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《番外》塚本の言い分 -2【塚本】
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先に柔道部の部室を出た瀬口は、教室に戻っていなかった。
瀬口の席を見やると、5限目の教科書が机の上に無造作に置いたままになっている。
ザワリ、と何かが走った。
姿が見えないと気になる。
と言うより心配になる。
見えないと助けることは出来ないから。
胸騒ぎに押されて、再び教室を後にした。
同じ服を着た、同じ年頃の男が校内に入り乱れる放課後は、人を捜すにはとても不向きだ。
塚本には瀬口の行きそうな場所は一つも思い当たらないので、とりあえず、瀬口を最後に見た部活棟辺りから探すことにした。
「あっれ、塚本?」
放課後のこの辺りには塚本の知り合いが多い。
呼ばれたので振り向くと、昨年までは同級生だった黒見康太《くろみこうた》が驚いた表情で立っていた。
塚本と黒見は中等部の頃からの付き合いで、互いに「仲の良い友達」に部類している。
剣道部の黒見が、この時間にこの場所にいることに何ら不思議はない。
黒見が驚いたのは、塚本が部室棟付近に出現した事だ。
「めっずらしー」
幻覚でないことを確かめる為に、黒見は塚本の肩に手を置いた。
「何でこんなトコにいんの?」
置いた手でバシバシと叩きながら黒見が笑った。
「ちょっと、人を……」
「今から30秒後に殺すと言ったら、お前はどうする?」
左首筋に冷たい違和感を憶えた直後、背後から低い声がした。
冷たい感触は、使用方法によっては危険な文房具・カッターナイフだ。
声を聞き分ける必要はない。
いきなり問答無用で意味も無く人の背後からカッターを首筋に突きつけるような人間は、校内広しと言え一人くらいしかいない。
二人もいて堪るか、と言うものだ。
「弓月!」
塚本が口を開くより先に、黒見がその名を呼んだ。
弓月利 。
塚本が今一番警戒しなければならない友人だ。
「あと25秒」
「カウントダウンすんなっ!」
黒見が二歩程後ろに下がって言った。
「軽い冗談だ。俺が汚れるから、流血沙汰は俺の方が勘弁してほしい」
身勝手な事を言って、弓月は塚本から離れた。
さすがに切れてはいないだろうと思っていても、無意識に首筋に手を当ててしまう。
「なんでカッター…」
カチカチカチと刃をしまう弓月に、やや脱力気味の塚本が言った。
「ハサミより使えるから」
「何に使う気だよ」
心の底から訊きたい。
その気になれば素手で人を病院送りにできる弓月に刃物など持たせてしまったら、最強すぎて危険極まりない。
「つーかさ、何で弓月までこんな所にいるの?」
物凄く嫌な予感を秘めつつ、黒見は恐る恐る訊ねた。
部活棟の先には柔剣道場がある。
弓月が道場付近に現れるのは、不吉な事態の前触れだ。
「ウサ晴らし」
カッターを指でクルクルと回しながら弓月が笑った。
弓月は柔道も剣道も強い。それぞれの部長よりも強い。
自分が一番強いことを知っているから、嫌なことがあるとストレス発散とばかりに道場にやって来て暴れていくのが常だ。
弓月は自分より弱い相手を叩きのめすことが大好きなのだ。
部員にとってはいい迷惑でしかないが。
「でも、塚本がいるなら、わざわざ道場まで行く必要ないか」
弓月は笑いながら塚本の腕を掴んだ。
柔剣道部員の代わりを塚本にさせる気なのだ。
塚本は弓月が溺愛している藤堂彼織《とうどうかおり》と同じクラスになってから、弓月に目の仇にされていた。
独占欲の強い弓月には、塚本と藤堂の仲が良くなることが嫌らしい。
塚本にしてみれば、藤堂とは前からの知り合いという事で他のクラスメイトより多少は親しいかもしれないが、弓月が目くじらを立てる程ではないのだから、見当違いなヤキモチは迷惑でしかないのだ。
「悪いけど、今は人を捜してるから、弓月の相手できない」
正直に言った塚本の言葉に、中等部からの友人二人は意外そうに顔を見合わせた。
「自主的に?」
「そう」
人に言われないと何もしない男が自主的に人捜しをする、と言うのは二人にとって驚き以外の何物でもなかった。
学校に来るのも忘れるくらい、基本的に何もかもがどうでもいい精神の持ち主が、一体どういう経緯でどこの誰を捜しているのかは大変興味をそそられているようだ。
「手伝おっか? 誰捜してんの?」
「瀬口」
昼間に瀬口と話していた黒見なら知っているだろうと、名前を出して答えた。
「なんだ、なっちゃんか」
あっけらかんと言う黒見に、塚本は言い知れぬ疑念を抱いた。
「誰、それ」
「弓月の知らないコ」
瀬口と弓月とは以前に一度だけ会っていたが、弓月はきっと憶えていないだろうと判断して、塚本は黒見のセリフをあえて訂正しなかった。
そんな事よりも、なぜ黒見達が瀬口を「なっちゃん」と呼ぶのかという事の方が塚本は気になっていた。
