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第124話 擦れ違うだけでも -2
「はぁ!?」
頭の中をフル回転させても、その単語の他の意味を探し出す事はできなかった。
「今は、触るなって言われてるから我慢してるけど、あまり長い時間は、耐えられない」
淡々とした口調で塚本がそう言う。
どこからツッコミを入れてやったらいいんだ。
「触るなって、オレが言ったのか?」
「ああ」
「オレ達、ケンカとかしてた?」
と、訊いてみたものの、普通友達とケンカして「触るな」は無いよな。
そういう事を言うのは……一体どういう場合だ?
「俺が、瀬口を怒らせただけ」
塚本はそう言うけど、何となく腑に落ちない。
塚本がオレに、二度と触って欲しくないような事をして、オレが怒っていたという事か?
それって、どんな事だよ。
……まさか。
「さっき言ってた、その……犯すって、どういう……?」
しどろもどろになってしまったオレの質問にも、塚本は淡々と答える。
「抱きたいって事。無理矢理にでも」
その言葉を聞いた途端、サーッと血の気が引いて、その場から勢いよく立ち上がっていた。
跳ねるようにして、座ったままでいる塚本から距離を取って、できる限りの警戒をした。
「冗談、だよな?」
「本気」
と、口で言ってるだけで、塚本が本気な訳がない、とちゃんと分かっている。
だって、森谷と好きな子を争って勝負したんだろ?
それでオレにそんな事を本気で言う訳がない。
分かっているのに、どうしてこんなに動揺するんだよ。
こっちを見る塚本の目がやけに真剣で、笑い飛ばすには重たすぎた。
冗談にしてもどうかと思うけど、本気だったらもっとおかしいって。
「オレ、男なんだけど」
知らない筈がないと分かってはいるが、一応伝えてみる。
今更すぎて、自分で言っていて哀しくなるよな。
これに対してどんな返答がくるのかと思っていたら、塚本は何も言わずに嬉しそうに笑っただけだった。
「だーから、何でまた笑ってるんだよ」
またしても、オレを見て笑いやがった。
どうやらオレの言動には、こいつの笑いのツボがあるらしい。
それって、何となく失礼じゃね?
「ごめん」
て、また謝るし。
「全部忘れても、瀬口は瀬口だなぁ、と思ったから」
何だ、そりゃ。
そんなの当たり前だろ。
それに、オレが忘れたのは「全部」じゃなくて、約1年間分の記憶だけだ。
基本的な言動に、それほど大きな違いがあるとは思えない。
そりゃあ、塚本の事は全部忘れてるけどな。
「反応が、同じ」
塚本は一人で勝手に満足して微笑っている。
「同じって……お前、オレにそんな事ばっか言ってたのかよ?」
「いつも、怒られてたけど」
塚本は残念そうに言うけど、そんなのは当たり前だ!
少しだけど、こいつの事が分かってきたぞ。
噂を聞いていただけだとちょっと怖くて近寄りがたい印象があったけど、今はただ単に変な奴って感じだ。
考えてる事が分からない。
テンポが掴みづらい。
言ってる事が不可思議。
オレは本当に、こんな奴と仲が良かったのだろうか?
