6 / 226
第6話 危機はいきなりやってくる -1
カッカッカッ、と黒板にチョークの走る音が響いて、教室全体の注目が集まる。
現在火曜の四限目、数学の授業中。
遅刻してきたくせに堂々と前の扉から入ってきた塚本が、教壇にいた数学教師に捕まって、
「この問題、去年教えたやつだから分かるだろ?」
と言われて、素直に解いている最中。
意外なことにスラスラ解いている。
まだ授業も始まったばかりで問題もそんなに難しくはないとは言え、登校直後に解くなんて中々の芸当だ。
「本当に憶えていたとは意外だったな」
解き終わって席に着こうとした塚本に、数学教師が感心したように言った。
「数学、嫌いじゃないんで」
ぽつりと言って、手に付いたチョークを掃いながら足で椅子を引いた。
問題を解いている時から気づいていたけど、今日も塚本は手ぶら登校だ。
教科書は机やロッカーの中にあるから問題無いようだ。
藤堂経由の話だと、留年が決定したその日に教科書とかを荷造りしてどっかの部室に保管しておいたらしい。
「お前もな、試験だけなら優等生なんだけどな」
惜しい惜しいって言いながら、少し聞き捨てならないセリフを呟いて、数学教師は授業を続けた。
塚本は、実は頭が良いのだろうか。
藤堂と塚本と教室で飯を食べるのが習慣になりつつある昼休み、見知らぬ上級生がやって来た。
うちの学校の制服はブレザーで、ネクタイに入っているラインの色で学年を見分ける。
今年は上から、紺、深緑、エンジの順。
その上級生のネクタイの色を見るに、二年生。
ちなみに、塚本はネクタイを買い換えていないようで未だに深緑のラインだ。
「塚本」
落ち着いた外見を裏切ることない、静かな口調で塚本を呼ぶ。
勉強に限らず頭良さそう。
「何でここにいるの?」
塚本が言うと、上級生はうんざりしたような表情で息を吐いた。
「お前、留年してまで俺に面倒をかける気か?」
顔に手を当てて大袈裟気味に言う。
気にしないで飯を食べていようとも思ったけど、やっぱり気になるから訊いておくことにした。
「誰?」
知っていそうな藤堂に小声で訊く。
「うーん……多分、マサくんと同じクラスだった人かな」
さすがの藤堂も、塚本の交友関係を全て把握している訳ではないらしく首を傾げた。
そんなオレたちの会話が耳に入ったのか、話題の上級生がこっちを見た。
「君たち、こいつの友達?」
塚本を指して言う。
「そうです」
藤堂が即答する。
オレも否定する気はない。
「良かったな、友達ができて」
上級生は塚本の肩に手を置いて笑った。
「用件は?」
塚本はちょっと鬱陶しそうに顔を顰めてその人を見上げた。
「新学期が始まってから、何回遅刻しなかった?」
訊き方間違っているんじゃない? と思ったけど、よく考えたらそれは最も効率の良い訪ね方だった。
なにしろ、塚本が遅刻しなかった日は無いのだから。
「遅刻三回で欠席一回と同じ扱い。進級に必要な出席日数は全体の三分の一。去年お前が留年した理由を忘れたとは言わせないぞ」
その人は、実に歯切れの良い口調で言い放った。
やはり、塚本は成績が悪くて留年したのではなくて、出席日数が足りなかったかららしい。
「西原、うるさい」
露骨に嫌そうな顔をして塚本は500mlパックの烏龍茶に口を付けた。
「あなたが西原さんですか」
その人の名前が分かった途端、藤堂がポンと手を叩く勢いで納得した。
やはり知っている人だったようだ。
「どこかで会った?」
けれど西原先輩の方は知らないようで、首を傾げている。
「会うのは初めてですけど、噂は聞いていました」
瞬間、西原先輩の視線が塚本に戻った。
まぁ、この流れでいくと、噂の出所は塚本だと判断するのは正しいと思う。
「西原、これがウワサの彼織ちゃん」
弁解するように塚本が言う。
それで西原先輩も納得したみたいで、「ああ」と呟いた。
オレだけ話が分からなくて、若干の疎外感を覚える。
「こっちも、噂は聞いている」
西原先輩は、何やら珍しいものでも見るような目で藤堂を見ている。
「やっぱり、マサくんと同じクラスだった人だよ」
気を遣ってくれたのか、藤堂がオレに向かって言った。
「同じクラスだったのはもっと昔の話だけどな」
「え? そうなんですか?」
それは知らなかったらしく、藤堂が意外そうに聞いた。
「実際に同じクラスになったのは、中等部の時に一回だけかな」
記憶を辿るように西原先輩がそう言った。
あまり気にしたことなかったけど、今の話で塚本が中等部からこの学校の生徒だということが分かった。
この西原先輩は、中等部から塚本と友達で、こんな感じで塚本の世話を焼いていたのだろう。
面倒見の良い人だな。
ともだちにシェアしよう!