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第35話 危機は再びやってくる -2
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重い扉を開けると、踊り場の辛気臭い空気が解放され、沈みかけの西陽に全身が染まった。
帰る前に屋上に来るのが日課になりつつある今日この頃。
ここの鍵が空いていると事は、当然あいつもいるという事で、分り易くていい。
最初は偶然だった。
委員会が終わって帰ろうとしたら、下駄箱に塚本の靴がまだある事に気付いて、気になってとりあえず屋上に行ってみたら、予想通り寝ていたのだ。
それが何日も続いて、今は下駄箱に行く前に屋上に行くことにしている。
どうせ寝るなら家に帰ってから寝ればいいのに、と思うけど、それは言わない。
放課後にこんな所で寝ているなんて呆れるけど、そのおかげで一緒に帰れるから、ってこれも恥かしいから言わない。
いつもの場所には、案の定塚本が寝ていた。
近寄って、覗き込んでもまだ起きない。
本当によく寝ている。
呆れを通り越して、感心してしまう。
「おい、起きろって」
肩に手を掛けて、軽く揺すってみる。
「おーい、塚本」
耳元で大きめの音量で呼んでみる。
ようやく、少し反応有り。
「……」
煩わしそうに顔を覆った手の奥で、やっと瞼が開いた。
「起きたか?」
ゆっくりとした動作で上体を起こす塚本の横に、膝を付いて覗き込んだ。
塚本は、まだ半分夢の中の瞳でこっちをぼんやりと見ている。
それから顔が近づいてきて、「あっ」と思った時にはキスされていた。
「!?」
いきなりの行動にびっくりしている間に、塚本の唇はすぐに離れていった。
「……あれ?」
塚本はフリーズするオレをまじまじと見つめながら、ぽつりとそう言いやがった。
何だ、こいつ!
「本物だ」
ポン、とオレの頭に手を置いて、ワシワシと撫でてくる。
「やけにリアルだと思った」
寝ぼけているな、こいつ。
寝起き最悪だぞ、塚本。
「悪かったな、本物で!」
オレは嫌味を込めて言いながら立ち上がった。
動悸がうるさい。
怒っているけど、嬉しくもあるなんて、恥かしい。
塚本も制服の塵を払いながら立ち上がって、いつもの目線でこっちを見た。
「いや、得した」
恥かしいから、そんなのわざわざ口に出すなよ。
本当に、塚本の寝起きは性質悪い。
夏休み前から、一応、付き合うという事になって、それなりに時間も経った。
いきなりだとさすがに狼狽えてしまうけれど、キスをされるのには少し慣れたと思う。
なんか色々触られるのも、それほど抵抗はない。
基本的に塚本と一緒にいるのは好きだし、何かされて嫌だという事はない。
心の準備も出来てきた、と思っている。
しかし、そういう展開になるような事は、塚本から仕掛けてくることはない。
たまにキスが濃厚になるくらいだ。
オレが誘うのを待つ、って言ったのは本気だったのかもしれない。
というか、本気だと思う。
そこが、今一番のハードルになっている。
塚本のしたい事をするのは、多分大丈夫、だと思う。
けど、その前の段階として、オレに「誘う」なんて芸当ができる訳がない。
自分で掘っておいてなんだけど、この墓穴は絶望的に深い。
オレから誘うなんて、絶対に無理。
力一杯無理。
でも別にオレはどうしてもしたという訳じゃないし、と言い訳をして、もう暫くは今のままでいいと目を逸らしている。
オレとしては、今のこの距離感も結構好きだったりするんだ。
なんて事を考えているって塚本に知られたら、さすがに見限られてしまうだろうか。
「いつもよく寝てるけど、オレが起こしに来なかったら朝まで寝てる気か?」
屋上を出て、階段を降りながら、後ろからかったるそうに歩いて来る塚本に訊いた。
あのまま置いておいたら、自力で起きるのは一体いつになるんだろう、というちょっとした疑問。
