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貢サイド-7-
光は土曜日曜と店の手伝いを休んで、まるまる全ての時間を俺に付き合ってくれた。
何処にも行かず、何をするわけでもなく、ただ光と横になっていた。
ずっと動きっぱなしというのも辛いが、何もせずにじっとしているのも相当辛いはずなのに文句の一つも言わずに俺と寝てくれた。
友達でもなんでもない、ただ同じ学校に通っているだけの人間にここまでしてくれるなんて、なんて良い奴だろう。
人間は何かをする時必ず見返りを求める。
良い人面で近寄ってくる人間は、大概が金か俺自身が目当てだった。
金なんかいらないと言う光のような人間を知らない。
俺は光の事が分からなかった。
「先輩、俺帰りますね」
食事もそこそこに惚けていた俺は、光の声で我に返った。
「何だ? 何か言ったか?」
「聞いていなかったんですか? 制服とか家なんで、もう帰りますって言ったんですよ」
ああ、今日は月曜だったな。
名残惜しいが学校を休ませ部屋に軟禁する訳にもいかず、食事の後片付けを済ませ玄関に向かう光の後ろを重い溜息を吐きながら付いて行った。
玄関に座り込みスニーカーを履いている広い背中に向かって、帰るなと言いたい衝動をなんとか堪える。
ああ、これで安眠の日々は終わりかと、絶望的な気分になり、大きな溜息が自然と落ちた。
スニーカーを履き終えた光は俺に向き直ると、一瞬何か考えるように視線を俺から外し、斜め下を見、直ぐに視線を俺に戻した。
「今後は、生徒会や店の手伝いとかでここに来るのが二十三時以降になるんですけどいいですか?」
驚いた。
光は今後も来てくれるつもりでいる。
「遅すぎますよね? やっぱ駄目ですよね?」
「そんな事無い! 二十四時だろうと一時だろうと構わないから……」
光の二の腕を掴み、詰め寄ってしまった。
俺の慌てぶりに、光は驚いた顔をしている。
ひ、引いただろうか?
いや、絶対に引いたに違いない。
気まずさに顔を引き攣らせながら、掴んでいた二の腕を離した。
「だから、その、来て…くれ……」
語尾が消えそうな声になった。
「はい」
笑顔で返事をし、ドアを開けて出て行こうとするのを見て、俺は一歩踏み出していた。
行かないでくれ、帰らないでくれと、言葉が喉まで来ているのを無理矢理飲み込む。
「ちゃんと学校に来て下さいね」
やはり優しい笑顔で言われ、俺は何も言えなかった。
光の姿がドアに阻まれ見えなくなり、ゆっくり、ゆっくり閉まって行く。
足音が遠くなるのを聞き、寝室へと向かった。
ベッドに倒れこむように横になる。
さっきまで光のいたベッド。
まだ、あの甘い匂いが残っている。
とても気持ちの良い落ち着く匂い。
光の匂いを感じながら布団を抱きしめていると、玄関の開く音が聞こえた。
玄関からリビングを抜け、寝室へと人の気配がどんどん近付いてくる。
扉の開き誰かが入って来た気配を感じるが、身体がだるくて起き上がれない。
どんなに動かそうとしても全然動かなかった。
まるで金縛りにでも掛かっているかのように。
仕方なく目だけで気配のする方を見る。
ズボンが見える。見覚えのあるズボン。
さっきまで見ていた……。
「光なのか?」
「はい」
返事をするとベッドに腰を降ろした。
「お前帰ったんじゃないのか?」
「先輩が心配で……」
そう言うと光の手が俺の頭を優しく撫でた。
帰ったとばかり思っていたので、戻って来てくれて正直嬉しかった。
「学校はどうするんだ?」
「どうでもいいです。学校なんて」
……。
光はこんな事を言う奴だっただろうか?
変な違和感を感じた。
――ズルリ。
身体が落ちる気がした。
ベッドに横になっているのに?
