63 / 226
第59話 何番目? -10【宮津】
バタバタと派手な音を立てて、後ろから何かが近づいてくる。
それが何かなんて分っていたけど、オレは気づかない振りをしてそのままの速度で歩き続けた。
「おい、ちょっと待てって」
足音の主は、走ってきた勢いそのままにオレの腕を掴んで進行を阻む。
「何だよ」
オレはその手を乱暴に振り払って、肩で息をするそいつを見上げた。
この学校の生徒会長である綾部 唯 。
周囲の評判通り、カッコイイと思う。
顔の造りはいいし、男っぽいし、尖ったトコなくて気さくで、多少突っ走り気味な所はあるけど、総合的に判断すれば校内で右に出る者はいないかもしれない。
……あーあ、欲目だな。
何しろオレは、その右に出る者もいないカッコイイ奴に惚れてしまっているのだから、採点も甘くなってしまう筈だ。
けど、今のオレは辛口だ。
ここが学校だから、とは別に、機嫌が悪い。
息せき切ってオレを必死に引き止めるなんて、せっかくの男前が台無しに無様だぞ。
「慰めてただけだ。ホントにそれだけ」
オレは何も言っていないのに、また腕を掴んできて慌てたように必死に言い訳をする。
その言動が余計に怪しく見えるんだよ。
こいつがわざわざオレにそんな事を言うのは、オレたちが恋人という関係だから。
状況だけを見れば、「目撃! 綾部唯の浮気現場」なんだろうけど、生憎とオレはそんなにこいつを信用してない訳じゃない。
何か事情があったんだろう、と前向きに判断した。
だけど、あんなの長々と見ているようなものじゃないから、早々に立ち去っただけだ。
そりゃ、好きな奴が他の人と抱き合っていたらいい気はしないけど、喚き散らすほど狭量でもない。
「だから?」
掴まれた腕の痛みを微かに感じながら、オレは冷静に続きを促す。
その冷静さが、かえって恐ろしかったらしい。
「誤解、したんじゃないかと思って」
笑顔が引き攣ってんぞ、生徒会長。
大体、主語が無いんだよ。
確かにオレは見た。
こいつが一年生の瀬口と抱き合っている所を。
しかも、こいつが一方的に抱き締めているに違いない場面を。
オレは「見なかったことにしてやろう」って言っているのに、こいつはアホみたいに慌てて言い訳をする。
何か後ろめたいことでもあるみたいに。
せっかく信用してやると決めたのに、「疑ってください」と言っているようなものだろーが。
いい加減、付き合いも長くなると律儀に疑ってやる気もないが、それは決して「不愉快ではない」という事じゃないんだよ。
「しないよ、そんなの」
こいつの行動にいちいち誤解や嫉妬なんてしていたら、オレが疲れるつーの。
諸事情により、オレたちの関係は校内では秘密になっている。
主に、と言うか完全にオレの事情なんだけど。
目立つ事が極端に嫌いなオレには、校内一目立つ男と仲良くして注目される事が耐えられないのだ。
そんな理由で逃げていたオレに、唯は笑いながら「誰にも内緒で」と言ってくれた。
オレたちの事は、オレたちだけが知っていれば良いと。
だから、校内でこいつが何をしようと、オレがその場で口出しする事はできない。
オレができるのは、ただ遠くから見ているだけ。
でも、だからこそ、オレはこいつを信用している。
男のオレと付き合っているんだから、こいつはこの男子校の中でだって浮気相手を探そうと思えば探せるんだ。
校内でのこいつの行動なんて、オレにはごく一部しか見えないんだから、オレの見えない所でするのなんて簡単なのに。
だけど、今までそんな事は一度もなくて、ずっとオレといてくれている。
まぁ、見えない所なら知らないだけ、とも疑えるけど、こいつはオレに吐く嘘は下手だから。
「それならいい」
素っ気無く言ったオレの言葉を聞くなり、あからさまに安堵したような顔しやがって。
その表情がやけに愛しくて、うっかり微笑み返しそうになる。
だけど、それは何か悔しく思えて、心を鬼にして睨み上げた。
「何してんの? お前」
「え?」
「瀬口のこと慰めてたんだろ? だったら、どうしてオレを追ってくるんだ」
怒りを向ける先が少しズレてた所為か、少し困惑した表情になった。
「怒ってる?」
控え目に何を訊きやがるんだよ。
全く怒ってないとでも思っているのかよ。
その質問はわざと無視して、意地でも瀬口の話題に戻した。
「ちゃんと最後まで責任持って慰めてこいよ。可哀相だろ」
百歩譲って、こいつは瀬口に貸してやる。
こんなのでよかったらいくらでも貸す。
「慰めてた」と言うくらいなんだから、瀬口は落ち込んでいるか何かしていたんだろう。
それを、自分に都合が悪い場面を見られたくらいで、途中で放り出してくるなんてカッコ悪すぎ。
「やっぱ怒ってる」
「怒ってねぇーよ」
我ながら、なんて説得力の無いセリフだ。
正直、瀬口のことは、オレの怒りの矛先を惑わせる囮だ。
でも、オレが怒っているのは、こいつが思っているのとは多分違う理由。
それが分ってないから、余計に苛立ってしまう。
「暁生 」
真剣な声にピクリと反応してしまった。
人前では絶対に呼ぶなと釘を刺している、オレの名前だ。
「ここで呼ぶな」
「暁生」
拒否しても、尚もオレを呼ぶ。
オレにどうしろっていうんだよ。
ヘラヘラと笑えとでもいうのか?
