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第46話 警戒する者される者 -2

「その話、憶えてますよ」  いつの間にかオレの後ろにいた森谷が会話に参加してきた。  そっか。  森谷って中等部からこの学校だから、一昨年の話も知っているんだな。 「無防備だったんだよねー、あの頃は。瀬口くんも気をつけてね」 「オレですか?」  突然話を振られてビクリとした。  しかも、話の内容が内容だし。  渡部先輩に最初に会った時にも言われたよな、そのセリフ。  そして、真っ先に浮かぶのは、隣りの森谷。  あの時は、先輩の助言が役立つ日が来るなんて思ってなかったんだよな。  おかげで、何の警戒もせずに大変な目に合ってしまったんだけど。 「確かに、瀬口って無防備ですよね」  森谷がオレを見て苦笑しながらそう言った。  大きなお世話だ。  特に森谷には。 「あ、森谷くんもそう思う?」 「思いますよ。だって、俺に一回襲われてるのに、普通に友達してるし」  他人事のように言う森谷にビックリして、オレは森谷を見上げたまま固まってしまった。  自分からバラすなよ、そんな話!  普通、自分から言うか!? 「あー、それはダメだね。危険すぎ」  と言ったのは渡部先輩。  頬杖をついて、話にならないというように言う。 「えっ!? ダメなんですか?」  渡部先輩を筆頭に、横井先輩も宮津さんも「大丈夫か?」って感じでこちらを見ている。  圧倒的にオレの立場が弱い。 「つーか、『ごめん、もうしない』って簡単に信用するのはちょっと危ないよな」 「は?」  独り言のように呟いた森谷のセリフに、ギクリと緊張が走った。 「簡単にって……あれ、嘘だったのか?」  塚本に殴る蹴るされた翌日に、痛々しい顔で謝ってきた姿勢がとても真摯に見えたのは、オレの錯覚だったのか?  まさかここで何かされるとは思ってないけど、どうしてもジリジリと距離が広がる。 「嘘じゃないけど、もっと警戒してくれてもいいんじゃないかって言ってるんだよ」  何勝手な事を抜かしやがる。 「だって森谷は友達だし、もうしないって言うなら別にいいかなって……」  全く怒ってない訳じゃないし、警戒だってしているつもりだ。  でも森谷とは一緒に実行委員をやってく訳だし、いつまでも済んだことを態度に出して怒っていても仕方無いって思うのは間違いなのか?  そりゃ、あの時はマジで殴り飛ばしてやりたいって思っていたけど、今はそうでもない。  ちゃんと謝ってくれたし、「もうしない」って言うんだから……ってダメなのか?  それに、オレ以上に気にしているっぽいヤツもいるし。 「危ねぇな」  横井先輩がなんとも言えない複雑な表情でオレを見ている。 「えっ!? やっぱダメなんですか?」  そんな表情で見られると、とても不安になる。  不安に追い討ちをかけるように、横井先輩と渡部先輩が続ける。 「その調子じゃ、いつまた襲われても文句言えないぞ」 「文句を言う権利くらいはあるよ。ただ、文句を言ってももう遅いだろうけどね」  サラッと嫌な事言われた。 「それって、手遅れって事じゃないですか」 「だから、無防備だって忠告しているんだよ」  力無く言ったオレに、渡部先輩が優しく笑う。  そんな事言われても、オレにはどうしたらいいのかなんて分りませんよ。  いっその事、森谷と険悪になれとでも言うのか? 「俺としては、あまりにも警戒してくれないんで逆に引きますけどね」  オレの頭を軽く小突いて森谷が苦笑した。  なんか、釈然としない。 「全くの対象外って事だな。可哀相に」  笑顔で言った宮津さんのセリフは、森谷にとって凶器だったらしい。  情けなくガックリと肩を落として宮津さんに訴える。 「そんなに爽やかに言わないでもらえます? 結構傷付くんですよ」  それでも宮津さんは相変らず笑顔。 「諦めたら?」 「努力中です」  それってオレの事? って訊くまでもなくみんなの視線がこっちに向けられる。  本人がいるのにそういう話、しないでほしい。  