80 / 226
第75話 文化祭1日目 -2
「去ったか……」
いつの間にか姿を現していた森谷が、額を拭いながらまるで本当の嵐でも去ったように呟いた。
安堵の中に疲労感をたっぷり漂わせている。
「あれ? もしかして、ハルくん?」
「指すな」
やっと事情が掴めてきたっぽくて、咄嗟に指したオレの人差し指を森谷は鬱陶しそうに退けた。
否定しない所をみると、どうやら図星らしい。
森谷の下の名前は、確か……「晴樹 」だったっけ。
だから「ハルくん」ね。
塚本の「マサくん」と同じ感じかな。
「意外だなぁ。森谷と浅野さんが追いかけっこだなんて」
何しろ「ハルくん」だもんな。
そんなに仲良かったんだ。
全然知らなかったよ。
「そんな微笑ましいもんじゃねぇよ」
オレの率直な感想に、森谷は心の底から嫌そうな表情と低い声で答えた。
単純に遊んでいるだけのようではなさそうだ。
「何で追いかけられてんの?」
ジャンケンして森谷が負けたから、って理由でもなさそうだし。
森谷と浅野さんの二人の接点って何だろう。
と、ちょっと気になって訊いてみただけなのに、森谷は物凄く言いたくなさそうに顔を逸らす。
「言いたくないなら別にいいけど」
「もっと俺の事気にしてください!」
そんなに言いたくない理由なら別にいいや、と早々に諦めたオレの腕を森谷が掴む。
何だよ、こいつ。
言いたくなさそうだったから、気を利かせて深く追求しないでいるのに。
「森谷が言いたくないって言うなら、無理に聞き出そうとは思はないよ」
気にはなるけど、別にどうしてもって事でもないし。
けど、そっけなく言ったオレのセリフは森谷には結構効いたらしい。
少し躊躇ってから、意を決したように口を開いた。
「……告られました」
「…………何?」
嫌な空気が。
ものすっごく、衝撃的で不自然な空気が流れた。
今、森谷は何て言った?
「だから、浅野先輩に告白されてしまいました」
そんな改まった言い方されると、余計に解らなくなるって。
えーっと、浅野さんは森谷が好きなのか?
「つーか、どうしよう、瀬口っ」
ガシッとオレの両肩を掴んで言う。
そんな事をオレに相談されても困るし、軽々しくオレを掴まないで欲しい。
「何でオレに聞くんだよ」
「俺が好きなのは瀬口なんだよ」
「あー、そうだったな」
忘れていた訳じゃないけど、改まってもう一回言われるまでどこかに行っていた。
オレの中では森谷はもう友達なんだけど、森谷にとっては違うらしい。
「実際のトコ、どう? 俺の可能性全くゼロ?」
まだそんな事を聞いてくる。
いい加減、諦めればいいのに。
「ゼロ。てか、マイナス」
「だよなぁ……」
素直に事実を言うと、森谷はオレから手を放して力無く呟いた。
オレって、森谷がそこまで執着するような奴じゃないんだけどなぁ。
意地になっているだけなんじゃないのかな。
それにしても。
複雑な事になったもんだ。
森谷はオレを好きだと言っていて、オレは塚本が好きで、塚本と浅野さんは以前に付き合っていた事があって。
その上、浅野さんが現在好きなのは森谷?
ややこしいなぁ。
「浅野さんて……」
と、考えなしに口に出ていて、慌てて口を噤んだ。
けど、もう既に手遅れで、森谷は「ああ」と鋭く感づいていた。
「塚本?」
どうして分かるんだよ。
オレの思考回路って、そんな分かりやすいか?
