59 / 226
第55話 何番目? -6
廊下を歩いていると、バサバサッ、という大量の紙の束のようなものが落ちた音がした。
音が聞こえたのは、廊下の曲がり角の向こうから。
この時期だから、文化祭関連のプリントかなにかを運んでいる途中で手を滑らせて落としてしまったのだろう。
確かめに行くと、角を曲がってすぐの所に散乱する白い紙と、それを拾い集めようとする一人の生徒が座っていた。
「大丈夫ですか?」
膝を折って足下にあった紙を一枚拾い上げながら訊いて、そこでやっとその生徒が誰なのか気付いた。
二年生の吉岡さんだ。
思い当たる節もないのに、何故かオレを嫌っている吉岡さん。
オレとは喋りたくないどころか、顔も見たくなさそうな態度をとる人。
「あ……」
吉岡さんも、オレを見て一瞬凍りついたように固まった。
この場合、現れたのがオレって、吉岡さんにとっては迷惑なのかもしれない。
よりによってこの人か。
何も、ここで紙をばら撒いているのが吉岡さんじゃなくてもいいのに。
と言うか、それをオレが見つけなくてもさ。
二人きりっていうのは気まずいけど、この状況で今さら去ることもできない。
「手伝います」
なるべく顔を見ないようにして、手早く紙を拾い集めた。
早く済ませれば、それだけ早くこの場から離れられる。
冷たいかもしれないけど、嫌われていると分っている人とすすんで一緒にいられるほど自虐的な性格じゃないんだ。
「ありがと」
少し間を置いて聞こえたのは、紙の音に負けそうに小さな吉岡さんの声だった。
オレとは必要以上に喋りたがらなかった人だから、こんなに弱々しい感謝の言葉を掛けられたのは初めてだ。
悪い人じゃないんだよな。
ただ、オレにだけ冷たいってだけで。
オレにとってはそれが問題なんだけど。
「それと、ごめんなさい」
「へ?」
吉岡さんと二人きりの気まずさで頭の中がいっぱいだった所に、いきなり謝られても何の事やら分らなくて、オレは咄嗟に間抜けな声を出していた。
思わず吉岡さんを見ても、紙を拾う態勢のまま俯いていて表情が見えない。
廊下にプリントをブチ撒けて「ゴメンナサイ」ってことだろうか?
「えっと……?」
「ごめん、今まで」
そこまで言われて、ずっと冷たくされていた事を謝られているんだと分った。
どうしてそんな事を言われるのかまでは分らないけど、そういう風に謝られるってことは……。
「あの……やっぱ、オレのこと嫌ってるんですよ、ね?」
「そうじゃないんだ」
弾かれたように顔を上げた吉岡さんに、正面から見つめられた。
こんなにちゃんと吉岡さんの顔を見るのは、初めてなんじゃないだろうか。
「自分でも、嫌な奴だなって分ってる。でも、瀬口くんを見るとどうしても冷たくしてしまうんだ」
どうしたらいいのか分らない、と言うように辛そうに目を伏せた。
だから、世間ではそれを嫌っていると言うのではないですか?
と、意地悪く言ってみたくもなったけど、止めた。
自分からそんな事言って追い詰めなくてもいいかなぁ、と思ったから。
「瀬口くんは何も悪くない。だけど、できるだけ努力はするけど、これからも冷たくしちゃうかもしれない」
それは、自分の意志とは関係無いのだ、と言っているように聞こえた。
分かっていても自分ではどうしようもない、と。
とても申し訳なさそうに小さくなってしまっている吉岡さんを見てしまったら、今までの不満をぶつける気にはなれなかった。
「無理かもしれないけど、気にしないでほしいんだ」
そして、何気に無茶な事を言う。
「気にしないでって言われても、気になりますよ。オレ、ずっと吉岡さんに嫌われてると思ってて、でも何か違うっぽいし」
何もしてなくて、何も悪くなくて嫌われるなんて、府に落ちなさ過ぎる。
納得のいく答えを求めて見つめる俺の視線に堪えられなくなったのか、吉岡さんは居心地悪そうに拾い集めた紙を何度も整える仕草をする。
そして、何かに負けたように肩の力を抜いて、ゆっくりと口を開いた。
「本当は、羨ましかったんだ」
最初からオレには冷たかったから、吉岡さんの印象はあまり良くなくて、周りが言うような綺麗なイメージを持てなかったけど、今は別。
まるで独白のように言ったその横顔は、今まで気付かなかったのが不思議なくらい美しくて驚いてしまった。
大人しい性格の割に周囲から気に掛けられているのも、今なら納得できる。
一見地味だけど確実に綺麗で、それに気づいてしまったら目が離せなくなる。
「オレが、ですか?」
だから、尚更分らない。
今、確かに「羨ましかった」って言ったよな。
オレには、吉岡さんに羨ましがられるようなものは何一つないのに。
「うん。嫉妬して意地悪した」
控え目に頷く吉岡さんは、嘘や冗談を言っているようには見えなかった。
「嫉妬って……何に?」
吉岡さんが、オレの何に嫉妬?
そんなものされる覚えがなさすぎて軽く混乱するオレに、吉岡さんの小さな呟きが聞こえた。
「だって、瀬口くんにばっか構うんだもん」
拗ねたように言って、深く息を吐く。
ごく親しい「誰か」に向けられたと思われる一言。
何気ない一言には、オレにとって重大な謎が含まれていた。
それ、誰の事?
吉岡さんが嫉妬するくらいオレに構う「誰か」って?
「ごめん。こんな事瀬口くんに言っても仕方無いのに」
儚く微笑う吉岡さんを前にして、オレは冷たく固まってしまった。
嫌なことばかりが浮かんで、全てが遠く感じる。
まさか、もしかして……塚本?
「誰か」が構うから、という理由でオレに嫉妬するなんて、塚本以外には思い当たらない。
吉岡さんが塚本のことを好きなら、何もしてなくてもオレなんて目障りだろうし、優しくなんてできないのも分る。
でも、一番恐いのは、吉岡さんのただの片思いじゃない場合。
塚本は、言えば誰でも付き合ってくれるって。
吉岡さんは綺麗だから、「好き」と言われれば傾いてしまいそうだし。
オレの知らない塚本の時間に、吉岡さんがいたかもしれない。
いなかった、なんて保証はない。
どうしよう……。
もしかして、吉岡さんも塚本の「何番目」かの人だったら。
ともだちにシェアしよう!