そんな居た堪れない空気が流れた時、ガラッと教室の扉が開いた。  そのこと自体は別に珍しいことじゃないから、室内の誰もそんな事気にしていなかった。  だけど、この時は入ってきた人物が珍しかった。  皆が「あっ」と軽く注目する。 「こっちは随分と楽しそうでいいな」  その人物は、辺りを見回しながらゆっくりとオレたちの方へやってきて笑った。 「何来てんだよ、綾部」  そう言った横井先輩の口調は、歓迎しているのかその逆なのかよく分らないものだった。  どこかで見たことある人だと思っていた所だったから、横井先輩がその人の名前を言ってくれたおかげで思い出した。  ウチの学校の生徒会長の綾部さんだ。  もっとも、この文化祭が終れば引退して、会長は二年生の西原先輩になるんだけど。  綾部さんは、顔も頭も人当たりも良い、非の打ちどころもない人だ。  生徒達の人気は高く、校内のみならず、周辺の学校に通う女子達からも注目されている、絵に描いたようなモテ男だ。 「向こうにいても、こき使われるだけで全然詰まらねぇんだもん。しばらくここにいさせて」 「さぼりかよ、生徒会長」  何の違和感もなく三年生たちの輪の中に入った会長に、横井先輩が言った。 「俺にだって休養は必要」  会長はそう言いながら、その辺にあったプリントを手に取って、ハタハタとうちわ代わりにして自分を扇いでる。 「ここは休憩室じゃねぇぞ」 「まぁ、そう言うなって。ほら、学食の食券拝借してやってきてやったぞ」  制服のポケットをゴソゴソと漁って取り出したのは食券の束だった。  いつも自販機で一枚ずつ買うから、そんな束を見たのは初めてだ。  どっから持ってきたんだ? それ。 「さっすが生徒会長。奢ってくれるんだ?」  その束に食いついたのは渡部先輩。 「それって横領っていうんじゃ……」  非難を浴びせるように言った横井先輩を、綾部さんは持っていたプリントでバサバサと扇いだ。 「細かいことを気にしてるとハゲるぞ」 「喧しい」  よっぽど鬱陶しかったのか、横井先輩はプリントを掴み取った。 「ここにいる人数分くらいは余裕であるし、みんなで行こうぜ」  本部にしている教室を見回した会長が、少し声を張り上げて言った。  室内にいた人数はそれほど多くはなかったけど、全員の視線が会長に注がれた。  それとほぼ同時に、ガタンという音をたてて宮津さんが椅子から立ち上がった。  宮津さんの無表情な顔は、学食に行くために立ち上がった様子じゃなかった。 「あれ、宮津?」  渡部先輩もそう思ったらしく、どこかへ行きそうな宮津さんを呼び止めた。 「ちょっと、職員室行ってくる」 「別に急ぎじゃないんだろ? 後にすれば?」 「後回しにすると、また別の用事ができちゃうから」  呼ばれて振り向いた宮津さんは、頑なにこの場を去ろうとしている。 「せっかく綾部が横領してきたのに」 「別に腹空いてないし」 「でも……」 「行きたくないって言ってんだから、いいんじゃねぇ? それより早く行こうぜ。俺は腹減った」  何とかして、宮津さんを連れて行こうとした渡部先輩を制したのは綾部会長だった。  会長の言葉が聞こえたのかどうかは分からないけど、宮津さんは振り返りもせずに教室から出て行ってしまった。  そういう所が凄く宮津さんっぽい。  人気者の綾部会長を目の前にしても、全く気にしてない所が。 「相変らずだな、お前ら」  宮津さんが出て行ってから、横井先輩がボソッと呟いた。 「“ら”?」 「まぁ、いいけど」  会長が意味が分らないというように聞き返すと、横井先輩は諦めたように息を吐いた。  オレも会長と同じで、横井先輩の言葉の意味が分からない。  宮津さんが出て行ってしまったことに関係があるのかな?  と、疑問に思ったのと同時に、すくっと立ち上がった会長がその場にいた全員に向けて声を掛けた。 「じゃ、移動開始だな」  食堂へ誘導するその声に流されて、疑問は形になる前に消えていた。

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