とは言え、悪い奴ではなさそうだとは思う。
いつの間にか巻き込まれている塚本のペースは、そんなに嫌いじゃない。
むしろ、ちょっと楽しい。
「だから、瀬口」
警戒を解いて再び隣に座ろうかと思い始めた時に、そんなオレに忠告するように塚本が口を開いた。
伏せていた瞳がゆっくりとこちらを向き、オレを捕えて止まった。
「押し倒される前に、逃げた方がいい」
何度も言われて、もう「冗談」とか「本気なのか」とか訊く気も失せる。
だけど、そう告げる塚本の表情が真剣なのは確かで、瞳も嘘を吐いているようには見えない。
それはつまり、塚本のセリフは本気で、オレの身に危険が迫っていると言う事らしい。
と、言われてもイマイチ実感が湧かない。
万が一、危機が迫ったとしても、この塚本相手だったら上手く逃げられそうだし。
「それはもういいって」
呆れた感じでそう言って、とりあえず息を吐いた。
「お前、好きな子がいるんだろ?」
森谷と体育祭の1500mで勝負をしていた、という話を思い出していた。
この塚本がどんな子を好きになるのか、少し興味があった。
なのに、詳しく訊きたいとは思えない。
何だろうな、この感じ。
「冗談でも、誰某構わず節操無くそんな事ばっか言ってると、本当に好きな子は森谷に取られるぞ」
少し意地悪く言ってから、すぐに後悔した。
塚本の表情が、明らかに変わったから。
変わったというか、表情が無くなってしまった。
感情の読めない無表情。
それまでは、どちらかと言えば穏やかな雰囲気だったのに、一瞬にして冷たい雰囲気になってしまった。
しまった。
塚本の知らない所で、好きな子の話をネタにしていたってバレバレだ。
やっぱり怒るよな。
気分悪いに決まってるよな。
つい口が滑ったって言っても、言い訳にもなってないし。
「あっ! やっぱりここにいたか」
場の空気を変える声が響いた。
校舎に入る扉からひょっこり現われたのは、さっき別れた森谷だった。
「教室に戻ってなかったから、迷子になったのかと思って探しちまったよ」
「あ、ごめん」
「いいよ。ここにいたのなら、探した俺が野暮だった訳だし」
森谷は苦笑しながら不思議な事を言って、そのまま扉を閉めて行ってしまった。
あっと言う間の出来事で、引き止める事もできなかった。
「って、あいつ何しに来たんだ?」
きっと、先に教室に戻っている筈のオレがいなかったから、心配して探してくれたんだろう。
なのに、オレを見つけたのにそのまま帰っちゃうなんて。
変な奴だな。
「オレ、そろそろ戻るな」
森谷の態度が気になったので、後を追いかける事にした。
好きな子の事で口を滑らせてしまったから、何となく気まずいし。
塚本も、何だかんだ言って一人になりたいみたいだしな。
オレはここからいなくなった方がいいに決まっている。
「じゃあな」
軽く別れを告げて、出入り口の方へ小走りに駆けていく。
「瀬口」
扉を開けて中に入る直前、フェンスの辺りで寝ぼけていた筈の塚本に呼び止められた。
振り返るとすぐ後ろに立っていて、あまりの近さに驚いて背中が壁にぶつかってしまった。
「ビックリしたぁ」
改めて見上げると、塚本の顔はあり得ない程近くにあった。
壁を背にしたオレの前に立ちはだかり、両腕を壁に突き出してオレの退路を阻む。
ヤバイ。
怒らせたか?
真正面から覗き込まれて、思わず顔を逸らしてしまった。
こいつの真剣な顔、無性に恥ずかしくて直視できない。
「気分悪くさせたなら、謝るって」
息が掛かる程の至近距離に圧されて、塚本の顔を見る事ができないどころか、身体が固まってしまって身動きすら取れない。
何なんだよ、こいつ!
「だから、言っただろ」
妙に甘い声色と吐息が耳元を襲う。
「早く、逃げた方がいい、って」
耳から頬を辿って移動した吐息が首筋を彷徨う。
触れそうで触れない、ギリギリの距離。
1mmも触れられていないのに、愛撫されているような危うい感覚に陥って頭がクラクラする。
どうしたらいいのか分からなくなって、ズルズルとその場に崩れ落ちた。
ペタンと座ったその場所は扉の内側で、咄嗟に見上げた時には既に屋上への入り口は閉まりかけていた。
遮断される陽の光と共に、塚本の姿も扉の向こう側にいた。
「ごめん」
三度目の謝罪の言葉は、重い扉の閉まる音に半分掻き消されていた。
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