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第121話 閉ざした扉の向こう側 -1

 遠くから、誰かの声が聞こえる。  聞いたことがあるような、だけど、多分知らない人たちの声。 「騎馬戦で落下するなんて、絵に描いたようなハプニングだな」 「生徒会長の権限で、ハプニング大賞とかあげちゃってくださいよ」 「どんな権限だ」 「だから『俺がルールだ!』的な。……って、今鼻で笑ったでしょ!?」 「コラ、そこ! そんな事やってる場合じゃないだろ」 「ほら、会長の所為でカオリちゃんに怒られちゃったじゃないですか」 「一緒にするな」  夢を見ているよりも近くで聞こえてくる声に引っ張られるように、段々と意識がはっきりしてきた。  目を瞑っていても、周りが明るい事が分かる。  あとは、目を開ければいいだけだ。 「瀬口」  オレの名を呼ぶその優しい声をきっかけにして、重たい瞼をゆっくり上げることにした。  白い光が押し寄せてきて、その眩しさに思わず目を細めた。  薄目で見渡す室内に見覚えはない。  ここはどこだ? 「あ! 起きた!」  自分の置かれている状況を確認するより先に、目の前にやけに可愛い顔が飛び込んできた。  女の子に間違いそうになるけど、そうじゃないことは知っている。  えっと、確か……。 「藤堂?」  確かめるように言うと、藤堂は安心したように息を吐いた。 「良かったぁ。とりあえず無事で」  一体何を心配していたのか知らないけど、藤堂は大袈裟に胸を撫で下ろして微笑った。 「騎馬戦の途中で上から落ちたの、憶えてる?」 「騎馬戦? オレが、落ちた?」  覗き込むようしてに訊いてくる藤堂の質問に、首を傾げることくらいしかできなかった。  可愛い顔で「憶えてる?」って訊かれても、そんなの全く憶えていない。 「落ちたんだよ、見事に」  と言いながら、藤堂は首をめぐらせて斜め後ろにいる奴を見た。  そいつは……どっかで見たことあるような…?  同じクラスの奴かな。 「ごめんな、ちゃんと支えてやれなくて」  申し訳なさそうに謝られても、何の事かさっぱり分からない。  そもそも騎馬戦って……。 「何で騎馬戦なんかやってたんだ?」 「何でって……」  ふとした疑問を口にしたら、藤堂の言葉が止まってしまった。 「体育祭でもあるまいし……」 「体育祭だろ!」  どこからともなく、鋭いツッコミが入った。  オレが寝ているベッドの周りには、他にも何人かの生徒がいて、その中の1人のかなり目立つ赤いTシャツを着た奴が身を乗り出している。 「なっちゃんを庇おうとした晴樹は手首を捻挫して1500m棄権だし。塚本さんも瀬口の側から離れなくて棄権だし。まさか、こうなる事を狙ってたんじゃないだろーな?」  ベッドに片手を付き冗談めいた口調でそう言ったのは、妙に目を惹く容姿の奴だった。  セリフの内容は、何を言っているのかさっぱり分からなかったけど。 「瀬口」  それは、夢の中で聞いた優しい声だった。  声の主は、ベッドの周りにいる数人の生徒の内の1人。  背がでかくて近寄りがたい感じの奴だけど、オレを覗き込む瞳と声はちょっと優しい。 「大丈夫?」  って、ちょっと顔近すぎだろ、オイ。  ビックリして、思わず仰け反るように逃げて距離を取った。 「大丈夫だから、そんなに顔近づけなるなよ」  注意、と言う程ではないけど、少し強めの語調で言ってやった。  自分ではそんなに変な事を言ったつもりはないのに、何故か周りの空気が妙な感じに変わってしまった。  まるで、オレが逃げたのが悪かったみたいな?  でも、いきなりあんな近くに知らない奴の顔があったら、誰だって驚くって。 「恥ずかしいのは分かるけど、もっと優しくしてやれよ」 「そうだよ。すっごく心配して、マサくんなのに別人みたいにピリピリしてたんだから」  藤堂たちに言われて、改めてそいつの顔を見る。  心配…してくれたって言うけど、何で?  どうしてこいつがオレの心配なんかするんだ?  あ。  もしかして。 「オレが落ちたのって、こいつの所為だったりする?」  我ながら起き抜けなのに随分と良い閃きをした、と感歎したのはほんの一瞬だけだった。 「何言ってんだよ」  話にもならない、と言うような力の抜けた否定を浴びせられた。  オレ、そんなに変な事言ったか?  絶対に当たりだと思ったんだけどな。  てか、それよりも、そもそも何故オレが騎馬戦をしていたのか、っていう所からの説明が欲しい。  体育祭なんて確か二ヶ月くらい先だったから、さっきのは嘘だって事くらい分かっている。  それと、ここにいるメンバーの正体も知りたい。  一体何の集まりなんだ?  ジャージ姿の生徒が何人かいるけど、オレが知っているのは藤堂だけだ。  