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第10話 それの自覚は突然に -1

 ひたひたと足音が響く。  シン、と静まり返った4号館2階の長い廊下にいるのはオレだけ。  ここには一般の教室は入ってない。  音楽室とか美術室とかいう特別教室がまとめて入っている棟。  今は昼休みで、どこも授業してないから、この棟にも人はいない。  昼休みを過ごすような場所じゃないからね。  校内で一番古い建物で、雰囲気が悪い。  日当たりの悪い所に建っているから、昼間でも電気つけないと薄暗いし。  誰も好き好んでこんな所で飯は食いたくないだろ。  で、なんでそんな陰気臭い棟にオレがいるかというと、さっきの化学の授業で化学室に忘れ物をしてしまったから。  取りに行くのは面倒だけど、ペンケースだから行かない訳にはいかない。  午後からも授業はあるし。  誰もいないから、オレのすること成すことすべてがよく響く。  自分で忘れたのだから仕方無いけど、こんな所にまで戻ってこなきゃならないのが面倒で、「あーあ……」 って言ったオレの声が情けなく響く。  図書室があるから、3階にいけば誰かいるかもしれないけど、ここは本当に人がいない。  オレが忘れ物をした第二化学室は2階の一番奥。  さっさと取って、早く教室に帰って飯食おう。  ガタン!  第二化学室の扉に手を掛けたところで、中から物音がした。  誰かいるのか? 「何すんだよ!」 「それはこっちが言いたい」  決して穏やかじゃない怒鳴り声がして、ビクリと肩が上下してしまった。  手が固まってしまっただけじゃなくて、なんだか扉を開けちゃいけない雰囲気。  喧嘩でもしているのかな?  ガンッ!!  また凄い音がして、何やら言い合っている声がした。  どうしよう。  このまま何も聞かなかったことにして帰るか。  筆記用具くらい誰かに借りればいいしな。  と、オレが扉から手を離した瞬間、物凄い勢いで扉が開いた。  開いた、というより、力任せに引き叩いたってカンジで、その衝撃で扉の磨りガラスがピシピシと犇いた。  現れたのはネクタイのラインから察するに三年生。  左顎あたりを痛そうに手で押えている。  乱暴に開けた当人は、その勢いで出て行こうとしていたらしいけど、扉の前にはオレがいてそれはできなかった。  それが勘に触ったのか、すごい顔で睨まれてしまった。  別に立ち聞きしていた訳じゃないぞ。  偶然だぞ、これは。 「どけよ!」  オレが弁解する間もなく乱暴にオレを押しのけ、その人は足早に行ってしまった。  足も引きずっているぽいし、やはり喧嘩して怪我したのかな?  そうなると、次に目を向けるべきなのは化学室の中にいる方。  昼休みに空き教室で喧嘩しているような人だしな。  怖い人だったら嫌だなぁ。  忘れ物を取るのは後にした方がいいかも。  ちらり、と中を覗いてみたら目が合ってしまった。 「ごめんねー」  明るい調子でヒラヒラと手を振っているのは、「喧嘩」なんて言葉があまりにも似合わない、小柄な人だった。  逆光で溶けてしまいそうに色素が薄い。 「いえ……こちらこそ」  よく分からないことを言って、オレは化学室へ足を踏み入れた。  何が「こちらこそ」なんだか……。  それにしても意外だ。  こんな小柄で可愛い系の人でも喧嘩するんだな。 「一年生?」  忘れたペンケースを探し当てると、その様子をずっと見ていたらしいその人が言った。 「はい」 「今の見てた?」 「……いえ」  嘘は言って無い。  正確には「聞いていた」です。  その声だってあまりよく聞き取れなかったし。 「君も気をつけた方がいいよ」  何を?  意味が分からなくてオレが振り返ると、その人は複雑な笑みを見せた。  ネクタイを見ると、その人も三年生のようだ。  小柄で色白で可愛いけど、いつも見ている美少年・藤堂に比べて大人っぽい。  さすがは上級生。  藤堂も二年後にはこうなるのかな? 「別に男が好きって訳じゃないんだろうけどさ、こうも周りに男ばっかりだと、突っ走りたくなる輩が多くてね」  溜め息混じりにサラリと言った。  嫌な予感がする。 「オレも最近じゃ結構減ったんだけど、まだまだ現役だったみたいだなぁ」  色素の薄い髪に無造作に手櫛を通して、ぼんやりと天井を仰いでいる。  一体、何の話でしょうか? 「あの……喧嘩、じゃなかったんですか?」 「ある意味ケンカだけどね」  化学室の実験台に座ってヘラリと笑った。 「貞操の危機ってヤツ?」  笑い事じゃない!  そんな風に笑って言うことじゃないって。 「だ、大丈夫なんですか?」 「オレは全然へーき。大丈夫じゃないのは向こうだな」  さっき出て行った人を思い出して納得した。  顎と足を攻撃して抵抗したらしい。 「オレ、武道の心得あるから」  握り拳をつくって笑う。  ……あんまり強そうに見えないけど。  でも、実際に撃退をしたのだから、それなりには強いのだろう。 「君、お名前は?」  そろそろ帰ろうとか思ったら、名前を聞かれてしまった。 「瀬口です」 「オレは渡部ね」  渡部先輩は自分を指差しながら笑った。  よく笑う人だ。 「で、瀬口君」  朗らかに言って、オレを手招きする。  よく分からないけど、とりあえず呼ばれているようなので素直にそれに従う。  近寄ると、渡部先輩は自分が座っている台をポンと叩いた。  座れということなのだろう。

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