言った。 「気を使わなくていいよここには俺しか住んでいないから」 「一人暮らしなんですか?」 「足元見てみろよ俺の靴しかないだろ?」  言われた通り光は玄関を見回す。 「ここってワンルームじゃないですよね?」 「3LDKだったと思うが、それがどうかしたか?」 「凄いですね」  確かに高校生の一人暮らしに3LDKは贅沢だろう。  正直、俺はオンボロアパートに住んだって本当は構わない。  ただ金の出資者は俺に何の興味も無いくせに、世間体だけは気にするような人間で、それを許さないし、税金対策で借りているマンションが幾つもあるからその中で一番安くて学校に近い物件を選んだだけだ。 「ちょっと、ここで待ってくれ」  光を玄関先に置き俺は金を取りに奥の部屋へ入って行った。  ベッド脇にあるチェストの一番上の引き出しから財布を取り出し、金を取り出して玄関に戻った。 「先に払っておく」  俺は三万円を光に差し出した。 「何ですかこれ?」 「俺と寝てくれる代価」 「こんなに沢山……」 「金なら幾らでもある。気にしなくていい」 「バイト、そんなにしているんですか?」 「バイトなんかしていないよ。月に三十万小遣いとして貰っている。催促すれば幾らでも貰えるんだ……」  俺の言葉を聞いて光の顔色が変わった。 「俺、そんな金要りません」  笑顔は失せ、怒っているようだ。 「自分で稼いでいない金は受け取りたくないし、働いていない人から金なんか貰いたくないです」  どういう出所の金だって、金だろう。 「最初にバイトだって言っただろ。金の為に俺と寝る事を了承したんじゃないのか? それとも他に目的でもあるのかよ……」 「他の目的?」 「例えば……俺とか?」  光は眉間に皺を寄せたまま目を瞑りゆっくりと息を吐いた。 「そうですね。先輩が目的です」  こいつも俺の見てくれに騙されたくちなのか……。  母親がハーフだからか、俺は目も髪も色素が薄く整った顔立ちをしている。その所為で男も女も寄って来た。  俺の中身とは関係なく。  コイツもそうなのか? 「先輩は不眠症だと聞いていたのに、俺の側で気持ち良さそうに寝ていたから、誰かか傍にいれば眠れるのかと……」  ……。 「男の俺に添い寝頼むくらい切羽詰っているみたいだから、少しでも先輩の役に立てればと思ってきたんですけど」  ……俺は。 「金の為に来たと思われていたんですね? 金を出せばなんでもする人間だと」  自分が嫌悪している人間と同じ人間に何時の間にかなってしまっていた。  金さえ出せば全てどうにでもなると思っている父親を俺は軽蔑していたはずなのに。  そんな男から貰った金で俺は光を買おうとしたのだ。  損得勘定なしに来てくれた光を金と俺の見てくれに釣られて寄って来た連中と同じに見ていた。  俺を取り巻く浅ましい連中から感じるベタベタとした感じをコイツからは全然受けなかったというのに。  俺はバカだ。  光を傷付けたに違いない。  呆れただろう。  嫌われた。  コイツにも――。  …………!  頭の中を何かが過ぎった。  何かを思い出した気がしたが、それが何なのか分からない。  変な不安感に襲われ一歩後ろに下がる。  グニャ。  足が骨を失ったように上手く立てない。  バランスを崩す。  急に全てのものがスローモーションになっていく。  平行感覚が失われ、前だか横だか後ろなのかわからずそのまま倒れていった。  光が呼んでいるみたいだったが、声が遠くて分からない。  身体が重い。  周りの物がゆっくりゆっくりと消えていった。  目を開けると、見慣れた天井が見えた。  ただそこには何時も無いものがあった。  光……。  心配そうに俺を覗き込んでいる。 「先輩大丈夫ですか?」  俺は……気を失っていたのか?  見ればベッドに寝かされていた。  ここまで運んでくれたのか?  重かっただろうにさすがガタイが良いだけはあるな。  変な事に関心した。 「……たよ」 「はい?」  喉が引き攣って、上手く言葉が発せられなかった。 「悪かった……さっき……」  やっとそれだけを搾り出した。 「呆れたろ?」  声が震え、掠れる。 「先輩大丈夫ですか! 何処か痛いんですか?」  光が慌てている。  言葉の意味もよく分からない。  ……!  耳の中に何かか流れ込んで来た。  ゆっくり、ゆっくりと。  俺は右手で耳の付近を拭う。  手に透明な水のようなモノが付いた。  訳が分からなかった。  顔の至る所を拭い、理解した。  自分が泣いている事に。  気付くと、口からは嗚咽がこぼれていた。  不意に気管支に唾液が詰まり、咳き込む。  苦しさから身体を翻してうつ伏せになり身を丸めると、光は心配そうに俺の顔を覗き込みながら背中を軽く叩いた。 「先輩大丈夫ですか?」  俺は光の腕にしがみ付いた。 「……に……で……く……れ……」  噎せ返って上手く喋れない。 「なら……ないで……くれ」 「何ですか先輩?」 「嫌いに……ならないで……くれ」  咳き込みながら何とかそれだけを搾り出した。  息が整うにつれハッキリと「嫌いにならないでくれ」と繰り返し繰り返し、哀願する様に頼んだ。  しがみ付いている手に力がこもる。 「先輩を嫌いになんてなってないですよ! 落ち着いて下さい! 大丈夫ですから!」  俺は自分が何をしているのか分からなかった。  ただ、ただ止まらなかった。  一体どれ位そうしていたのだろうか?  俺は光にしがみ付いたまま動こうとはしなかった。  光は俺がしがみ付いている所為で動く事が出来ず、ただただ優しく俺の頭を撫でていた。  涙もすっかり止まり、頭もある程度ハッキリしていた。  さっきは必死になって言葉を発していたのに、今は喉の奥が詰まり言葉が出てこない。  このまま、眠りたい。  静まり返った部屋に光の声が流れる。 「先輩落ち着きましたか? ちゃんと寝た方が良いですよ。俺、傍に付いていますから寝てください」  傍に付いてる? 「一緒に寝てはくれないのか?」  ぼそり、小さくか細い声で零す。 「寝るのは構わないですけど俺店の手伝いしたから汗臭いですよ」  光は、慌ててそう言った。  そんな事は構わない。  俺は返事をする替わりにしがみ付いていた手に力を込めた。  それを返事と受け取ったのだろう。  光は「失礼します」と断り、ベッドの中に入って来た。  緊張しているのだろうか、光の身体には妙に力が入っている。  俺は、光の広い胸に深く顔を埋める。  確かに汗の匂いがしたが気にはならなかった。  屋上で感じた甘い匂いと混じってよりいっそう甘い匂いに感じられた。  堪らない匂いだった。  ドクン。ドクン。  光の心音が伝わってくる。  早いな。  こんなに緊張していたら疲れるだろうに。  最後に思っていたのはそんな事だったと思う。  俺は何時の間にか眠りについていた。

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