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第126話 同じものが得られるとは限らない -2

□ □ □  たかだか1年分の記憶がなくても、人は生きていけるよな。  1年生だと思っていたのが、いきなり2年生になっているのは辛いけど、何とかならない事もないだろう。  男と付き合っていたなんて過去を思い出すよりは、全然マシだ。  だけど……。  衝撃的な過去を知らされて、午後の授業は狼狽えまくりで何も耳に入ってこなかった。  放課後になってもそれは同じで、頭の中は相変らず同じ事がグルグルと回っている。  思い出さない! と決めたのに、気になって仕方ないんだ。  オレが塚本と付き合っていた、という事が。  そんな事になっていたオレの気持ちもだけど、経緯もかなり気になる。  何がどう転んだら、そんな事態になってしまうんだ? 「まだ帰らねぇの?」  いつまで経っても席を立たないオレに声を掛けてくれたのは、すっかり帰り支度を終えた様子の森谷だった。 「森谷は、もう帰るのか?」 「俺はまだだよ。これから部活。と言っても、手首が治るまでは大した事はできないけどな」  言いながら、負傷中の右手首を差し障りのない程度にヒラヒラと振ってみせた。 「そっか。バスケ部だもんな」 「そうそう……って、俺がバスケ部だって言ったっけ?」  と、訊かれて、そう言えばと首を捻った。 「あれ?」  そんな話、誰からも聞いてない……よな?  でも、森谷がバスケ部なのは知っていた。  知っていた?  どうして知ってたんだろ。  何か気持ち悪いな。 「もしかして、ちょっと思い出してきてる?」  何気ない森谷の一言で、背筋に悪寒が走った。  断片的にでも記憶が戻っているという事は、塚本との事もそのうち思い出してしまうってことだろ。  それは、かなり困る。  まだ心の準備ができてない。 「何でそんな嫌そうな顔なんだよ。思い出すのが嫌なのか?」  鋭い森谷の指摘に、ガックリと肩が落ちた。 「……ちょっと」 「何が嫌なんだよ。全部思い出したらスッキリするぞ」 「逆な気がするんだけど……」 「あ?」  ポツリと呟いたオレの一言に、森谷が「聞こえなかった」と大袈裟に耳を寄せてきた。  聞き流してくれてもよかったのに、しつこく聞き返してくるので渋々口を開いた。 「塚本と付き合ってたなんて記憶、思い出したくないって言うか……」 「そんなに嫌か?」 「だって、男となんて普通じゃないだろ」  別に塚本が悪いんじゃない。  問題は性別だ。  と言うか、男と付き合ってしまうオレの神経だ。  それを言うなら塚本もそうだし、それを当たり前のように受け入れる森谷たちもそうだよな。  って、そんなに話を広げてしまったらまた訳が分からなくなる。  一番の問題は、やっぱりオレか。  いや、塚本も同じくらい問題有りだよな。  そもそも、どっちが言い出したんだ?  あのぼーっとした塚本にそんな意欲があるかな。  無さそー……。  だとしたら……オレ!?  それだけは勘弁だよな。  自分からそんな事を言い出すなんて、想像しただけで頭が破裂しそうだ。  昼休みの屋上での事を思えば、塚本からっていうのも考えられない事もないけど……。  でも、塚本に告白される場面なんて想像も付かない。  想像できない度で言えば、その逆の方が上なんだけどな。  どっちが先に好きになったにしても、オレがどういう気持ちだったのかが謎。 「やっぱり嘘だった、って事はない?」  結論としては、「全部嘘でした」っていうオチが一番しっくりくるんだけどな。 「瀬口と塚本の事? 嘘だったら良かったのになぁ、とは何度も思ったけどな」 「そーだよな。オレも何度そう思ったか」  この話を聞いてからずーっと、頭のどこかで「騙そうとしているに違いない」と期待していた。  でも、森谷にもシロにも、「ドッキリ大成功!」と書かれたプラカードを隠し持っている気配はない。  森谷だって、嘘なら良かったのにって思ってるくらいだし、オレと同じ考えの持ち主に違いない。  あれ?  何か、変なの。 「って、何で森谷がそんな事思うんだよ」  オレや塚本が思うのは仕方ないとして、どうして森谷までオレたちの事が嘘だったら良かったなんて思うんだ?  関係無いのに。  むしろ、面白がってるように見えたのに。 「それは、ほら、俺が瀬口を好きだったから」  やけに明るく朗らかに言うので、重要な部分に気づくのが遅れてしまった。 「嘘だったらって言うより、早く別れねぇかなぁ、ってずっと思ってたし」 「…………え?」 「でも瀬口は俺なんか眼中に無かったから、塚本と別れても望みはなかっただろーけどな」  あっけらかんとした口調の割りに、森谷のセリフはかなり衝撃的だった。  何だか、またしても更に難しくなってきたぞ。  