「知ってるんだ」
「あんまり詳しくは」
そーだよな。
いくら学校が同じだったからって、当事者でもないのに詳しく知っている訳ないよな。
むしろ、付き合っていた事を知っていただけでも凄い。
その情報は一体どこから仕入れてくるんだよ。
浅野さんの事に関しては、当事者じゃないっていうのはオレも一緒だ。
その時のオレは、塚本とは全く関係ない存在だったんだから。
「どうなのかなぁ」
「何が」
心細くなって漏らしたオレの呟きに、森谷がちょっと怪訝な表情で聞き返してくる。
「あの二人、普通に喋ってるから」
だからどうした、って話でもあるんだけど……やっぱなぁ。
「お言葉ですけど、俺と瀬口も物凄く普通に喋ってますよ?」
あ。
「……そっか」
言われてみれば、オレと森谷だってギクシャクしていてもおかしくはないんだった。
ギクシャクなんて、寧ろ生易しいくらいだ。
何しろ襲われたし、その事は塚本も知っているし。
塚本は、オレと森谷が普通に友達してるのをあまり快く思ってないみたいだったよな。
けど、森谷がオレに何かしてくるような事はもう無いと思うんだよな。
「好き」とか言うのも、今は冗談ぽい感じだし。
何も疚しい事無いから普通にできるんだよな。
それって、塚本もそうなのかな。
浅野さんとはもう全然関係ないから、オレの前でも普通に喋って接する事ができるのか。
だけどさぁ、オレらと決定的に違うのは、既成事実が有るか無いかってトコだよな。
唯一にして最大の違い。
一緒になんてできないよな。
「そんなの、心配する必要ないだろ」
どんどん嫌な方向に向かうオレの思考を、あまり深く考えてないような森谷の言葉が止めてくれた。
そうかなぁ。
そうかもなぁ。
塚本の事だから、きっとこんなに複雑には考えてないよな。
「……って、オレも何励ましてんだか」
オレが浮上するのと交代に、森谷が頭を抱えてガックリと肩を落とした。
確かに。
オレの事「好き」とか言っておいて言うセリフじゃないよな。
やっぱ冗談なんじゃないか?
「森谷ってイイ奴だよなぁ」
友達としてなら十分好きだぞ。
「本気で言ってる?」
やや呆れたような口調で訊かれた。
「言ってる」
「無理やりチューとか、それ以上とかしたのに?」
な……っ!
何て事を言うんだよっ。
「殴るぞ」
グッと拳を作って睨みつけた。
「それはヤメテ」
冗談ぽく言って、冗談ぽく手を上げる。
本当に殴ってやろうか、こいつ。
「なんだよ、せっかく褒めてんのに」
本当に「いい奴だなぁ」って思ったから言っただけなのに、何でそんな事を穿り返してくるんだよ。
「褒め言葉はいらないからさ、愛が欲しいな、瀬口の」
……って、またそういう事を言う。
そんなもん気軽にやれるかっ。
「森谷にやる気はないっつーの」
「やっぱりか」
「だから言ってるだろ、ゼロ通り越してマイナスだって」
クスクスと笑って、やっぱり森谷はいい奴だなぁ、と思ってしまった。
「塚本にはあげてるんだろー」
「それは、まぁ……」
「へぇ、瀬口くんとやらはマサくんとそういう関係だったんだ」
そんな声がしたのと同時に、ニョキッと森谷の肩から誰かの腕が伸びて、そのまま首に絡まった。
「うわっ!」
「……っ!!!」
森谷が驚くのは当然として、横にいたオレもかなりびっくりした。
腕の主は、どこかへ去った筈の浅野さんだったから。
いつからいたんだろうか。
登場の仕方もだけど、今までしていた森谷との会話の内容も聞かれたのではないかと、ちょっと焦る。
「それはいいとして、ダメだろ、嘘は」
けど、浅野さんはオレたちの会話なんて全く興味ない様子だった。
むしろ、森谷を隠していた事の方を怒られてしまった。
「えっ……と」
何と言って良いのか考えている間に、浅野さんはグイッと森谷の首根っこを掴む。
「て事で、頂いてきます」
「うわぁ!」
ズルズルと引き摺られるように、森谷が一人お持ち帰りされてしまった。
頑張れよ、森谷。
と言いつつ、森谷には悪いけど、何だか無性に浅野さんを応援したい気分だよ。
「奈津だ」
心の中で密かに浅野さんにエールを送っていると、オレを呼ぶ少し懐かしい声がして振り向いた。
ともだちにシェアしよう!