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第42話 愛に触れる -1【塚本】

「だって…オレ、森谷に色々されて…それで…塚本来てくれたから良かったけど、でも、色んなトコ触られたし……」  ボロボロと涙を流す瀬口は、何も悪くないのに自分で自分を責めている。  そんな姿を見たら、抱きしめる事しかできない。  「触られた」という感覚が消えてしまえばいいと願って抱き寄せた。 「オレの事、嫌いになるだろ?」  それでも、腕の中の瀬口は怯えている。  何故そんな風に思うのか。  どうしてそんな発想に結びつくのだろう。  こんな瀬口を見て、嫌いになんてなれる筈がない。  それどころか、今まで以上に愛しくて堪らなくなる。  嬉しそうに笑うのが好きだ。  だけど、泣きじゃくる表情も捨てがたい、と冷静に思う自分に少し笑ってしまう。  そんな矛盾を抱きながら、頬を伝う瀬口の涙を拭った。 □ □ □  教室に戻るや否や、瀬口はロッカーからTシャツを引っ張り出した。  そして、気前よく、塚本が貸していたワイシャツを脱ぎ、無防備に着替え始めた。  もう少しこちらのことも考えて欲しい、と言っても、きっと瀬口には分らないだろう。  塚本は視線を窓の外に移し苦笑した。  程なくして、瀬口が近寄って来る気配がして視線を戻した。 「これ、ありがと」  瀬口はそう言って、塚本が貸したワイシャツを差し出す。  丁寧、とまではいかないが、返されたワイシャツはそれなりに畳まれていた。  またすぐに着るのだからわざわざ畳まなくてもいいのに、と塚本はぼんやりと思った。 「あ、他に着るものがあるなら、洗濯して返すけど」  その僅かな間を勘違いしたのか、瀬口が慌ててそう付け足した。 「いいよ」  元々、そんな些細な事に拘るような性格ではない。  が、色々思うところはある。  塚本は、やや複雑な心境で差し出されたシャツを受け取り、そしておもむろに袖を通した。  何でもない、その一連の動作を、瀬口はジッと見つめていた。  特に不愉快ではないが、気になる。 「何?」  ボタンを留めながら訊くと、瀬口は「なんでもない」と顔を逸らしてしまった。  どう見ても何でもない事はない態度で、あからさますぎて突付いてくれと言っているようなものだ。 「瀬口」  名を呼ぶと、その声に反応して顔はこちらを向いた。  けれどそれだけだった。  何かを言おうとしている気配はある。  しかし、それはなかなか言葉にはならなくて、瀬口自身も持て余しているように見えた。  瀬口は何を言おうとしているのだろうか。  それが分ればどんなに良いだろう、といつも思っていた。  けれど、今ほど強くそう思ったことはない。  何かを言いたいのか。  それとも、何かを言って欲しいのか。  それすらも塚本には分らなくて、察してあげる事のできない自分を情けなく思う。 「怒ってる?」  とりあえず、一番思い当たる事を訊いてみる。 「はぁ!?」  一番思い当たる節だったのだが、瀬口の反応を見ると違っているようだ。 「何で?」  しかも全くの的外れだったようで、ようやく落ち着いた瀬口を再び混乱させてしまっている。  失敗だったらしい。 「怒ってるのは塚本だろ?」 「俺が?」  確かにさっきまでの塚本は多少なりとも苛立っていたが、今は口に出す程ではない。  そんな塚本よりも、襲われた直後に更に襲おうとした塚本に対して瀬口が怒っていてもおかしくはないだろう。  それなのに、 「……怒ってた、だろ」  と、瀬口の小さな悲しそう声がした。  先ほどの自分の態度が、瀬口にそんな声を出させているのだと分っても、今更どうしようもできない。  ここで抱き締めたら、また怯えさせてしまうのではないだろうか。  そんな思考が、塚本の動きを鈍らせる。  抱き寄せようと、遠慮がちに伸ばした塚本の腕の中に、瀬口が自分から入り込んできた。  伏せた瞳を覗き込む前に、引き寄せられるように塚本の肩口に顔が埋まる。  ぎゅっ、と瀬口がしがみ付いてきたことで、やっと「これだったんだ」と分った。  もっと早くこうしてあげればよかった、という後悔が押し寄せる。  力いっぱいに抱き締めたら、きっと壊れてしまう。  分っているから加減をする。  