森谷がオレを好き?  それは当然、友達として、だよな……って、当たり前だろ。  それ以外に何があるっていうんだ。  塚本の事で、頭の中が変な方向に毒されてしまって困るな。  でも、体育祭での勝負は好きな子を賭けたって言っていたよな。  それって、オレ……って事?  やっぱり嘘だろ。  男ばっかの三角関係なんて虚しすぎて、信じろって方が無理だ。 「あんまり話をややこしくするなよ。頭がこんがらがるだろ」  頼むから、これ以上話を難しくするな。 「本当の事を言っただけなんだけど?」  あっさりとそう言い放った森谷は、何が悪いのか、というように首を傾げた。  例えそれが本当の事でも、今は教えて欲しくなかったな。  嘘とか本当とか、そんなのはどーでもよくなるくらい疲れた。 「お前らは体育祭で、好きな子を掛けて争ったって言ったよな?」 「ああ」 「今の話が本当なら、それはオレって事になっちゃわないか?」 「なっちゃうって言うか、そうなんだけどな」  話についていけない。  頭がグラグラする。  森谷ってこんな奴だったのか。 「お前、オレが好きなのか!?」 「だから、そう言っただろ」  言われたし、聞いてしまったけど、そんなの何回聞いても冗談にしか聞こえない。  むしろ聞かなかった事にしたいくらいだ。 「でもまぁ、今はそんなに深い意味はないよ」  ここまで突っ走っていた森谷の発言が、急になだらかなものになった。 「今は、って?」 「ちょっと前までは本当に、力ずくでもいいくらい好きだったけど」  力ずくって何……?  どういう意味で?  何か、物凄い悪寒が走ったんだけど。  …………まぁいいや。  深く追求したいような事じゃないし。  オレが小さな事に引っかかっている間にも、森谷の言葉は続いていた。 「塚本と勝負したのは、けじめを付けたかったんだ」  真面目な表情の森谷が、独白のように呟く。 「あいつにだけは、どんな事でもいいから勝ちたかった」  その言葉の裏側にある決意は、今のオレには分からない。  もし、記憶があったなら、何か気の利いた一言を掛けてやれたのかもしれない。  だけど、今ここにいるオレには、ただの独り言にしか聞こえなかった。 「塚本に勝てば、けじめが付けられるのか?」 「多分」  よく分からないけどそういう事なんだろうと思って訊くと、森谷は少し気まずそうに笑って頷いた。 「だったら、別にオレなんか賭けなくても、普通に勝負すればいいのに」  我ながら尤もな意見だと思う。  森谷が真剣に塚本に勝ちたいと思っていたなら、ただ単に勝負すればいいだけの話だ。  そこにオレを絡めて、話をややこしくする必要なんてないだろ。 「瀬口を賭けないと、塚本は本気を出さないんじゃないかな」 「……そーいう考え方、止めてくれないかな」  さっきから、塚本の話題になる度に妙な動悸に襲われて困る。  付き合っていた、なんて話を聞いてしまったから、変に意識してしまっているみたいだ。 「ひとつ訊いていい?」 「どーぞ」  今までの真剣な表情と口調とは打って変わってしまった森谷が、快く応じてくれた。 「オレ、あいつの事好きだったのかな?」  「あいつ」とは、言わずと知れた塚本の事だ。  こんなの、他人に訊くようなことじゃないのは分かっているけど、どうしても訊かずにはいられなかった。 「よりによって、それを俺に訊くかなぁ」  森谷はかなり落胆した様子で、肩を落として溜め息を吐いている。 「塚本が好きだから、って理由で俺は瀬口に振られたけど?」  その答えを聞いて、悪い事を訊いてしまったのだと気づいたけど、それどころじゃなかった。  森谷には悪いけど、森谷の失恋話よりも、オレの衝撃的な発言の方が重大だったから。  オレ、本当にそんな事を言ったのか?  しかも、森谷に?  嘘だろ。  男に告白されて、男の塚本が好きだからって断るなんて、オレの常識が裏返って捻じ曲がるような場面が実際にあったというのか。  森谷は振って、塚本とは付き合っていたって事は、やっぱりオレって……。  そんなの、考えたくもない。  例えそうだったとしても、今のオレも同じ感情を抱くとは思えない。  大丈夫。  オレは男なんか好きになったりしない。  そういう確信はあるのに、胸の奥がすっきりしないのは何故だろう。  頭痛い。  気持ち悪い。  平衡感覚が薄れていく感じがする。  塚本は好きじゃない、って自分に暗示をかけていても、何かの拍子で記憶が戻ったら、その瞬間からオレは塚本が好きだって思うようになるのだろうか。  それって、かなり最悪。  最悪すぎて泣けてくる。  誰でもいいから嘘だって言ってくれないかな。  じゃないと、もう、塚本の顔をまともに見ることができない。

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