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第110話 同じ歩幅でいたいから -1
「ナーツ」
きっと誠人は忘れていると思うから、学校が始まった事を教えに塚本家にやってきたオレは門前で声を掛けられた。
知っている声だったので、何の疑いもなく自分が呼ばれているんだと思い振り向いた。
「学校、今日からだったんだ?」
小走りにオレに近づいて隣りに並んだのは、真新しい学ランが実に初々しい中学生。
予想していたのとは随分違う風体だったので、一瞬人違いかと思ってしまった。
「でも、朝オレが出かける時、まだ兄ちゃん家にいたけど……あー、また忘れたな」
中学生は、呆れたようにそう言って大袈裟に溜め息を吐いた。
見慣れない格好をしていても、中身まではそう簡単には変わらない。
コロコロと変わる表情以外は、まるで誠人の縮小版。
誠人も昔はこんなだったのかなぁ、ってカンジの外見が少しくすぐったい。
塚本尚糸 。
見たまんま、誠人の弟だ。
「あ、そっか。中学生になったんだよな」
「なったんだよ。やっとね」
初めて見る学ラン姿に戸惑うオレに、尚糸が少し不満気に答えた。
「制服なんか着てるからびっくりしたー」
この前までは小学生だっから、凄い新鮮。
考えてみれば、今まで小6だったんだから、この春から中学生になるのは当然なんだよな。
尚糸は、見た目は十分幼いのに仕草も中身もイチイチ大人びていて、ひょっとすると誠人より常識的な考えの持ち主かもしれない、と密かに思ってしまっているほどだ。
だから、中学生になったのも驚いたけど、今までが小学生だったというのもびっくりだ。
「似合ってないよ、どーせ」
正直なオレの感想に、尚糸は一層顔を顰めてそう言った。
そんな意味で言ったんじゃないのにな。
飛躍しすぎだろ。
「誰もそんな事言ってないって」
「そのうち背が伸びるからって言われて、サイズ合って無いんだ」
不貞腐れたように言って、首のホックを外した。
確かに尚糸には少し大きめで、着せられている感がある。
「誠人、大きいからなぁ」
あの兄を見れば、弟も大きくなるだろうと期待するのも分かる気がする。
オレが笑いながら言うと、比べられた事が不愉快だったのか、尚糸はフンとそっぽを向いてしまった。
その仕草がやけに可愛く見えて、ついつい微笑ってしまう。
基本的に誠人に似ているんだけど、表情とか仕草は違うんだよな。
尚糸の方が、圧倒的に考えていることが分りやすい。
そういえば、シロも吉岡さんと兄弟だというのに全然違ったな。
でも、あれは違いすぎだよな。
誠人と尚糸は、お兄ちゃんと弟ってカンジだけど、シロと吉岡さんの場合は、どう考えても血縁者に見えない。
シロって、どっちかというと仲井属性だよな。
吉岡さんが仲井を好きっていうのは、実は「弟みたいで」という意味だったりして。
人のことを詮索しても仕方ないんだけど、そんな事を考えてしまったり。
失礼だと分かっていても、つい。
と、勝手に吉岡さん兄弟の事を考えていて、ふと気付いた。
「尚糸はウチの中等部じゃないんだ?」
素朴な疑問。
誠人は中学からウチの学校なのに、何で弟の尚糸は地元の公立なんだろう。
必ずしも兄弟一緒って訳はないけど、何となく気になる。
「中学から私立なんて兄ちゃんだけで十分だよ。ただでさえ兄ちゃんが留年して一年分余分に金が必要なんだ。金は無駄に遣うもんじゃないだろ」
諭すように言われてしまった。
ハハ……結構しっかりしているよな。
ああいう兄を持つと、弟はこうなるのか。
バランスがいいんだか悪いんだか。
妙に説得力のある理由を言った後、尚糸は「それに」と言葉を繋げる。
「誰が行くかっ。男子校なんかに」
実に忌々しそうに、力強くそう付け足した。
なるほど、それが本音か。
そこまで否定された高校に通っている身としては、なんと言ってやったらいいのやら。
反論しようにも、なんとなく納得してしまって何も言えない。
多分、兄の素行を目の当たりにしての判断なんだろうな。
だったらオレが何を言っても無駄だ。
と言うか、本当にそうなら、むしろこっちが訊きたいくらいだよ。
尚糸がそういう判断に至った、兄の素行を。
「ナツってさ、兄ちゃんのどこがそんなにいい訳?」
尚糸の質問は唐突だった。
「は?」
あまりにも唐突すぎて間抜けな声しか出てこなかった。
オレより低い目線から、誠人によく似た容姿でそんな事を突然聞かれると、頭が真っ白になる。
「付き合いにくくない?」