「何? デートの約束でもしてんの?」
ニヤニヤしながら黒見が言う。
「してない」
こういう冷やかされ方には慣れていたが、塚本はそれに乗るような性格ではなかった。
「だぁーから、誰だよそれ」
自分の知らない人物の名を出され、弓月は疎外感からか少し不機嫌気味になっているようだ。
カッターのカチカチという音がやけに響く。
「教えてやるから、早くそれしまえよ!」
カッターを恐れた黒見が逃げ腰で言った。
その刃がいつ自分へ向けられるか気が気でないのだ。
「ああ、悪い。これは幸せ者な塚本専用だった」
刃を半分くらいまで出したカッターを眺めながら、弓月は嫌な笑みを浮かべた。
専用はやめてくれ、と塚本は内心で呟いた。
「なっちゃんは、塚本と同じクラスのお友達」
「塚本と同じクラスってことは、彼織と同じクラスってことか」
と、弓月は前と同じセリフを吐いた。
弓月の思考は藤堂中心が基本なのだ。
「なんでそいつの事を、黒見が知ってるのか不思議なんだけど」
塚本と同じクラスと言うよりも、藤堂と同じクラスの人間を黒見が知っていた、という事に弓月の感心が集まっているようだ。
その事は塚本も気になっていた。
以前に屋上で会った時に、黒見はいなかった筈なのだ。
「この前偶然見かけてさ。エースケとかが知ってたみたいだから、それに便乗した」
エースケこと安達英介《あだちえいすけ》と瀬口が顔見知りであることは塚本も知っていたので、なんとなくではあるが納得することが出来た。
しかしそれは塚本だけで、弓月はさらに疑わしそうに黒見を睨んだ。
「それだと、何でエースケが知ってたのかが不思議なんだけど?」
「それは俺も聞いてないなぁ。塚本、何で?」
弓月の怒りの矛先が自分から逸れて安心したのか、黒見が心なしか弾んだ口調で言った。
「屋上で一回だけ会った」
余計な事を一切省いて要点だけを簡潔に述べた。
屋上が塚本のねぐらになっていることは二人とも知っていたので、大した疑問も無く納得してくれたようだ。
しかし、弓月の藤堂関連の疑いは尽きる事は無い。
「その場に彼織はいなかっただろうな」
藤堂の話など全くしていないというのに、強引に藤堂を引き出してくる。
それが弓月と言えばそれまでなのだが、周囲の者にしてみればいい加減ウンザリしてしまう。
「いなかった」
「本当だろうなっ」
「嘘をついても仕方無い」
いつもよりしつこい事に気づき、弓月と藤堂が喧嘩をしているという話を思い出した。
気が立っているのはきっとその所為なのだろう。
「今回は何が原因で?」
喧嘩の理由を何気なく尋ねた。
主語を入れるのを忘れたが、弓月の機嫌がジワジワと悪くなっているのを見ると、ちゃんと伝わったのだろう。
「わっかんねぇ。あいつ全然分んねぇ。理解不能」
大袈裟に首を横に振って、刺々しい口調で弓月が言った。
塚本や黒見にしてみれば、弓月の方がよっぽど理解不能なのだが…。
今までは大抵弓月に非があった。今回も同様だろう。
「あー、思い出したからまたムカついてきた。塚本、何発か殴らせろ」
「嫌だ」
握り拳に力を入れた弓月に、塚本は当然の即答をした。
が、「殴らせろ」と言った側から蹴りが入れられた。
「そんなにイラついてるなら、さっさと謝ればいい。彼織ちゃんならまだ教室にいると思うから」
蹴られた左足を庇って後ろに下げた。
脛は避けたものの、痛いには違いない。
「彼織に教室に来るなって言われてんの。何? お前、俺らの仲に更に亀裂を走らせる気?」
無事な右足を狙って、弓月の蹴りが何度か飛んできた。
避けているうちに、足ではなく胴の方にも攻撃が飛び火してくるようになった。
「こんな所でヤメロって! どうせなら道場行けよ、すぐそこなんだから」
校内での殴り合いは問題になる、と心配した黒見が二人の間に入って言った。
しかし、その提案は塚本にとっては迷惑でしかない。
「だから、俺は人を捜している途中だから…」
「残念だな、塚本。今日の所は荒んだ弓月の相手をしてやってくれ。俺はこれから部活に行く」
塚本のセリフを遮って、剣道部員の黒見がとんでもない事をさらりと言い放った。
「オイ」
「なっちゃんになら、明日また会えるだろ」
「弓月を押しつけるなって言っているんだ」
見事に引き際を見分け、黒見は強引に話から抜け出した。
それを引きとめようとする塚本の背中に、覆い被さるように弓月がくっ付いている。
「嫌がられると楽しいよなぁー」
殺気すら感じる力強さで、弓月は塚本の首に巻きついた。
「だから俺は…」
「本当に幸せ者だよ、塚本は」
瀬口の心情を知っているからこその黒見のセリフだったが、塚本には意味不明な一言に終わった。
「じゃ、その幸せ者くん。お兄さんと遊ぼっか」
黒見が足早に去ってしまい取り残された塚本は、背後から不吉な言葉を掛けられた。
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