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第39話 危機は再びやってくる -6
オレにとって一番の恐怖は、力で森谷に敵わないという事だ。
森谷はオレの両手を纏めて押さえつけて、空いた方の手は脇腹を撫でて更にその下へと動きを進めた。
「今はそうかもしれないけど、そのうちそんな事言ってられなくなるよ」
ベルトは既に外されていた。
身を捩っても、下着の中を弄る手を阻むことはできない。
今、口を開いたらとんでもない声が漏れてしまいそうで、オレはただ唇を噛み締めることしかできない。
こうなってしまったら、もう力の差とかの問題じゃない。
本当にヤバい。
この前の屋上の時なんて可愛いもんだった。
あの時は塚本がすぐ側にいて助けてくれたけど、今はこの状況を塚本が知らない上に、部屋には鍵がかかっている。
偶然に部屋の前を通りかかるかもしれない誰かに僅かな望みを抱くことしかできないけど、こんな状態を他人に見られるのは嫌だ。
それでも、森谷にヤられるよりはずっとマシだ。
何とかして、緊急事態である事を外に知らせなければ。
と、何も策もなく天井を見上げた所で異変が起こった。
ガタッ! ガタガタッ! ドン!! ベキッ!!!
物凄い破壊音がその場を支配した。
オレも森谷も、思わず音のした方へ顔を向ける。
入り口のドアに何かあったらしいけど、覆い被さる森谷が邪魔で見えない。
「あ……」
短いながらも、その小さな一言で森谷が驚いていることが分った。
誰かが入ってきたのかもしれない。
そう思ったら、こんな状態の自分があまりにも惨めで、顔を上げることができなくなってしまった。
助けならありがたいけど、この状況を見て何て思われるだろう。
いや、でもとりあえず助かった事に感謝すべきだ。
と頭では分かってはいるけど、身体が上手く動かない。
ドカッ! という鈍い音と共に、オレの上にあった重量が無くなった。
森谷がオレの横に倒れたのが見えて、驚いて顔を上げた。
突然の開放感は、入ってきた「誰か」が森谷を乱暴に退かしてくれたおかげらしい。
その「誰か」は、倒れた森谷の胸座を掴んで起き上がらせ、更に殴りつけた。
苦しそうな呻き声にハッとして、オレは無理矢理口を開いた。
「塚本!」
名を呼ぶと、突然の侵入者である塚本は一瞬手を止めたかと思ったけど、森谷の鳩尾を殴ってから手を放した。
床に倒れた森谷は、僅かに呻いてはいるが意識は無さそうだった。
見上げる塚本は、いつもの塚本じゃないみたいだった。
いつもはもっとぼーっとしていて、やる気なくて、無気力無関心なカンジなのに、今は鋭くてとても剣呑なカンジがする。
初めて見る、知らない人のようだ。
もしオレが止めなかったら、塚本はもっと殴りつけていたかもしれない。
そんな事を考えてぞっとした。
「なん、で……いるの?」
もっと他にいう事はあるのに、こんな言葉しか出てこない。
塚本は、そんな間抜けなオレの元に寄って膝を折った。
「屋上から、こっちを見てたら瀬口が見えて…」
さっきオレが見ていた窓を指差して答えてくれた。
そっか。屋上からなら、見ようと思えばこっちが見えるのか。
でもそれって、すっげぇ偶然じゃねぇ?
だってお前、いつも校舎見ている訳じゃないだろ。
今日、オレがここにいるって知っていた訳でもないだろ。
なのに、ちゃんと来てくれるなんて、ガラにもなく感動してしまう。
「また襲われてるんだと思って、走ってきた」
悪かったな、「また」で。
オレだって「また」があるなんて信じられねぇよ。
肩で息をするくらいに走って来てくれた事に幸せを感じてしまうけど、まだ身体は強張っている。
ゆっくりと伸びてくる塚本の手に、ビクリと反応してしまった。
今のが拒絶だって事、きっと塚本にもバレた。
違うんだよ。
オレが恐いのは塚本じゃなくて……。
「瀬口」
気を悪くさせたかと思っていたら、あまりにも優しい声音で呼ばれて泣きそうになった。
さっきまで、必死に堪えていた涙が溢れてくる。
反射的に俯いたところを、力強く抱きしめられた。
息が止まるかと思うくらい、強く。
塚本だ。
森谷に無理矢理抱きつかれたのとは全然違う。
塚本というだけで、ドキドキも安心感も桁違いだ。
無意識のうちに、しがみ付くように塚本の服を掴んでいた。
それで少し落ち着いてきた。
落ち着いてきた……けど、唐突に心が騒いだ。
塚本は、まだオレの事を好きなのだろうか?
