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第88話 文化祭2日目 -9【塚本】
打ち上げをやる、と言い出したのは安達だった。
昨夜の事だ。
「皆でパーッと騒ごう!」
と、勝手に決めて盛り上がって、翌日(つまり今日)いつものメンバーに召集をかけていた。
さすがに、実行委員の西原は無理だろうと予想していたのだが、そうでもないらしい。
反省会と称した実行委員の打ち上げは諸事情により延期になった、と西原が面倒そうに言いながら塚本たちの打ち上げへとやってきた。
「どっちにしても、瀬口は塚本の方に行くつもりだったみたいだけどな」
西原に笑顔でそう言われて、瀬口は少し居心地が悪そうに塚本を見上げる。
それは瀬口の責任ではないから、「気にしなくていいよ」と髪を撫でた。
場所は、塚本家の離れ。
未成年が周りを気にせずに騒ぐのに、これ以上の場所はないだろう。
結局、誰が来るのか分からないまま、現在塚本家の離れでは、部屋の主の帰りを待たずに打ち上げと呼ばれる宴会が始まっているようだ。
ここにいる、塚本・瀬口・西原の三人は、恐らく最後の出席者という事になる。
「おかえり」
塚本家の門を潜り、離れへ足を向けた矢先にそんな声を掛けられた。
振り向くと、塚本の弟である尚糸 が、庭の木々に紛れて立っていた。
軽く手招きをしているので、自分が呼ばれたと判断して近寄る。
「兄ちゃん、文化祭だったの母さんに言ってないだろ」
尚糸は声を潜めるようにしてそう言った。
確かに、家族に伝えてはいない。
「行きたかったって、拗ねてる」
「拗ねられても」
むしろ、来て欲しくないから伝えていないようなものだというのに。
「バツとして、玄関の電球換えろって」
と、尚糸は手に持っていた真新しい電球を差し出した。
それを見て、母が文化祭に行きたくて拗ねていた、というのは嘘だと察した。
元々、そんな学校行事に興味のある人ではない。
「換えてほしいなら、素直にそう言えばいいのに」
「兄ちゃんの親だからね」
小学生の割に達観した感想を述べるのは、尚糸によくある事だ。
お前の親でもあるんだぞ、という言葉を苦笑で表して、後ろで待っている瀬口と西原の方を見た。
「先、行ってて」
諦めたように小さく息を吐いて、主に瀬口へと向けて言った。
既に宴会が始まっているであろう場所に瀬口を放り込むのは気が引けるのだが、ここで下手に断って母に宴会場に乱入されても面倒なので、命令に従う事を選んだ。
電球を交換して戻るくらいの空白は問題ないだろう。
西原もいるのだから、危険な状況なはならないと判断した。
「?……うん」
塚本の心配を余所に、瀬口はそんな心配そうな塚本を不思議そうに見上げて頷いた。
「脚立、どこ?」
訊くと、尚糸は奥の建物を指した。
「当然、物置。持ってこようか?」
「分かった」
尚糸の頭にポンと手を置いてから、物置へと向かった。
「それが終ったら、階段の電球もだって」
物置から運んできた脚立に乗って玄関の電球を換えていると、脚立を支えてくれている尚糸が追加の発注をしてきた。
「……切れてんの?」
「三日くらい前からチカチカと」
つまり、そろそろ切れそうだから先手を打ってついでに換えておけ、という事らしい。
「他は?」
どうせなら一度に言ってもらいたい気持ちを飲み込んで、この際全部交換してやろうと思い訊いた。
すると、尚糸は呆れたように溜め息を吐いた。
文句の一つでも言えよ、と母に頭の上がらない兄を憂いているようだ。
「兄ちゃんて、結婚したら絶対に尻に敷かれるタイプだよな」
現在小学6年生の尚糸は、妙に大人びた口調でしみじみとそう言った。
「結婚?」
「そういう単語、兄ちゃんの辞書には無い?」
怪訝な表情を見せた塚本に、尚糸が透かさず訊いてくる。
「検索中」
言われて見れば、そんな単語は今まで見た事がなかった。
探した所で出てくるかどうかも怪しい。
塚本の中では、そのくらい存在感の薄い単語だ。
どれだけ待ってもヒットしないだろう、と判断した尚糸があっさりと諦めた。
「しないならしないでもいいけど」
「しないだろうな」
その結論が出るのは早かった。
自分の将来など想像もつかないが、婚姻届に判を捺す自分は、未来のどこを探してもいないだろうと思う。
ある程度予想していた兄の返答に、尚糸はあまり興味がないように踵を返した。
「できない、の間違いじゃないなら好きにすれば?」
嫌味とも取れる冷たい一言を残し、たった今外したばかりの玄関の切れた電球を受け取った尚糸が、家の中へ戻ろうとしているのが脚立の上から見える。
新しい電球を取り付ける手を止めて、塚本は咄嗟に弟を呼び止めた。
「尚糸」
「あ?」
敷居を跨いだ恰好で振り向いた尚糸の動きが、塚本を見上げて止まった。
「お前にはあるのか? その単語」
そう訊いた途端、塚本によく似た尚糸の顔が一瞬戸惑いに歪んだように見えた。
だが、すぐに大人びた表情に戻り、溜め息混じりに口を開いた。
「小学生に訊くなよ」
呆れ返っているのが、表情から手に取るように分かる。
「そうか」
たまに忘れそうになるのだが、尚糸はまだ小学生だった。
他の人間はどうなのだろう、という興味から、一番近くにいた尚糸に訊いただけの事だったのだが、確かに訊く人間を間違えたようだ。
しかし、塚本がそれを一番訊きたい人間には訊く事はできないだろう。
どんな答えが返ってくるのか、少し怖い。
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