それができているうちは、まだ余裕がある証拠。  このまま押し倒したら、嫌がられるに決まっている。  それでも無理矢理組み敷いてしまえるなら、こんなに悩まない。  それができないから、だから、瀬口は違うのだ。  いっその事、どこかに閉じ込めてしまいたい衝動に、何度かられただろう。  安達や仲井に対して、警戒心が薄すぎて心配になる。  あからさまな好意を示す森谷と、楽しそうに喋るのも気に入らない。  こんなに強い独占欲は初めてのことだ。  それは、無意識に押さえつけてしまったことで、枷が外れた時の反動は大きくなっているに違いない。  自分がこんなにも浅ましい人間なのだと、気づいてはいけない。  知っているからこそ、認めることはできない。  認めてしまったら、きっと枷は外れる。  塚本にはそれが分っていた。  初めて二人して屋上でサボった日。  ひと眠りして起きた塚本の横には、気持ちよさそうに眠る瀬口がいた。  まだ、「瀬口」と認識できるほどではなかったが、「誰」であるのかなんてどうでもいいくらい、そこにいるのが自然だった。  無意識に手が伸びて、風に揺れる髪を撫でていた。  思った通り、柔らかくて手触りの良いその感触は、昔飼っていた猫を思い出して少し懐かしくなった。  けれど性格は、猫というより犬のようだと思った。  感情がすぐに顔に出て、妙な所で人見知りをしない。  呼ばれれば、どこへでも付いて行ってしまいそうな危うさがある。  心配で、気になって、側にいてくれないと落ち着けない。  探して、見つけた瞬間の安堵が、そのまま瀬口への想い。  今まで、自発的に言おうともしなかった言葉で埋め尽くされる。  どうしてこんなに愛しいのだろう。  考えても答えなど出ないから、もう考えない。  ここにいて欲しい、と思う勝手な心が腕を掴み、髪を撫でるのだ。  瀬口は、塚本がどれだけ瀬口を好きか知らない。  塚本にはそれがもどかしくもあり、心地好くもあった。  もっと自惚れてくれてもいいのに、健気なまでに「嫌わないで」と瞳が言う。  それでまた、愛しさが積み重なる。     「塚本、もう帰る?」  ちらり、と塚本を見上げて瀬口が訊く。  服を掴む瀬口の手に僅かながらも力が入るのが分って、妙にくすぐったい感覚に頬が弛む。 「瀬口は?」  塚本は瀬口を待ってこの時間まで学校にいる訳だから、当然そんな質問を返す事になる。 「うん。今日は……もう帰る」  色々と気になる事もあるのだろうが、今は「帰りたい」というのが先に立っているようだ。 「だったら、一緒に帰るよ」  塚本がそう答えると、瀬口はほっとしたように息を吐いて、塚本の服を掴んでいた手を放した。 「それなら、オレ荷物持ってくるからちょっと待ってて」  そう言うと、今までの余韻など全く感じられない動きで塚本から離れてしまった。  呆気なさすぎる。 「あ、そうだ」  離れていく背中に手を伸ばそうかと、無意味な衝動にかられていた塚本に、瀬口は何かを思い出したように振り返った。  まだ何歩も歩いていないから、距離はほとんど離れていない。 「まだちゃんと言ってなかったよな、お礼」  塚本を正面から見られるように向き直して、照れたように笑って言った。 「来てくれてありがとう。めちゃめちゃ嬉しかった」  やっと見る事のできた笑顔は、それでもまだ少し無理しているように見えて痛々しい。  大丈夫だと教えてあげなければ。  あの程度のことで揺らぐような想いではないから。  それどころか、前にも増して目が離せなくなってしまった。 「愛する瀬口の為なら、当然」 「あ、あい……っ!?」  塚本の本心を適切に表現した言葉に、瀬口は顔を真っ赤にして固まってしまった。  どうしたらいいのか分らず、アタフタして机にぶつかっている。  いつも通りの反応を見ることができて良かった、と妙なところで塚本は安心して微笑った。  瀬口は言われ慣れていない所為か、反応がいちいち新鮮で可愛い。  それが見たくて、わざと言ってしまうのかもしれない。  勿論、それだけが理由ではないけれど。  ついつい抱き締めたくなる背中を見送りながら塚本は、こんな奴に好かれて瀬口も大変だな、と思わずにはいられなかった。

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