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第96話 それもまた日常 -1

 唐突に、「普通」が分からなくなった。  今まで通りにしたいのに、どうしても上手くできない。  隣を歩く時はどのくらいの間隔だったのかとか、どんな顔と声で話をしていたのかとか。  意識するから普通じゃなくなるなんてとっくに分かっていても、どうしたら意識しないでいられるのかが分からなきゃ何の意味もない。 「ケンカでもした?」 「は!? 何で!?」 「いや、何となく」  休み時間中だというのに、ついさっき出されたばかりの数学の宿題を黙々と片付ける藤堂が、ふと顔を上げてこちらを見る。  藤堂が、宿題をその日のうちに学校で仕上げるのはいつものことだ。  家だと逆に全くできない、と言った時の物凄い形相は、今でも鮮明に憶えている。  家事とか色々やっているらしいから、オレには想像もつかないくらい忙しいんだろう。 「てか、『誰と?』とは訊かないの?」  ニヤリと小悪魔的に微笑んだ藤堂が、シャーペンでオレを指しながら言うのを聞いてから気がついた。  そんなの当然すぎて疑問にも思わなかった、っていうオレの思考が恥ずかしい。 「……だ、誰と?」  今更すぎて、笑っても乾きまくりだ。 「言わなくても分かるでしょ」 「だったら、わざわざ訊くなよ」  フフッと笑った藤堂は、再びノートに目を落として宿題を続ける。  オレは何をする訳でもなく藤堂の前の席に座ったまま、藤堂が走らせるシャーペンの軌道をぼんやりと見ていた。 「マサくんなら、こんな問題も簡単に解いちゃうんだろうね」  手が止ってしまった藤堂が、ポツリと呟いた。  どうやら、少し難しい問題らしい。 「……多分な」  他の教科は試験が終われば忘れちゃうのに、数学だけはちゃんと憶えているらしいし。  あいつ、数学は嫌いじゃないって言ってたしな。  話題の塚本誠人は、今は教室にはいない。  どうせ、屋上とかその辺で寝ているんだろう。  10月に入ったとは言え、今日は結構温かいから。  正直言って、それはちょっと助かる。  せっかく学校に来ているのに教室にいないんじゃ意味がないだろって思うけど、今はこの状態がありがたい。  顔を合わせても不自然になるだけだから。  何と言うか……気まずいんだよな。  今のオレには、あいつと目を合わせて笑って喋る自信がない。 「あのさ、どうしてオレたちがケンカしてるって思ったんだ?」  オレとしては精一杯普通にしているつもりだったのに、普通じゃないってバレているらしい事が気になる。 「そんなの、見れば分かるよ」 「え!?」 「瀬口はぎこちないし、マサくんは遠慮してるし。何かあったんだろーな、ってすぐに分かる」  さすが藤堂。  結論から言えば、それは大正解だ。  だけどケンカではないけど、その「何か」を言う訳にはいかない。 「ぎこちないかなぁ」  出来る限り、普通に振舞っているつもりだったんだけどな。  でも、意識しているのはオレだけかと思ったけど、藤堂目線ではあいつも普段通りじゃないのか。 「オレとしてはこれが普通のつもりなんだけど、やっぱ上手くいかないなぁ」 「でも、別にいいんじゃない? マサくんの機嫌は結構良かったみたいだし」  落ち込むオレを慰めてくれているつもりらしいけど、それはちょっと逆効果だ。 「… …よく分かるよな、機嫌がいいとか悪いとか」  ただでさえもどかしい自分の気持ちが、黒くなってしまう。  自分のことで精一杯だったとは言え、オレより誠人の事が分かるなんてどういう事だよ。 「そんな事で嫉妬されてもねぇ」  全く相手にしてくれない藤堂は、笑いながら柔らかそうな髪を掻きあげた。  そりゃあ、嫉妬するだろうよ。  こんなのが目の前にいたら、嫌でも自分と比べてしまうだろ。  その上、ただの知り合いだったとは言え、誠人とはオレより付き合いが長いんだから。  あいつは、藤堂に対してそういう気持ちを抱いたことはないんだろうか。  ……。  ……って、何てこと考えてしまうんだ。  毎度のことながら最低すぎる。 「カオリちゃんてさ、あいつといつから知り合いなの?」 「いつからって……」  そこでちょっと考えた藤堂の眉間に、明らかな皺が寄った。  何か嫌な事でも思い出したのだろうか。 「別に、前から顔見知りだったからって、何でも知ってる訳じゃないよ」 「そーだろうけど」 「オレに当たるくらいなら、探してくればいいのに」  唐突に興味が無くなったように、藤堂は突き放すような言い方をする。  藤堂には地雷的な話題があって、うっかりそれを踏んでしまうとご機嫌が斜めになってしまう。  分かりやすいのは弓月さん関係なんだけど、それ以外はどこに地雷が埋まっているのか分からないから、オレは結構な確率で踏んでしまうのだ。  ご機嫌が斜めになるのはその場だけだから大した影響はないのだけど、やっぱり踏んでしまわないに越した事はない。 「じゃあ……ちょっと行ってくる」  そう言って立ち上がった所で、何となくご満悦な藤堂の視線を感じたような気がしたから、振り向かずに教室を出て探しに向かった。  探さなくても、居場所なんて大体の見当はついているんだけどな。

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