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光サイド-6-

 志野原さんの抱き枕のバイトを始めてから一週間以上が経った。  夜、俺の腕の中で泣く事は無くなったものの、時折見せるすがるような寂しげな瞳が痛かった。  先輩にそんな顔をされては少しでも一緒にいて上げたくて、登下校を共にするようになっていた。  今日、志野原さんは担任の先生に呼び出されたとかで、職員室に寄っていた。  志野原さんが来るのを正面玄関で待ちながら俺は携帯を手の中で弄び、先週記録された電話番号に掛けるかどうか悩んだ。  彼なら志野原さんの事を何でも知っているのではないかと。  志野原さんの情報を引き出す事が出来れば、志野原さんの寂しい瞳の理由も分かるに違いない。  そうすれば先輩を助ける手がかりもつかめるかもしれない。  そう思いながら電話を掛けられずにいたのは、可愛らしい顔に優しく微笑みを浮かべる反面、目の奥が笑っていないように見えたからだった。  彼、志野原(しのはら)(あきら)はとても危険な感じのする人物だったのだ。  その時、不意に機械的なメロディが鳴り響いた。  携帯を見てみると、まさに掛けるかどうが迷っていた人物の番号が表示されていた。  軽い驚きを覚えつつ、携帯に出ると、記憶に新しい声が耳に流れてきた。 『あぁ。光くん? 僕、志野原 晃です。覚えていますか?』 「ええ、勿論覚えています」 『良かった。ねぇ、突然で悪いんだけど近いうちに会えないかな?』  いきなりの申し出に答えを出しかね黙ってしまった。 『君に会いたいと言う人が居るんだ』  俺に会いたい人間。  大丈夫かな?  正直そう思った。  俺が警戒しているのを察した彼は、電話の向こうで『くすっ』と笑った。 『兄さんから何か僕に付いて警告されているのかな? 心配しなくてもいいよ。君には本当に何もする気は無いんだ。僕の言葉が信じられないなら、誰か信用出来る人間を連れて来てくれて構わない』  彼の言葉を全面的に信用したわけではなかったが、俺自身彼には訊きたい事がある。 意を決して彼に会う事にした。 「明後日でもいいですか? バイトを休んで時間を作りますから」 『明後日は六時間授業? 十六時位に駅前に迎えに行くよ』  そう、言われ電話が切れた時だった。  背後に人の気配を感じ振り向くと、気だるそうに志野原先輩が立っていた。 「悪いな、待たせて」  俺は携帯をさり気なくしまい、微笑みながら「いいですよ」と言った。  先輩に言えば反対されるか、付いて来ると言われそうだったので、志野原 晃に会う事は黙っておいた。  約束の当日。  十六時前には駅に着き、彼が現れるのを待っていた。  約束の時間を三十分過ぎても彼が現れる様子は無かった。  都合が悪くなったのか、それとも何かあったのかな?  そんな心配をし始めた時、携帯が鳴った。 『もしもし? 遅くなってごめんね。そろそろ駅に着くから車道の側に居てくれる?』  俺は指定された通りに車道付近に移動した。  暫くすると黒塗りベンツがウインカーを点滅させながら俺の側で止まると、真っ黒なフィルムの貼られた窓が小さな電気音をさせながら下りた。  中から、アイドル顔負けの可愛らしい少年が顔をのぞかせた。 「ごめんね。待たせて。乗って」  言いながらドアが開かれた。  俺は言われるがままに車に乗ると車は直ぐに発車された。 「本当にごめんね。道路が工事されてて混んでてさ」 「何処に向かっているんですか?」  遅刻の理由を説明している彼の言葉を遮るように質問をした。  一拍おいてから彼は微笑んだ。  優しく微笑んでいるのかもしれないが、俺には妖艶な悪魔の微笑みのように見えた。  何か心を見透かされているようで、居心地の悪さを感じた。 「そんなに警戒しなでよ。行き先は志野原邸。つまり貢の実家さ」  先輩の実家。  俺に会いたいと言う人は両親のどちらかなのだろうか?  それとも……。 「一つ良い事を教えようか? 今、車を運転している男はね、昭島(あきしま)と言うんだ。アレは僕の監視役なんだよ。僕が悪さしない為のストッパーなんだ。なぁ? 昭島?」 「はい」  昭島と呼ばれたドライバーは進行方向を向いたまま声だけで返事をした。  運転席の対角線上にいる俺からは昭島さんの顔は良くは見えなかったが、30代後半の身体つきのガッシリとした渋い感じの人に見えた。 「だから光くんには何もする気はないし出来ないんだよ。安心した?」  悪戯ぽく笑う彼に、やはり居心地の悪さを覚えた。  車が走り出してから一時間以上経った頃、辺りはすっかり閑静な住宅街へと景色を変えていた。  大きな一軒家が立ち並ぶ中、一際大きな家の前で車は止まった。  彼は車のドアを開けながら「降りるよ」と俺に告げた。  車から降りると辺りは既に薄暗かった。  見渡す限り塀しか見えなかった。  家というよりこの大きさは屋敷と呼んだ方がいいように思えた。 「裏口からでごめんね。正面玄関から入ると部屋まで遠いんだ」  そう言って、大きな屋敷に不釣合いな小さな入り口に消えて行った。  後を追うように中へ入ると、車の移動する音が聞こえた。  一歩、二歩と踏み込んで、俺は圧倒されてしまった。  TVでしか見た事がない日本庭園が、目の前一杯に広がっていたのだ。  薄暗くハッキリとは見えなかったが、相当凄い庭のようだった。 「こっちだよ光くん。暗いから足元気を付けてね」  足元に気を付けながら彼の背を追いかけて行くと、母屋とは離れた場所に小さな家が建っていた。  庭に建っていたので、一瞬茶室かとも思ったがどうやら違うようだった。  