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第91話 宴の始まり -3【塚本】
寝室に連れていき、敷きっ放しになっている自分の布団の上に瀬口を座らせる。
ゆっくり寝かせようと肩を抱くと、ガシッと瀬口の手が塚本の服を掴んできた。
「へへ……誠人だ」
グイグイと服を引っ張るのには何の意味もないのだろう。
完全に酔っている人間のすることに疑問など抱いてはいけないのだろうが、どうして突然名前で呼ばれているのかも分らない。
「バァ~カ、バカバカ、ばーか」
これだけリズミカルに言われると腹も立たない。
ただ、酒癖の悪さには呆れる。
「誠人のばーか」
それまで上機嫌だった瀬口が、不意に暗い表情になった。
ボキャブラリーの低さは相変わらずだが、ほんのり紅く染まった肌と、とろんとした瞳に憂いが帯びると、塚本の理性にも変化が起きる。
積み上げた愛しさが溢れ出てしまう。
「こんらけ言ってんらから、言い返してみろよぉ」
唐突に不機嫌になり拗ね始めた。
言い返せと言われても、この性質の悪い酔っ払い相手に何を言えばいいのやら…。
「そーやって年上ぶりやがって。そーいうトコがバーカって言ってんの!」
何を言ったらいいのか分らずに黙っていたのが悪かったらしく、瀬口がジタバタと動き出した。
「悪かったな」
とりあえず謝ってみることにした。
が。
「どーせ、オレはガキだよ、オコチャマだよ。お前みたいに大人じゃねぇもん」
何故か更に機嫌を悪化させてしまったようだ。
「けどな、お前だって悪いんだぞ」
寝かせようとしているのに、瀬口には全くその気きはないらしく、塚本の鼻ッ先に指を突きつけた。
目が据わっている。
「俺?」
「なんだよぉ、オレがちょっと『イヤ』って言ったらすぐに止めやがって。男だったらそこを強引になんとかしろよ」
突然の展開で驚きはあるが、所詮は酔っ払いの言っている事。
塚本は大人しく聞き流すことにした。
しかし……それをお前が言うか? と溜め息が出てしまう。
「オレ、知ってるんだ」
真顔の瀬口が、ジッと塚本を見つめて口を開いた。
また話題が変わったらしい。
「何を」
「んで、誠人は知らないんだ」
「だから、何を」
と訊いたところで、まともな答えが返ってくるはずがない。
「オレな、すっごい好きなの。もう、ホントにすっごい。へへ、知らなかったらろ」
「知ってるよ」
瀬口が得意気に言うので、何の話か分からないが適当に相槌を打っておいた。
「嘘言うなー。どんだけ好きか知らないくせに、知った風な口をきくなぁ」
怒られた。
「……ごめん」
「やっぱ知らないんだろ。最初っからそー言えばいいの」
バシバシと塚本の肩を叩いて瀬口が言う。
知らないも何も、一体何の話をしているのかから教えて欲しかった。
「でもぉ、オレは知ってるんだー」
瀬口は嬉しそうに笑いながら、手のひらを広げて指を折りだした。
「んとな、誠人が寝てるトコが好き。ギューってされるんのも好き。あと、意外に子どもっぽいトコとかぁ、予想外なトコも好きー」
そこまで言われて、酔っ払いもあなどれないと悟った。
酒の力を借りているとは言え、瀬口にこれだけ言われるのは初めてのことだ。
塚本もさすがに驚く。
「誠人が考えてるより、ずっとずーっと好きなんだぞ?」
これは、性質が悪いどころの騒ぎではない。
普段が普段なだけに目と耳の毒。
「分ったよ」
早く寝かせてしまおうとして対応がぞんざいになる。
「分ってない!」
「……ごめん、分ってなかったな」
素直に謝ってやると、瀬口は満足気にヘラリと笑った。
大分扱いに慣れてきた。
「でもぉ、誠人には迷惑だろ」
瀬口の表情が一転して悲しげなものに変わった。
「何で」
「オレみたいな奴、メンドーだろ? 疲れるだろ?」
「そんな事ない」
瀬口が迷惑だなんて、ある筈がないのに。
好きな人に好きだと想われているなんて、面倒で迷惑どころか、光栄な事この上ない。
「嘘だぁ」
瀬口の疑いの眼差しが痛い。
どこまで信用がないのやら…。
「本当」
そう言って微笑ってやると、瀬口ははにかみながら本当に嬉しそうに笑った。
「オレ、したいかも」
「何を」
塚本の疑問を完全に無視して、瀬口は制服のワイシャツのボタンに手をかけた。
ボタンを外そうとする瀬口を前に、もう「何をするんだ」という疑問も無くなった。
その代わり、一瞬思考が停止する程の混乱がやってきた。
ブレザーも、その下に着ていたベストも、この時既に着ていなかったので、それを脱いでしまえば瀬口の上半身を隠すものは無くなる。
しかし上手くボタンが外せなかったらしく、途中までなんとか外した所で裾をたくし上げて上 から強引に脱ごうとし始めた。
