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第58話 何番目? -9【綾部】
「浅野は知ってるのか? 瀬口とその彼が今付き合ってるって事」
「分りません」
力無く首を横に振る。
瀬口の置かれている状況はほとんど分らないが、俺が思うに、それ程危機的な印象は受けていない。
そんな事、俺が軽々しく口にするべきではないので、当り障りなく励ます方向に持って行く。
「浅野のことだから、知れば瀬口が気になるような事はしなくなるだろ」
そもそも、瀬口の彼氏やらと浅野の仲が良かろうが、瀬口がこんなに気にするような事ではないだろう。
別れたら険悪にならなくてはならないという法則など無いのだし、瀬口の彼氏はどうだか知らないが、浅野なら特に変化もなさそうだ。
否。
この場合、その彼氏の態度に問題があるから、瀬口がこんなに不安なのだろう。
ますます瀬口の味方をしたくなってきてしまったぞ。
励まし方が軽かったのか、瀬口の表情は暗いままだった。
俺の考え方が他人事すぎたのかもしれないが、瀬口の落ち込み具合を見るに、もっと別の何かがあるようにも思えた。
「そういう問題じゃない?」
「……はい」
少しの間の後に小さく肯定する。
「何か不安でも?」
その程度の大雑把な質問しか思いつかなかった。
訊くまでもなく、生きているだけで「不安」なんて付き纏っているだろう。
まして恋愛中なら、馬鹿馬鹿しいほど敏感になる時もある。
好きな人が、前に付き合っていた奴と親しくしていたら、それはもうこれ以上ないくらいの不安を抱いてしまっても不思議ではないだろう。
「オレ……」
グッと、何かに堪えるように瀬口が瞳を瞑る。
俺から見れば随分と小さな体を更に小さくして、くしゃりと自分の髪を掴んだ。
ゆっくりと瞼を開けると、涙の溜まった瞳が震えていた。
「オレもいつか、あいつの『何番目』かになるんじゃないかって、思っ…て」
声がせつなく途切れた。
零れ落ちた涙は、拭われることなく頤から雫となって消える。
言うべき言葉が見当たらず、俺はその光景をただ見ているだけだった。
「オレはすっごいワガママなのに、あいつはいっつも優しくて、でもそれって、どうなんだろって思うんです」
ふと、縋るような瞳がこちらを見る。
「オレのことなんかそんなに重要じゃないのかもしれないって。だから、オレが何を言っても気にしないのかもって」
そう言って気持ちのやり場に困る姿が、どうしようもなく誰かに見えてしまった。
俺が優しくすると、あいつも似たようなことを言っていた。
『唯 がオレの我が侭を許す度に、お前にとって、俺なんかどうでもいい存在なんじゃないかって思ってしまう時がある』
それは違う、と諭しても、あいつはただ微笑うだけだった。
許してしまうのは、大切な存在だからに決まっている。
笑っていて欲しいから、俺との時間が幸せだと感じて欲しいから。
それも空回っていたら虚しいだけだが、俺は他の方法を知らないから、あいつの全てを認めて許してしまうしかできない。
「会長?」
戸惑う瀬口の声は俺の腕の中から聞こえた。
思わず抱きすくめていた身体があいつよりも小さくて、俺も少し戸惑っていた。
「ゴメン。ちょっとダブった」
「は?」
瀬口は暴れることもせずに、怪訝そうではあるが大人しくしてくれていた。
それが余計に、暴走に拍車をかける。
「俺だったら、そんな気持ちにさせない。不安なんて感じないくらい、ずっと抱き締めてる」
我ながら馬鹿な事を言っている、という自覚はあった。
これじゃあ、まるで瀬口を口説いているみたいじゃないか。
自分でもそう思うのだから、他の誰が聞いても、当然、当の瀬口にもそう思われてしまっているのだろう。
言い訳のしようがない。
「オレ、今、誰かの代わりですか?」
しかし瀬口は、俺の突然の行動を意に介した様子もなく、今までが嘘のように落ち着いた声でそう訊いてきた。
落ち込んでいるくせになかなかに鋭い。
「……ゴメン」
心の底から謝った。
瀬口と、それから、ダブらせてしまったあいつに。
「あの、会長。この状況を誰かに見られると、ちょっと……」
腕の中の瀬口が居心地悪そうに身じろぎながら言う。
それは尤もな意見だ。
お互い恋人のいる身で、妙な噂を流されようものなら堪らない。
「ここは、滅多に人なんて通らないよ」
気休めではなく、本当にここに近寄る人間など皆無に等しい。
今が文化祭準備中という時期であるという事を除いても、だ。
「でも…」
俺の言葉など信用できない様子の瀬口が、言い難そうに口篭もった。
「何?」
「さっき宮津さんが……」
「何!?」
どんな時だろうと、「宮津」という名前を聞いても冷静に対応できる自信はあった。
しかし、それは平時という状況下においてであって、こんな風に下級生を人気の無い場所で抱き締めている場面を見られた、なんていう状況は想定外だ。
「オレと目があって、すぐに行っちゃいましたけど」
「マジで!?」
今更遅すぎると分っていても、無意識のうちに瀬口から離れていた。
「はい」
困惑と怯えが混じった表情の瀬口が静かに頷く。
「済みません、言うタイミングが」
本当に申し訳無さそうに瀬口が言う。
参った。
この場合、悪いのは明らかに俺の方なのに、そんな風に謝られるなんて本当に参る。
だが、それ以上に、自分のタイミングの悪さに参った。
よりによって、一番見られてはいけない人物に目撃されるなんて。
「悪いけど、俺、ちょっと急用」
瀬口がどう思うかなんて気にする余裕もなく、俺はダッシュであいつを追かけていた。
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