身体が震えた。
冷や汗をかいているようだった。
心臓がバクバクいっている。
さっきまで全く動かなかった身体が、何故か動いた。
身体を起こしベッドの周りを見渡す。
誰も……居ない?
「光? 光!」
家中に聞こえるように大声で呼んでみるが、返事はない。
やはり誰も居ない。
さっきのアレはなんだった?
気配はあった。感触もあった。声も聞こえた。
だが、誰も居ない。
白昼夢だったのだろうか?
幻覚だったのだろうか?
分からない……。
分からない……。
分からない……。
俺は自分に恐怖した。
俺は制服に着替えると、水を身体に流し込み学校へ向かった。
身体は何時も通りだるく、足も重い。
だが、一秒でも早く学校へ行き光に会いたかった。
光に会えばこの不安感を拭い去る事が出来るような気がした。
歩みが次第に速くなる。
幾つかの角を曲がり、大通りに出る。
何時もより時間が早い所為か、学校へ向かう人間が疎らだ。
それでも何人かの人間に声を掛けられたが、今日は答えてやる余裕が無い。
無視して足早に学校の門を潜った。
玄関で上履きに履き替えようとしたが、先日上履きのまま帰ったため下駄箱には靴が入っていた。
俺は仕方なく来客用のスリッパを履き一年の教室のある四階をうろついた。
光が何組なのか分からなかったので、その辺に居た人間を捕まえて訊いてみると、生徒会をしている所為か、光の名前は誰もが知っていた。
教えられた一年C組の教室に行って見たが、光の姿は見当たらなかった。
クラスの人間に光の行方を訊くと、生徒会の仕事で朝は殆ど居ないと言われた。
一分一秒でも早く会いたいと言うのに……。
苛立つ気持ちを抑えて出直す事にした。
一時間目が終わり、光のクラスに再び向かった。
だが、光の姿は無かった。
「おい、あんた。稔川は?」
「あっ。志野原先輩! 稔川君ならさっき先生に呼ばれて出て行きました」
またか……。
「あの、稔川君に用があれば伝えておきましょうか?」
俺に質問された女がおずおずとそう言った。
「いや、いい」
俺は諦めて次の休み時間に掛ける事にした。
二時間目、三時間目と光の教室に通ったが、その度光は何らかの用事で居なかった。
不安感とイライラが募り爆発しそうだった。
何故同じ学校に居るのに会えないんだ!
夜中に光が来てくれるまで会えないのか?
それまで我慢しなければならないのか?
そんなのは……堪らない……。
俺は精神の高揚を抑えようと、両手で顔を押さえ込むようにして目を閉じる。
「おい、志野原!」
うるさい! 俺に話し掛けるな!
「一年が呼んでいるぞ」
弾かれたように教室の出入り口を見る。
端整な顔に人懐っこい笑顔を浮かべた男が立っていた。
俺は足早に光のもとに近寄った。
「すいません先輩。何度も足を運んでいただいたみたいで……」
光の話をさえぎり、腕を掴んで歩き出した。
「せ、先輩?」
光は困惑しながら引き摺られるように歩き出す。
階段を上り屋上へ出る扉の前までやって来た。
懐からピッキング道具を取り出し手早く鍵穴に差し込む。
「先輩何しているんですか!?」
ガチャ。
鍵が開くのを確認し、ドアを開けると同時に光を引っ張り込む。
誰も居ない屋上に出て、漸く安心して触れる事が出来た。
肩に、腕に、その存在を確認するように触れた。
締まった筋肉。硬い身体。ちゃんとした質感がある。
ああ。
本物の光だ。
朝見た光の幻覚にも感覚はあったが……。
いや、あった気がしただけかもしれないが、全然違っていた。
安心して力が抜けた。
寄り掛かるように光の胸に倒れ込む。
光は何も言わずに肩を抱いて支えてくれていた。
甘い匂いがする。
光の匂いに包まれて、少しだけ泣きたい気分になった。
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