「夏だから、一晩くらいなんとかなる、かも」
そういう問題じゃないだろ。
でも、塚本にしてみればその程度の問題なのかもな。
だから「そーだな」と脱力気味に同意しといた。
「瀬口ー」
廊下を歩いていると、後ろから呼び止められた。
振り返ると、向こうから森谷が走って来る所だった。
すぐ戻ってくる、と言って出て行った森谷だけど、結局時間内には帰って来なかった。
それほど大した作業じゃなかったし、別に気にしてはいない。
「ごめん! なかなか抜け出せなくなっちゃって」
叫びながら走って来る所を見ると、森谷は相当気になっているようだ。
「部活、忙しいんだろ? 全然気にしなくていいから」
オレの前で立ち止まった森谷が気にしないように、できるだけ明るく言った。
森谷がやるより、オレ一人でやった方が早そうだったし。
なんて事は本人には言えないけど。
「本当にゴメンな。明日はちゃんと頑張るから」
言いながら、森谷はオレの隣に立つ塚本に目をやった。
「塚本、もまだ残ってたんだな」
森谷が不思議に思うのも無理は無い。
何もすること無いのに、ただ寝て学校で時間を過ごすなんて、普通はしない。
「お前らこれから帰りか? いいなぁー。俺はまた戻らなきゃならんのだ」
溜め息混じりに森谷が言った。
戻るのは、委員会ではなく部活の方らしい。
「ホント、忙しそうだな」
「忙しいって言うのかね、あれは。ただの一年いびりじゃねぇことを祈るけどな」
なんて言っているけど、こうして聞いている限りでは楽しそうだ。
「気に入られてるんだ?」
「辛うじて」
森谷は苦笑して頭を掻いた。
「じゃ、また明日な、瀬口。塚本も気を付けて帰れよ」
森谷は踵を返しながら言った。
同級生に「気を付けて帰れ」って、普通は言わないけど、塚本に対してだから納得できてしまう。
いつもぼーっとしていて、いつ車に轢かれてもおかしくない感じだ。
実際には、そこまで危なっかしくは無いんだけどな。
森谷が元気に去っても、塚本はその後姿をぼんやりと見送っている。
どうしたんだ?
「今の……」
ぽつりと言って、また黙った。
何か変。
「まさか『誰?』とか言わないよな」
もう九月だというのに、同じクラスの奴を知らないなんて事ないよな。
でも塚本だし、と思って一応訊いてみた。
「言わない。森谷だろ、確か」
塚本は心外そうに言うけど、「確か」って言ってる辺りはやっぱり塚本だ。
「今まであまり話をした事なかったけど、結構楽しい奴だよ」
「仲、良いのか」
「普通だろ。てか、何でお前までそんなこと訊くの?」
さっき渡部先輩にも「仲良い」って言われたけど、そんなの同じクラスで同じ委員会をやっていれば当たり前じゃないか。
「誰かにも、言われた?」
「渡部先輩に」
しかも、渡部先輩なんてとんでもない誤解をしていたし。
「オレが誰かと仲良くするの、そんなに変かな」
親しい友達は沢山いた方が良いと思うのに、いちいちそんな事訊かれていたら面倒で堪らない。
「そんな事はない」
拗ねたように言ったオレに、塚本がやんわりと否定した。
その後に「ただ……」と何かを言いかけて、それきり言葉は出てこない。
「何?」
なかなか続きを言わないからオレが催促すると、塚本は無言でオレをじっと見た。
何だろう?
「いや……少し妬いただけ」
それが、本当に言おうとした事を誤魔化したものだと分っていても、やっぱりオレは進歩なく赤面してしまうんだ。
「……それは、どーも」
「どういたしまして」
毎度のことながら、オレばかり動揺させられている気がする。
それと、オレだけ舞い上がっている気も。
塚本は、こんなオレと一緒にいて楽しいのかな?
と疑問に思わずにはいられないというのに、やはり本人に訊く勇気はない。
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