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第116話 戦いの火蓋は切れていた -2

「何? 俺に塚本と勝負しろって言ってんの?」  逸早く理解したのは、会話に加わったばかりの森谷だった。  驚異的な理解力だな。 「しかも、勝ったら瀬口をいただいちゃっていいって?」 「ご褒美がなっちゃんっていうのは塚本さん用だから、晴樹はただ普通に走ればいいよ。塚本さんに勝負だって思わせればいいだけだから」  シロが大雑把に説明するのを聞きながら、森谷の視線がこっちに向いた。  目が合った森谷が不敵に笑うから、すっごく嫌な予感がする。 「面白そうだな」 「どこが!?」  乗り気っぽい森谷に、秒速でツッコミをいれてやる。 「お前、現役バスケ部員だろ。全然勝負にもならないって」  例え誠人の運動神経が並外れて良かったとしても、普段からアホほど走ってる現役には敵わないって。  森谷は「そんな事ねぇよ」って笑ってるけど、そんな事あるだろ。  当たり前の事を言った筈のオレを、藤堂が詰まらなそうに見ていた。 「瀬口は、やる前からマサくんが負けると思ってるの?」  なんだ。  藤堂が気にしてたのはそっちか。  まさか藤堂までこの話に乗り気なんじゃないかって、一瞬焦ってしまった。 「思ってないよ」  と答えた半分は嘘だ。  誠人には悪いけど、藤堂の言う通り、勝つとは思っていない。  でも、負けるとも思っていないんだよな。  普通に考えたら、勝てる訳ない。  勝てる要素が見当たらなさすぎる。  だけど、誠人が負ける筈もない。  矛盾してるよな。  自分でもイマイチよく分からないけど、誠人が負ける所なんて見たくない、っていうのが本心かもな。 「てか、こっちで勝手に決めても、誠人が承知しなかったらどーするんだよ」  まずは本人の承諾を得てから、って基本中の基本だ。  こいつら(特にシロ)がそんなものに拘るか、というのは疑問だけど。 「じゃあ、俺が塚本さんに今の話をしてみるよ。さっきまで教室で寝てたから、まだいると思うし」  男ばっかの取り合い話に、まだ腑に落ちていない様子の藤吾が、そう言っておもむろに教室から出て行った。  誠人がこんな話に乗るなんて思えないから藤吾の方はいいとして、問題はこっちだ。 「シロ」 「何だよ、怖い顔して。なっちゃんてば、怒ってんの?」 「怒るっつーか、呆れてる」  面白半分で人の事を掻き乱すなよな。  体育祭が盛り上がるのはいい事だと思うけど、こんな内輪で、しかも少数で盛り上がっても意味ないだろ。  ただ単に、オレに対するイジメと取ってやってもいいくらいだ。 「お祭りなんだから、もっと気楽に行こうよ」 「お前なぁ!」 「あ、そうだ。いいものあげるから、ちょっと待ってて」  オレの話はまだ終わってないのに、シロは笑顔を振りまいてどこかへ行ってしまった。  誰かあいつを止めてくれ。  シロがいなくなってしまったので、オレの矛先は必然的に森谷に向けられる。 「森谷もさ、断れよ」 「俺が断っても、シロのあの様子じゃ、他の奴に声掛けるぞ」 「そーかもしれないけど……」 「俺が勝ったら、この辺に軽くチューの一つでもしてくれればいいよ」  森谷はそう言って、自分の頬の辺りを指先で軽く突いた。  余裕だな、こいつ。 「しねぇよ」  何でオレが森谷にそんな事をしてやらなきゃいけないんだ。  あ。ご褒美か。  でも、ご褒美っていうなら、もっと他にいいものがあるだろーに。  いくらオレを好きだと言った過去があるにしても、男からキスしてもらって何が嬉しいんだか。  オレにそんな事してもらって喜ぶのなんて、やっぱ誠人くらいだろ。  ……って、最悪。  自分で言ってどーする。  何を自惚れてんだよ、もう。 「いや~、お待たせ、お待たせ」  どこかへ行ってしまったシロが、意外に早く戻ってきた。 「なっちゃん、手出して」 「手?」  言われるままに右手を差し出すと、その上に何やら怪しげなものを乗せられた。  掌にすっぽり隠れる大きさにも関わらず、恐ろしいほどの存在感。  血気盛んな青少年の必需品。 「何だよ、これは!?」 「何って、コンドーム。超極薄0.02mm」  ご丁寧に詳しく説明してくれたけど、誰もそんな事は聞いてねぇ! 「そーじゃなくて!!」  オレが言いたいのは、何でいきなりこんなもんを手渡されなきゃなくないのか、って事だ。  良く見ると、黒いペンで「賞品」って書いてある。  賞品……って? 「勝った方と使うといい」  シロが清々しいほどの笑顔でそう言い放つのを聞いても、遠い世界の出来事のようなしか思えなかった。  その意味を理解するのに、十数秒かかってしまった。  冗談じゃない!  