彼は慣れた手付きで木の扉を開け「どうぞ」と入室を促した。  運転手の昭島さんは車を車庫に戻しに行ったまま帰って来ていなかったが、扉の手前で部屋の中に誰もいないのを確認してから入った。  茶室をワンルームマンションの部屋に無理矢理改築したような印象を受ける部屋だった。  色褪せた畳や襖が、昨日今日出来たものでない事を物語っている。  俺は無遠慮に部屋のあちらこちらを見た。  キィィィ……。  木の扉が軋みながら閉まった。  次の瞬間背中を勢い良く押され、俺はその場に突っ伏して倒れ込んだ。  身体を翻し起き上がろうとしたが、黒いモノが俺を押さえ込んでいて身動きが取れなかった。 「あんたさぁ警戒心足りないよ」  黒いモノは俺を見下しながら薄く笑った。 「俺みたいなちびで弱そうなヤツなら何とでも出来ると思った? 俺がスタンガンやナイフを持っていたらあんた負けるよ」  確かに俺は志野原 晃に負ける事など想像もしていなかった。  彼1人なら大丈夫だと思っていたのだ。  だが、今彼にはマウントポジションを取られ……いや、その前に、背中を押される代わりにスタンガンを押し当てられていたら気を失い無力化されていたに違いない。  何をされるのかと彼の次の行動に注意を払っていると、何をするわけでもなく彼は俺からゆっくりと身を剥がした。 「志野原の人間の傍にいるつもりならもう少し注意しろよ光」  悪戯っぽく笑いながら志野原 晃は手を差し伸べてきた。  差し出された手につかまりながら身を起こしていると、低い声で「失礼します」と昭島さんが入って来た。 「どうかなさいましたか?」  倒れている俺を引き起こしいてる状態に違和感を感じた昭島さんは、俺と晃さんを交互に見た。 「別に何でもないよ。ねっ? 光くん」  優しく悪魔の微笑を向けられ「えぇ」と思わず合わせてしまった。  昭島さんは軽く溜息を吐き、持っていたお盆を畳に置くと、俺達が座り直したのを見てお盆からお茶を差し出した。 「飲み物なんかどうでもいいよ。光くんに話があるんだろ昭島」 「はい」  驚いた。  俺に会いたいと言う人物は運転手の昭島さんだったのだ。  だが何故?  先程は運転していた所為でよく見えなかったが、こうして改めて見て見ると、昭島さんという人物は眼光の鋭さや、そのガッシリとした身体つきからただの運転手には見えなかった。  本当の仕事……例えばボディガードなどの仕事が本来の仕事のように思えた。  こんな人が俺にどんな話があるのだろうと、固唾を飲んで待った。  昭島さんは俺に身体ごと向き直り、睨むように目を合わせた。 「先程はご挨拶もしませんで失礼致しました。私は晃さまのお世話係をしている昭島(あきしま)《あきしま》 忠継(ただつぐ)と申す者です」  丁寧にお辞儀をされて慌てて「稔川 光です」と頭を下げた。 「不躾で申し訳ないのですが……」 「はい?」 「稔川さんは貢様と恋人同士だとか……」  思いもよらぬ質問に身体が硬直してしまった。  何故そんな話が出て来たのだろうと考えていると、楽しそうに人の悪い微笑を浮かべている人の顔が目に入った。  晃さんか……。  彼が昭島さんに嘘を吹き込んだのだろう。 「昭島さん。誰に何を聞いたのかは知りませんが、俺と先輩はそういう仲ではありません」  俺の言葉を聞いて昭島さんは非難めいた視線を晃さんに向けたが、愉快そうな笑みを浮かべるだけで悪びれる事はなかった。 「大変失礼致しました。それでは、貢様の部屋に入られたのは本当でしょうか?」  部屋どころか同じベットに入って寝ています。  とは言えず「はい」とだけ応えた。 「稔川さんは貢様をどう思われていますか?」  唐突な質問に俺は黙ってしまった。  この人は一体、俺に何の話をしようというのだろうか?  俺と先輩を恋人同士だと思って呼び出したのなら「別れろ」とでも言うつもりだったのだろうか?  恋人でないと分かった今は、先輩に善からぬ思いを抱いている人間であるか否かを見定めようとしているのだろうか?  そんな事をグルグルと考えていると晃さんは痺れを切らしたのか、俺と昭島さんに割って入って来た。 「嫌いじゃないよね? 嫌いだったら一つのベットで、男同士抱き合って寝たりしないよね?」  晃さんの爆弾発言に、俺と昭島さんはギョっとして同時に晃さんを見た。  見たわけでもないのに何故そんな事を知っているんだ? この人は?  いや、それよりもどうしよう  誤魔化すべきだろうか?  でも、やましい事は何もしていないし……。  だが、本当の事を話して障害が増えるのは困るな……。  そんな事を考えていると、低い声がぼそぼそと話し出した。 「貢様は他人を拒絶しています。決して自分の近い場所には触れさせません。晃様の言う事が本当だったとしたら……私は貴方にお願いしたい事があります」  恐いくらい真剣な眼差しに、俺は観念した。  嘘を吐いてもきっと見破られてしまうに違いない。  この人を誤魔化す事なんか無理だろう。  昭島さんに気圧されないよう、真っ直ぐ見据えた。 「晃さんの言った事は本当です」  何故か、昭島さんはホッとしたような表情を見せた。 「そうですか。良かった」  そう言うと正座を正し、両手をつき額を畳に擦らんばかりの勢いで頭を下げた。 「稔川さん。どうか……貢様を助けてあげて下さい!! あの方は……あの方は……このままでは死んでしまうかもしれないのです」  小さな部屋に「お願いします」と何度も響いていた。

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