なのに、やけに馴れ馴れしいのが気になる。 「何か、変じゃない?」  オレの顔をジッと見つめて、そう切り出したのは藤堂だった。 「変て?」 「瀬口の言動が」  可愛い顔で随分と失礼な事を言ってくれる。  面と向かって言い切られる程、「変」だという自覚は無いんだけどな。 「なっちゃんの言動が可笑しいのは、いつもの事なんじゃないの?」  ケラケラと笑いながら、赤いTシャツの奴が初対面の人間に対するセリフとは思えない事を言う。  こいつはもっと失礼だ。 「ちょっといいか?」  会話の流れを止めたのは、ずっと黙って後ろの方にいた人だった。  赤Tシャツの奴同様に知らない人だけど、メガネを掛けている所為か、落ち着いていて頭の良さそうな印象を抱いた。  着ているジャージの左胸の校章の色が2年生の色だ。  という事は先輩か。  まぁ、そんなのを見なくても、雰囲気が完全に先輩って感じなんだけど。 「頭を打って気を失っていたんだ。気分は悪くないか?」 「大丈夫、です」  敬語で返事しなければいけない空気を感じて、自然と口調が丁寧になる。 「それは良かった」  事務的に微笑んで、「それと」と口を開いた。 「今日が体育祭だという事は、分かっているか?」 「は?」  やけに長い沈黙が訪れた。  そんな事を訊かれても、全然知らない。  今日が体育祭?  さっきもそんなような事を言っていたけど、そんな筈ないだろ。  だって……。 「分かってるかって、そんなの分かってるに決まってるじゃないですか」  苦笑しながらメガネの先輩にそう言うのは、さっき謝ってきた奴。  あ。  何か……今思い出しかけた。  確か中等部もこの学校で、出席番号が後ろの方で…。 「森谷だ!」  思い出した拍子に大声で叫んでいた。 「同じクラスの森谷だよな?」  確認の意味を込めて訊ねた瞬間、周囲との温度差が急激に広がったのを感じた。  全員が、信じられないものをみるような目でオレを見ている。 「何言ってんだよ、今更」  森谷の顔に引き攣ったような笑みが張り付いている。  何か変な事を言っただろうか? 「瀬口?」  油断した隙をついて、背のデカイ顔の近い奴がオレの頭に手を伸ばしてきた。  例によって今回も必要以上に顔が近かったので、反射的に精一杯の距離まで逃げていた。  嫌悪感とかじゃなくて、いきなりで驚いたから。  だけど、知らない奴にこんな事されたら逃げるだろ、普通。 「さっきから何なんだよ、お前はっ」 「まだ、触っていない」 「触るとか触らないとかの問題じゃなくて、近いんだよ、顔が!」  同じ年頃の男同士で耐えられる近さじゃない。 「大体、お前は一体誰なんだよ。初対面のクセに馴れ馴れしすぎだろっ」  同じ高校の生徒だという事以外は全く不明のこの男は、同じクラスの人間ではない筈だ。  こんなにデカくて距離の近い意味の分からない奴、一度見たら忘れない。 「誰って……」 「瀬口、それ本気か?」 「やっぱり打ち所が……」  皆が口々にオレの頭の心配をしているので、かなり不安になってきた。  この中で、オレだけ取り残されてないか?  てか、何で皆してそんなに「信じられない」って目でオレを見るんだよ。  オレ、そんなに変な事言ったか? 「質問をしてもいいか?」  不安で心拍数が上がってきたオレに、メガネの先輩の事務的な声が降ってきた。  良かった。  少なくとも、この人はオレの言動に驚いていない。 「ここにいる五人の中で、知っているのは何人いる?」  唐突な質問だったけど、訊かれたので室内をざっと見回す。 「二人。藤堂と、森谷」 「えーーっ!?」  赤Tシャツの大きな声が響いたけど、すぐにメガネの先輩に「うるさい」と怒られて静かになった。 「それじゃあ、今日は何月何日」  妙な質問だな、と思いながら素直に答える。 「4月7日」 「今は高校2年?」 「まさか。だって昨日入学式があって、高校に入ったばっかだし」  オレのその一言が引き金になって、室内は騒然となった。  藤堂も森谷も、その他の奴らも、驚きの声を上げて狼狽しまくっている。  ただ一人、メガネの先輩だけは落ち着いていて、そのおかげで、オレも周りに釣られそうになりながらも辛うじて慌てずにいられた。 「これは、記憶喪失かな」  メガネの先輩は淡々とした口調で、狼狽する空気に爆弾を落とした。  全員の視線がオレに注がれる。  記憶喪失って?  オレが?  そんな馬鹿な。  だって、オレの記憶はちゃんとあるのに。  今日が4月7日じゃないというなら、一体何月何日なんだよ。 「高校に入学した翌日、つまり約1年前までの記憶しかないらしい」  いきなりそんな事を言われても、信じられるかっ。

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