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第57話 何番目? -8【綾部】
成り行きとは言え、ほとんどよく知らない一年生を人気《ひとけ》の無い場所に引き込んでしまった。
知っている事と言えば、文化祭の実行委員で、渡部と何故か親しそうだという事くらいだ。
だが、下心なんてものは全くない。
この瀬口という一年生に特別な感情など抱いてなどいないし、まして何かするつもりなんて毛頭ない。
純粋な親切心というやつだ。
それ以上でも以下でもなく、先輩としての優しさだな。
廊下を歩いていた瀬口は、放っておくなんてできないくらい落ち込んでいたのだ。
そんな後輩を、あのままにしておくのは危険に思えた。
何しろ現在の校内は、文化祭準備でごった返している上に人口が特定の場所に集中しているので、無人な空間が数多くある。
俺に下心が無いからいいようなものの、こんなに簡単に引き込まれるなんて危険すぎる。
ぼんやりとしながらも緊張気味の瀬口を屋上へと続く階段に座らせて、俺もその横に腰を下ろした。
ここは、普段でも人なんて滅多にこない場所だ。
少し時間を置けば落ち着くだろう。
俺もちょっと疲れていた所だし、瀬口には悪いけど休憩の口実に利用させてもらおう。
控え目に瀬口を見ると、相変らず思い詰めたような表情をしていた。
何があったのかは知らないが、大丈夫じゃなさそうだな。
気軽に声など掛けるべきではなかっただろうか。
早くも若干の後悔がチラついた頃、しばらく黙っていた瀬口が何か思い出したように訊いてきた。
「三年生の、浅野さんって知ってます?」
アサノ?
……って、あの浅野のことだろうか?
まさか、ここでその名前が出てくるとは思ってもみなかったので、多少なりとも驚いた。
「知ってるよ」
三年生で「浅野」という苗字は一人しかいない。
「どんな人ですか?」
「どんなって聞かれてもなぁ…俺は嫌いじゃないけどな、ああいうサッパリした奴」
特に親しいという間柄ではなかったが、それなりに付き合いはある。
何しろ、中等部と高等部の六年間を共有した同級生なのだから。
中等部なんて生徒数が少ないから、通っているだけで必然的によく見知ってしまう。
面倒見がよくて、嫌なことがあっても後を引かない、本当にサッパリした奴だ。
浅野はやたらと顔が広いが、こんな所にまで交際範囲を広げていたとは思いもしなかった。
否。
この場合は、浅野というより瀬口だな。
どういう経緯か、そういうタイプには見えないのに知り合いが多い。
中等部からの持ち上がり組ならまだしも、高校からこの学校に来たにしては、だが。
瀬口は、俺から見るに、少し不思議な交友関係を築いているようだった。
「そう、ですか」
浅野が好印象であることを告げると、瀬口の表情がますます曇ってしまった。
おや?
「何? 『嫌な奴』って言ってほしかったみたいだな」
意地悪く訊いてみる。
すると、瀬口は少し焦ったように首を振った。
「違います」
「じゃあ、何?」
「オレもそう思ったから」
そう言って、自嘲するかのように笑った。
「オレも、浅野さんのこと、嫌いじゃないんです」
と言ってから、「一度しか会ったことないですけど」と付け足した。
「それが嫌なんだ?」
嫌いたいのに嫌えないという事なのだろうか。
それはまた、随分と厄介な話だ。
少し迷うような目でこっちを見た瀬口が、遠慮がちに口を開く。
「……会長って、前に付き合ってた人と仲良くできます?」
一瞬、話がとてつもなく飛んだように思えた。
しかし瀬口の様子を見る限りでは、浅野の話と今の質問は繋がっていると考えた方が正しそうだ。
二つ纏めて、瀬口の気を落ち込ませている要因に違いない。
となると、考えられるのは…。
「ああ、なるほど」
一つの考えが浮かんで、一人心地で呟いていた。
「瀬口の彼女は前に浅野と付き合っていて、別れた今でも二人の仲が良いから不安なんだ、と」
かなりの自信があった。
高校生なのだから、気持ちを不安定にさせるものなんて、委員会の仕事なんかよりも恋愛沙汰の可能性が高いだろう。
こんな若いうちから溺れてしまうのもどうかと思うが、真剣に大切に向き合わなければならないものでもあると思う。
かなり自信があった俺の予想は、そうでもなかったらしい。
「大体当りです」
曖昧な判定をされた。
ということは、少しだけ違う部分があるということか。
「んー? あ、そっか、浅野って…。てことは、彼女じゃなくて彼氏か」
前々から、浅野の嗜好は知っていた。
同級生の間ではちょっと有名な話だ。
あいつは何人かと付き合ってはいたが、その中に一人として女はいなかった。
「大正解?」
瀬口は口を噤んでしまったが、赤面して俯いた様子から、間違ってはいなさそうだ。
なるほどな。
それは何と言うか、色々な意味で複雑な話だよな。
俺の勝手な印象を言わせてもらえば、瀬口はそういう風には見えなかったんだけど、言われてみればそれも有りかなと、思えてしまうから不思議だ。
「そういう風」とは、つまり「彼氏がいるような」という意味だ。
「あいつ、オレの前にもたくさん付き合ってたらしいんです」
感情を押し殺したような声で瀬口が言う。
それがまた何ともせつなく聞こえて、「あいつ」を知らないのに問答無用で瀬口の味方をしてしまいたくなる。
その「あいつ」って、かなりの遊び人のようだな。
高校に入ってそんな奴に引っかかってしまったのか。
可哀想に。
「ちゃんと分ってるんだけど、目の前に現れちゃうとちょっと……」
無理に笑おうとする姿が健気に映る。
何と言うか……盲点だ。
この一年生が、不本意ながらもこんなに可愛いと思えてしまうなんて。
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