「うー」
しかし、「忘れてるぞ」と言おうかどうしようか迷っていたネクタイが引っ掛かり、これもまた上手く脱げてない。
「まさとぉ、コレー」
常日頃、どうやって手を出そうか考えている相手に、脱がすのを手伝ってくれとねだられて断れるほど強い意志の持ち主ではない。
塚本が手を貸して脱がしてやると、「ふぅ」と一息吐いてから、今度はカチャカチャとベルトに手を掛け始めた。
「瀬口、いい加減に……」
ベルトを外そうとしている手を掴んで、何とか止めようとする。
これ以上は、本格的にまずい。
本人が「いい」と言っているのだからいいだろう、という安易な考えはしない方がいい。
何しろ相手は、人格が変わるくらい酔っている酔っ払いだ。
このまま事に及ぶのは簡単だが、瀬口が正気に戻った時、何を言われるか分ったものではない。
今までの努力が全て無駄になるような事態だけは避けたいのだ。
塚本が止めると、瀬口は泣きそうな表情になってしまった。
「誠人はぁ、やっぱオレじゃヤなんだ」
見る見るうちに瞳が潤んで、今にも涙が溢れそうだ。
「何で……」
「だからオレが『イヤ』って言ったらすぐに止めるんだ」
ゆっくりとした瞬きで涙が頬を伝う。
反射的に手が伸びてその涙を拭ってやると、瀬口が瞼を閉じたので、また雫が落ちた。
「…瀬口」
どうしてそんなに悲しい方向に考えるのか、塚本には理解できない。
他の人間には、こんな気持ちになんてならない。
瀬口にはずっと側にいて欲しいから、精一杯大切に扱っているだけだ。
それに、瀬口の方こそ……と考えかけて止めた。
いま問題になっている事と、瀬口が拒む理由は根本的に違うのだから。
「ホントはオレの事なんて……」
「瀬口」
思わず声を荒げてしまうと、瀬口はビクリと驚いて言葉を止めた。
そこから先は聞きたくない。
どうしたらいいのか分らない。
大事にしすぎて、その逆に取られるなんて思いもしなかった。
何を言えばいいのだろうか。
どんな言葉を並べても、全てを伝えるには不十分で、それだけではこの想いは到底伝えられそうもない。
「そんな事は絶対にない」
それしか言えない。
けれど、それが今言える全て。
「好きだ」なんて口にしたら、めちゃくちゃに壊してしまうまで止まれなくなりそうで恐ろしい。
瀬口が小さく頷いて微笑う。
それから、塚本の首に腕を回してぎゅっとしがみ付いてきた。
「じゃ……」
塚本の肩に顔を埋めて「いいよな」と小さく呟いているのは確かに瀬口なのに、本当に瀬口なのか分らなくなってくる。
触れる身体は、いつもより若干体温が高い。
潤んだ瞳に見つめられては、さすがに抑えがきかなくなる。
「もっと、酔いが覚めてから……」
「今、が……いい」
普段の、無理矢理押し拓いたら砕けてしまいそうな無邪気さと、護ってあげないと砕かれてしまいそうな無防備さの瀬口とは違う。
手加減をしないと壊れてしまいそうなのは相変らずだが、濡れた瞳の艶めかしさに身体の奥が震えて、そんな気遣いすら吹き飛んだ。
塚本を誘っているのは、幾度となく押し倒したい衝動に駆られた瀬口なのだ。
その瀬口に誘われて、塚本が本気で拒める訳もなく。
自制心の壁は呆気なく崩れた。
抱き寄せようと触れた肌は熱く、指先の少しの動きにも敏感な反応を見せてくれる。
小さな声と吐息が漏れる度、身体の奥が熱くなる。
逸る気持ちを押えてゆっくり後ろに押し倒すと、普段は自分が寝ている布団に、瀬口の柔らかい髪が乱れた。
それだけの事に息を呑む塚本を、誘う瀬口の腕が引き寄せる。
布団に押しつけるように、何度も口付けをして確かめた。
今、自分の腕の中にいるのは、紛れも無く本物の瀬口なのだと。
目が覚めたら消えてしまう幻ではないのだ、と。
確かに、腕の中の瀬口は幻ではなかった。
触れ合う肌も、指先を滑らせた反応も、喘ぎの合間に漏れる吐息も、全ては現実のもの。
せっかく手に入れた、愛しくて大切な存在を壊していまわないように、優しく啄むようなキスをした。
塚本の肩を掴んでいた瀬口の手から力が抜けて、腕ごとズルズルと布団の上に落ちたのは、それから程ほどなくして。
「……瀬口?」
訝りながら、唇を離して呼びかける。
「………」
「………」
しばらくの後、規則正しい寝息が聞こえてきて、塚本は最大級の溜め息を吐いた。
「こういうオチか……」
こんな所で落ちても誰も笑えないだろ、とささやかにツッコミを入れて脱力した。
スヤスヤと眠る瀬口の寝顔があまりにも平和で、もう一度息を吐く他なかった。
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