こうして助けに来てくれたという事は、嫌われてはいないと思って良い筈だ。
けど、さっき森谷に言われたのがかなり堪えているようで、どうしようもなく不安になった。
例え、オレに恋愛感情を抱いてなくても、塚本は助けに来てくれるだろう。
何事にもやる気が無いクセに、あんな約束だけは律儀に守ってくれる奴だから。
どんどん不安が広がっていく。
こんな考え方をする自分が嫌だ。
塚本を信じてないみたいで。
でも、好きなんだよ。
卑屈な考え方しかできなくてとても不安だけど、それは好きだからだよ。
堪えていた涙がボロボロと落ちて、どうにも制御は不可能だ。
よく分らないけど、きっとオレは怖いんだ。
心地よい場所を離れるのは嫌だけど、オレは腕を目一杯伸ばして塚本の胸と距離を取った。
オレがあまりにもボロボロと泣いていたからか、塚本はちょっと驚いているようだった。
もう一度引き寄せようとする塚本の手を払って、真正面から塚本を見た。
涙で少し霞んで映る塚本は、困惑しているように見えた。
「オレ、塚本が好きなんだ」
ちゃんと目を見て言えた。
そういえば塚本にこんなこと言うのは、前にドサクサに紛れて「好き」と言った以来だ。
あんなの回数に入れるのには憚られるから、実質初めてだ。
という事は、今まで一回も言ってなかったって事。
最低だ。
塚本には「言ってくれなきゃ分らない」とか文句を言っておいて、オレだって何も言ってなかった。
でも、塚本には伝わっている気がして、そんな気がするだけで安心していたんだよ。
言わなきゃ伝わらないのは、オレも同じなのに。
塚本の気持ちが離れても文句なんか言えない。
と、当たり前すぎる事に気付いて落ち込むオレに掛けた塚本の言葉は、相変わらず予想不可能なものだった。
「知ってる」
……ああ、そうかい。
知っていてくれるならそれでいいよ。
けどさ、受け答えとして何か違わないか?
「………………だったらいいけど」
なんか、気が抜けた。
「でも、ちゃんと言ってもらえると、嬉しい」
これもまた意外な言葉だった。
「う……れしい、か?」
「嬉しいよ、すごく」
思わず訊いてしまったら、当然のように返された。
本当に喜んでいるようで良かった。
良かった、けど、一つ疑問がある。
「嬉しいのは、オレのこと…好きだから?」
祈るような気持ちで口を開いた。
違うって言われるのは怖いけど、頷いてくれると信じて訊いた。
「当然」
「まだオレのこと好きなのか?」
脈打つ心臓の音が耳障りだ。
オレが森谷に何をされたかなんて、この状況を見ればすぐに分る。
それでもまだ……と思って訊いたら、塚本の表情が僅かに曇った。
「何で、そんな事を聞く」
不機嫌、と言う程ではないけど、気分を害したくらい。
「塚本が手を出してこないのは、オレのことそんなに好きじゃないからだって…」
「それは、違う」
森谷の受け売りを言うと、塚本はすぐに否定してくれた。
「でも」
だけど自信を無くしたオレは、更に後ろ向きな事を考えてしまう。
森谷は「俺が塚本だったら、絶対に放っておかない」と言っていた。
塚本と森谷は違う、と思っていても、拒んでいる後ろめたさがある分、どうしても引き摺ってしまう。
「好きだからだよ」
髪を撫でながら優しく言われた。
塚本がしてくれる中で、オレがとても好きな行為だ。
誤魔化している訳ではないだろうけど、そんな風に言われたら、もう何も言えなくなるじゃないか。
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