108 / 226

第101話 3パーセントの誘惑 -2【塚本】

 その姿を見て、瞬時に事態を把握した。  小さな卓袱台を占領するように突っ伏している瀬口と、そのすぐ横に倒れているチューハイの空き缶。  これはもう、この短時間で缶チューハイを飲み干したと考えるのが妥当だろう。  よりにもよってアルコール。  そんなものがこの部屋の冷蔵庫に入っていたというのも問題だが、それを見つけて選んで飲んでしまったのが瀬口であるというのがもっと問題だ。  二人で帰宅して、塚本家の門をくぐるまでは一緒だった。  そこで運悪く母に捕まり、何やら用事を言いつてきたので、瀬口だけ先に部屋へ行かせたのだ。  その際に、時間が掛かっては退屈だろうと思い、飲み食いでもして待っていてくれというような事を言った。  基本的に大したものは無い離れだが、一般的な一人暮らしに必要なものは大抵揃っている。  台所や風呂場やトイレといった設備の他に、テレビや冷蔵庫等も備わっているのだ。  そこだけで十分生活が成り立つようになっている。  恐らく、瀬口は最初に卓袱台の付近に座っただろう。  しばらくはそうして大人しく座って待っていたが、空腹を覚え冷蔵庫を開けると、あまり目にしたことのない缶ジュースを見つけ、喉が渇いたような気もしていたのでとりあえず飲んでみたに違いない。  3パーセント程度のアルコール分とはいえ、瀬口を酔わせるには1缶で十分だ。  それにしても、弱いクセにどうして飲み干してしまうのだろうか。  塚本の気配を感じたのか、テーブルに押し付けられていた顔がおもむろにこちらを向く。  トロンとした瞳と赤い顔がジッと塚本を見ている。 「……おかえりぃ」  蕩けそうな顔がヘラリと笑った。 「ただいま」  そう答えながらどうしたものかと思案していると、瀬口がモタモタと立ち上がる努力を始めた。  テーブルに手を付き、グッと力を入れて足を伸ばす。  緩慢な動きでようやく立ち上がった瀬口は、フラフラと歩き出した。  目的地は塚本のようなので、倒れる前に向かえに行く。  一歩足を踏み出した所で、心配したとおりグラリと瀬口の身体が大きく揺れた。 「あれ?」  肩を掴んで支えてやると、瀬口は真っ直ぐに歩けなかった事に首を傾げているようだった。 「大丈夫か?」 「うーん……ダメかも」  自覚があるのか無いのか、笑いながらそう言う。 「少し、寝た方がいい」 「寝る?」 「布団を敷くから、そこで……」 「一緒に?」  と、上目遣いに訊いてこられては、言葉も詰まる。 「……それは、やめておく」  本来ならば大歓迎な流れな筈なのだが、どうにも素直に喜ぶ事ができない。  この状態の瀬口には、前にも遭遇した事がある。  あの時のことを思い返せば、断るのが妥当だろう。  素面に戻った時に記憶がない可能性があるので、下手な事はできない。  しかし、それまでフワフワとした雰囲気を纏わせていた瀬口の様子が一転する。  支えていた塚本の手を払った。  塚本を睨みつけると、覚束無い足でフラフラと後退さる。 「お前、ちょっとそこに座れ」  床を指して命令する。  突然の豹変に戸惑うが、目が据わっているので言われたとおりにすることにした。  膝を折って座った直後、何やら気配を感じて顔を上げると、瀬口がこちらに向かって来ていた。  目の前に立つ程度では止らず、そのまま塚本の上に凭れかかる。 「瀬口?」 「お前さぁ、一体何なの?」  塚本の首に腕を回して、顔は肩に埋めた瀬口が泣きそうな声で言った。 「オレで遊んでんの? からかってんの?」  感情が高ぶるのに比例して腕の力が強くなる。  このままでは、抱きつかれているのではなく、首を絞められている状態になってしまう。 「そんな事はない」 「じゃあ、どうしてオレがイヤって言う時はノリノリなのに、オレが誘ったらダメなんだよっ」 「それは……」 「どーせ、オレの事なんてよく喋る小動物くらいにしか思ってないんだろ!」  顔を上げた瀬口が予想外な事を言い出した。  犬とか猫とかその類のようだと思った事はあるので、少し後ろめたい。 「思ってないよ」 「そーだよな、小動物にしてはデカイもんな。じゃあ何だよ。大型犬か!?」 「……」  塚本が瀬口の事を「犬っぽい」と思った時の犬は、日本犬のイメージだった。  大体固まってきたのは、まめ柴。  