そう真剣に訊かれると真剣に答えなきゃいけない気がして、不毛を感じつつも真剣に考えてみる。
「うー……ん」
確かに誠人は付き合い難いかもな。
やる気があるんだかないんだか分からないし、何考えてんのか分からないし。
頭良いくせに、肝心なとこでアホだし。
授業に出席するのを忘れても全然平気で、気にしてるこっちがバカみたいだ。
「オレは身内だからもう諦めてるけど、ナツは自分から苦労する必要ないと思う訳さ」
オレが答えを出すより早く、尚糸はすっかり悟りきった様子でそう言った。
その意見には、少し違和感がある。
「苦労? ……してるのかな、オレ」
独り言のように呟いていた。
尚糸の言いたい事は分かるんだけど、何かしっくりこない。
「あの兄ちゃんと恋愛しようなんて、尊敬するよ」
オレの反応がイマイチだった所為か、尚糸はダメ押しするように言って軽く息を吐いた。
半月前まで小学生だった子のセリフとや仕草とは思えない。
自分の兄が男の同級生と付き合っていると知っても(と言うか、そういう関係だと知らせなくても察していた)全く動じないんだから、このくらいの世間話は出来て当然なんだろうけど。
それにしても、大人びていると言うか頼もしいと言うか…。
オレが中学1年の時なんて、恋愛に苦労なんて結びつけてなかったよな。
ある意味、尚糸の将来が心配になってきた。
でも……苦労、かぁ。
「そういうのとは、ちょっと違うんだよな」
ぼんやりと考えていたら、ついつい声に出てしまった。
けど、その後に続く上手い表現が浮かばない。
何て言うのかな、こういうの。
「瀬口?」
思わず真剣に考えこんでしまった所に、話題の中心人物である誠人が現れた。
門前で長いこと話し込んでいれば、誰かに見つかることもあるだろうけど、この場合は少し微妙だ。
誠人の現れた方向が、門の中ではなく外だったから。
つまり、誠人は今まで外出していて、帰宅した所でオレたちを見つけた、という事になる。
学校にも来ないで何処に行ってたんだ?
「兄ちゃん、何してんの?」
恐らく、オレと同じような事を思ったらしい尚糸が怪訝そうに訊くと、誠人は ガサッと乾いた音をさせて、持っていた買い物袋を少し持ち上げた。
オレと尚糸の視線が注がれる。
袋の中にはあまり入っていないようだけど、ちょっと重そうだ。
「おつかい?」
「醤油を買いに」
覗きながら訊くと、誠人は何でもないことのように教えてくれた。
学校サボって醤油を買いに行くって…。
何やってんだよ、こいつ。
完っ全に忘れてる。
今日から学校始まってるって、絶対憶えてない。
だけど、それにしては違和感が…。
こいつ、なんで制服着てるんだ?
ネクタイは締めていないけど、誠人は制服姿だ。
学校に行く気だった、なんて事はないだろうけど。
「もしかして、学校、今日からだった?」
やはり、登校する為に制服を着ている訳ではないようだ。
だったら、何故? と疑問に思いつつも、特に慌てた様子もなく訊かれると、無性に困らせてやりたくなる。
オレばっかり気にして、虚しいじゃないか。
まぁ、今に始まったことじゃないけどな。
「だった!」
「そうか。……おかしいな」
少し怒ったように言ったら、誠人は不思議そうに首を捻った。
「何が」
「昨日、西原に、学校は明後日からだと言われたんだ」
その話はオレも聞いている。
まだ春休みなのに、間違えて学校に登校してしまったというあり得ない話。
今朝、西原先輩に会った時に教えてもらったんだけど、一つ食い違っている部分がある。
「それ、昨日じゃなくて、一昨日の話だろ」
「まさか」なんて思ってやらない。
誠人だったら十分考えられる。
日にちが1日ズレてるよ。
本人は1日しか経ってないと思っているけど、実際は2日が経過しているんだって。
だから、誠人の体内時計はまだ昨日の夕方で、学校が始まるのは明日からなんだ。
「一昨日?」
誠人が少し意外そうにそう呟くのが聞こえた。
完っ全にボケまくっている。
鈍い動作で首を傾げて、真剣に表情でオレに訊く。
「じゃあ、昨日はいつだ?」
知るかっ!?
これを見たら、オレと別のクラスになって拗ねてる、なんて事を藤堂も言わなくなるだろう。
こいつが、そんな事くらいで拗ねるかっつーの。
むしろ、拗ねているのはオレの方。
誠人にとって、オレといる時間はどのくらいの重要度なんだろう、って。
寂しいって思っているのがオレだけだったら、かなり落ち込む。
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