「勝った方と」って、有効なのは誠人だけだろ!?  森谷の場合は無効なんだろ!?  誠人が負けるとは思ってないのは事実だけど、こういうモノが出てきちゃうととてつもなく不安になる。  どっちが勝っても負けても、何かヤだ。  つーか、シロの頭の中はどうなってんだよ。 「それとも、ゼリーたっぷりつぶつぶ系のが良かった? やっぱ、なっちゃん的にはそっちだよな。 ごめんね~、気が利かない奴で」 「それも違うっ!」 「一個じゃ足んない? まったくもう、当日まで使うなよ」 「そーじゃねぇし、使わねぇよ!!」  次から次へと、とんでもない方向に話を転ばせやがって。  ちょっとはこっちの話も聞けよ! 「使ってないの!? ダメだよ、こういう事はちゃんとしておかないと。例え、相手が男でも」 「だーから、そーじゃなくて!」  ダメだ。  これっぽっちも会話が成立しない。  オレなんかじゃ、全然シロの相手にならない。  周りに助けを求めようとしたら、藤堂が不思議そうな目でこっちを見ていた。  何か言いたそう。 「つぶつぶって、何?」 「オレに訊くな!!」  可愛い顔して何を言うかと思えば…。  頭を抱えるオレを横にどかして、代わりにシロが答える。 「弓月利に訊くといいよ」  お前も余計な事を吹き込むなよ。  どうにも収拾が付かなくなってきた頃、誠人に知らせに言っていた藤吾が帰ってきた。 「話は纏まったかー?」  全然。  纏まるどころか、更に広がっちゃってます。  でも、これでこの話も終わりそうだ。  誠人の事だから、「メンドイ」の一言で取り合ってくれなかったに違いない。  当の誠人が不参加なんだから、シロの提案も却下だろ。 「…って、瀬口。お前、何持ってんの?」  ようやく味方が現れた、と喜んだのも束の間、藤吾はオレが手に持っているものを見て即座に引いた。  気持ちは分かる。 「コレはシロが勝手、に……」  弁解しようと口を開いた直後、藤吾の後ろに立っていた人物を見て固まってしまった。  誠人がいた。  「違う、違う」と、コンドームを振り回すオレの前に。  何でいるんだよ。  つーか、何で来るんだよ。 「色々詳しく説明すんの面倒だったら、連れて来た」  連れて来た藤吾自身も、誠人がここまで付いてきた事に驚いている様子だ。  誠人がわざわざ自分から動くなんて……やっぱ、オレ?  重ね重ね、なんて図々しい。  たまたま機嫌が良かったんだろうか。  にしては、ちょっと空気が重いぞ。 「『賞品』、て?」  目ざとく書かれた文字を読んてしまった誠人が、オレにも理解できない事を訊いてくる。  これの事なら、オレじゃなくてシロに訊いてくれ。 「1500mで俺と勝負して、勝ったらそれを使うような事をしていいんだってさ」  代わりに答えたのは、よりにもよって森谷だった。 「もちろん、俺が勝ったら使うのは俺って事になるけど」  挑戦的にそう言い放って、不敵に笑う。  さっきまでは、頬にキスすればいい、って言ってたくせに。  前に殴られたのを絶対に根に持ってるよ、こいつ。  険悪な空気を払拭するように、シロが陽気に付け足す。 「当然、どっちが勝っても相手はなっちゃんだよん」  もうお前は黙ってろ。  これ以上余計な事を言うな!! 「瀬口」  おかげで、誠人の声が低くなっちゃったじゃないか。  オレの所為じゃないのに、何でオレが恐縮しなきゃいけないんだよ。 「だから、これはシロが……」  言い訳をしようと口を開いたオレの言葉を最後まで聞かずに、誠人は「賞品」を持つオレの手を掴んだ。 「誠人?」  怒ってるかと思って見上げた顔は、意外に穏やかだった。  それが逆に、怖いと言えば怖いけど。 「やる気、出た」 「は?」 「勝つよ、森谷には」  うわ。  ダメだろ、それは。  そんな真剣な顔で言われたら、阻止する言葉が出てこなくなる。  マズイな。  ちょっとドキドキしてしまった。  後ろの方で、シロたちが盛り上がっているのが遠く聞こえる。  今の誠人の一言で、勝負は決定してしまったらしい。  オレの意見無視だよ。  まったく、みんなバカばっかりだ。  特に誠人。  お前は、勝ち負けなんて関係ないだろ。  勝負なんかに勝たなくても、キスでも何でもしていいっつーの。  それなのに、何でわざわざ…。  ふと、返しそびれた「賞品」を見る。  これを捨てても、無かったことにはならないよな。  シロの事だから、「失くした」って言ってもまた新しいの持ってきちゃうだろうし。  てか、何でオレはこんな事に巻き込まれてるんだろ。  抜け出そうにも、いつの間にか中心に置かれてしまってるから、これはちょっと無理そうだ。

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