生憎と、今はそんな気分じゃない。
「…お前さ、オレがすっごい不安なの知ってる?」
無意識に自分の胸元を掴んで、さっき、こいつが瀬口に言っていた言葉を思い出していた。
抱き締めながら「不安になんてさせない」って。
聞こえてしまった無責任なセリフ。
じゃあ、オレの「これ」は何なんだよ。
唯は、神妙な顔付きでこっちを見据えて歯切れよく言う。
「知ってる」
「それでよくあんなこと言えるよな」
鼻で笑って冷たい視線を投げてやった。
安心させろなんて事は言わないけど、オレのこの痛みは認めていて欲しいんだ。
ノーテンキに「好きだ」と言っているだけじゃないって、知っていて欲しいのに。
見上げた先では、オレの冷えた視線が殊勝に受けとめられていたようだった。
じっとオレを見る瞳が微かに震える。
「理想論」
真顔できっぱりと言うもんだから、オレは馬鹿馬鹿しくなった。
「あっ、そ」
そこで会話を断ち切る意志を示して、強い語調で言って踵を返す。
人の気配がしていたから、こいつが追って来ない確信があった。
案の定、追かけてくる様子はなかったけど、背中越しに拗ねたような呟きが聞こえた。
「やっぱり怒ってんじゃねぇか」
唯のことなんだから、当たり前だろーが。
□ □ □
どこに行ったらいいのか分らなくなって、とりあえず実行委員の本部に戻ると、そこには渡部がいた。
全体的に色素が薄くて、綺麗で、儚げな美少年は、オレを見てヘラリと笑った。
「誰か何か失敗でもした?」
「は?」
全く思い当たる節のないことを言われて、反応が鈍る。
「イライラした顔してるから」
「ああ……」
だろうな。
軽く頬を擦りながら渡部の隣の椅子に座った。
座ったと同時に脱力感を覚えて、小さく息を吐いて、視線は渡部に向けたまま腕を枕にして机に突っ伏した。
下から見ても、美形は美形だ。
「オレ、渡部みたいだったら良かったのに」
少なくとも、見た目という部分では、あいつに「釣り合わない」なんて思うこと無いんだろうな。
と、人がせっかく褒めているというのに、渡部は笑顔でそれを否定する。
「外側はともかく、オレの中身はドロドロだよ」
渡部の凄いところは、自分が美形だと完全に認めている所だよな。
その上、中身に関しての評価も意外に辛い。
にしても、ドロドロって……。
それはそれで、逆に興味が湧くから不思議だ。
「宮津がオレみたいだったら、綾部は好きにならなかったんじゃないかな」
照れるけど嬉しいことを言って微笑まれて、オレもちょっとその気になってしまう。
「そーかなぁ……って、別にあいつは関係無いからっ!」
うっかりそのまま流されそうになって、怪しいくらいに慌てて否定した。
あっぶねぇ。
危うく引っ掛かるトコだった。
「はいはい、そーでした」
焦るオレを余所に、渡部は含みのある笑いを向けるだけだった。
けど。
バレてるよな……やっぱ。
ともだちにシェアしよう!