それに、大型犬にしては落ち着きが無い、と思ったのは口に出さないことにした。 「本当はオレを抱きたいなんて思ってなくて、ただオレが慌ててるのを見て面白がってるだけなんだろ」  これに関しては黙っている訳にはいかない。  油断していると、瀬口はすぐにそういう方向に考えてしまうのだ。 「面白がってはいない」 「でも、楽しんではいるだろ」  間髪入れずに痛い所を突いてくる。 「オレだってさぁ、頑張ろうって思ってはいるんだけどさ」  ガクリと肩を落とし、弱気になった。  今にも泣きそうな表情で目を伏せる。  この一連の流れの間中、瀬口はずっと塚本の上に居座っている。  気分の浮き沈みの度に動かれては、肉体的にも精神的にも厳しい。  とにかく落ち着かせようと思い、瀬口の腕を掴もうと手を伸ばしたところで、逆に掴まれてしまった。  捕まった左手は、瀬口の顔の前まで連れていかれた。  瀬口はその手をジッと凝視している。  そして何を思ったか、左手の薬指をカプリと咬んだ。 「!?」  甘噛みとはいえ、第一関節辺りにしっかりと歯の感触がある。  指先に当たる舌がぬるりと生暖かい。  上に乗られている状態で、さすがにこれはいかがなものだろう。 「……瀬口」 「別にいいだろ、咬むくらい。犬だと思えば」  やけに犬に拘るので、そこを否定するのは止めた。  ただ、この状態だけはどうにかしなければならない。  改めて室内を見ると、畳の上の黒い固まりに目が留まった。  辛うじてエンブレムが見えるので、瀬口の着ていた制服のブレザーだと分かる。  瀬口の足元には、これもまたさっきまで着ていたセーターが脱ぎ捨てられている。  どうやら、酔うと脱ぐ癖があるようだ。  いや、もしかしたらただ単に暑くなっただけかもしれない。  エアコンの温風と、アルコールで火照った身体の所為で暑くなり、体温調節の為に脱いだだけだろう。  と、考えが及んで、塚本は少し眉を顰めた。  これ以上脱ぐ可能性があるのだろうか。 「分かったよ」 「何が、分かった?」 「寝るよ、一緒に」  酔いが醒めた時のことを考えるとあまり気乗りしないが、この瀬口を目の前にしてはもうこれ以上涼しい顔をしているのも限界だ。  塚本が降参するや否や、瀬口は塚本に抱きついた。  ふりだしに戻った気分だ。  諦めて瀬口の背中に手を回すと、それに反応するように瀬口の手が塚本の頭に伸びた。  その手の動きは、頭と言うよりは髪を撫でているようだ。  手触りを確かめるように、髪を指に絡ませている。 「かわいーな、誠人」  クスクスと笑うので鎖骨の辺りがくすぐったい。 「オレに添い寝して欲しーのか?」  どうも立場が逆な気もするが、ここはあえて正すことはしない。  それに、最終的に添い寝になるとしても、そこに至るまでには色々と行程がある。  邪まなことを考えたのがバレたのか、今度は肩の辺りを咬まれた。  知らないうちに咬み癖がついてしまったのだろうか。 「痛い」  例によって甘噛みなのでそれほど痛みがある訳ではないが、場所が場所だけに苦情を言う。  吸血鬼が相手なら死に至る所だ。 「そのうち、気持ちよくなるよ」  それもどうだろう、と思っていると、顔を上げた瀬口がフワリと笑ってこちらを見ていた。 「な?」  どういうつもりなのか、訊く余裕もない。  抱き締めて、畳に押し倒した。  この体勢になっても瀬口は上機嫌で、塚本の首に手を伸ばす。  指の感触にゾクリと震えた。 「好きだよ、瀬口」  そう言ってキスをすると、いつもの瀬口なら必要以上に照れて顔を逸らしたりするのだが、今は違った。 「バーカ、オレのが好きだよ」  そうして、塚本の顔を寄せて笑いながらキスをした。  例え本人にその気が無かったとしても、そんな風に煽られては止るものも止らない。  今ならきっと、何をしても拒まれることはないだろう。 「んー? ここですんの?」  シャツをたくし上げると、瀬口は少し不思議そうに訊いた。  逃げるような素振りは無い。  ただ単に疑問に思ったから訊いただけのようだ。 「駄目?」 「ダメじゃないけど、終わったら布団まで運べよ」 「当然」  元よりそのつもりだったので即答すると、瀬口は塚本に抱きついて楽しそうに笑った。 「オレの誠人は優しいなー」  思わず手が止ってしまうくらい、無邪気にそう言った。

ともだちにシェアしよう!