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第128話 逃げるか追うかは自分次第 -2

□ □ □  辿り着いた柔道場を覗いて、やたらと活気に満ちた空間に圧倒された。  敷き詰められた畳の上で、十数人の部員たちがキビキビと練習をこなしている。  The 運動部って感じ。  オレも中学の時は運動部だったけど、全然こんなんじゃなかったな。  そもそも、あんまり真面目にやってなかったし。  一体何が珍しいのかと見渡していると、奥の方で見覚えのある姿を発見した。  柔道着姿で、対峙した相手を今まさに投げ飛ばそうとしているのは、顔を合わせるのが尤も気まずい相手の塚本だった。  ドン! という音と衝撃で、組んでいた相手が畳の上に沈んだ。  乱れた道着を手早く直して、相手が起き上がるのを待ってまた向き合った。  オレの中の勝手な塚本のイメージからは、想像も付かない真剣な表情。  うわぁ……。  何かちょっと…ヤバくないか、これ。  すっげぇ心臓の動きが早いんだけど。 「確かに、これは珍しい」  オレと同じものを見ていた森谷が、感心したように呟いた。 「あれ塚本だよな? あいつって、柔道部なのか?」 「中等部の時はそうだった時期もあったみたいだけど、今は違う筈だぞ」  何故か詳しい森谷が即答してくれたおかげで、別の疑問が浮かんでしまった。 「じゃあ、なんで柔道部に混ざってんの?」  ただでさえ、中等部の時に柔道部だったっていうのも似合わないのに、部員でもないのに部活に参加するなんて、全くらしくない。  いや、塚本らしさなんてものは知らないけど。 「さぁねぇ? 何かムカツク事でもあったんじゃねぇの?」  突き放したようでいて、何かを知っていそうな森谷の発言には、ちょっとドキッとした。  どうしてかは分からないけど、その原因がオレのような気がして。  思い当たる事なんてないのに、やっぱり昼の屋上での件が頭を過ぎってしまう。  オレが忘れている事で、塚本の負担になっている何かが……あるんだろうな、やっぱり。  オレ達が付き合っていたという話が本当なら、だけど。 「あれ、あいつ」  森谷の驚いたような声がしたのでつられて見ると、塚本の横に見知った顔が。  確か、昼に購買で会った1年生の将孝くんだ。 「あいつ、柔道部なのか」  何だか複雑そうな表情で、森谷がそう呟いた。  オレはその言葉には何の反応もできずに、今までの印象とはかけ離れた塚本の姿に釘付けになっていた。  強いて言うなら、ギャップ萌え。  昼休みに屋上でボーっとしていた奴と同一人物には思えない。  ごく自然に「カッコイイ」なんて思ってしまって、余計に鼓動が早くなる。  その姿から、何故か目を離すことができない。  塚本の隣にいるのがどうして自分でないのだろう、なんて思考が頭の片隅を過って焦る。  意識しすぎている所為なのか、ドキドキが煩くて気持ちが悪い。 「瀬口?」  頭に響く動悸に森谷の声が重なって、真っ直ぐ立っていられないくらい視界がグラグラと揺れている。 「なんか、ちょっとダメかも」 「え?」  支えてくれた森谷の腕を咄嗟に掴んで、何とか言葉を絞り出した。 「外、出たい」  心配してくれる森谷の肩を借りて、なんとか道場の外の壁に寄りかかって大きく深呼吸をした。  見上げた空がやけに遠く感じて、少し眩暈がした。  急に力が抜けて、持っていた鞄が足元に落ちてしまった。 「何か思い出したのか?」  そう訊いてくる森谷に首を横に振って答えた。 「全然。むしろ、思い出せなくて気持ち悪い」  頭と胸のモヤモヤは全く晴れないどころか、さらに濃くなってしまった。  この動悸の原因が、ただ単に、付き合っていたという情報の所為で意識しているだけならまだいい。  問題は、何も憶えていない状態のオレが塚本を見て、「カッコイイ」とかときめいてしまっている場合だ。  冗談じゃない。  そんな事は有り得ない。  だけど。  塚本の姿を見つけた時の安堵感は何なんだろう。  傍に駆け寄りたくなる、この気持ちの高揚は。  「やっぱりそうだった」  オレの気分と真逆の明るい声がした。  見ると、何故か将孝くんが立っていた。 「さっき中を覗いてたでしょ? 何か用事があるのかと思ってたら、いきなり消えるし」  屈託のない笑顔で近寄ってきて、オレが落とした鞄を拾い上げた。  昼の時も思ったけど、人懐っこい子だな。 「あれ。もしかして、具合悪いとか?」 「まぁ……ちょっと」 「だったら、こんな所にいないで早く家に帰ればいいのに」  悪気はないんだろうけど、そういう言われ方はちょっとグサッとくるな。  オレだって、さっさと帰るつもりだったけど、途中で生徒会長に会ってここに来てみろって言われて……と言いたいけど黙っとこう。  喋るのが面倒だ。 「そんな冷たい事言うなよ。ちょっと見学するくらいいいだろ」  オレの鞄を受け取ってくれた森谷が、大人な対応で笑った。 「ところでさ、さっき話してたの塚本だよな? あいつ、何で柔道部にいるんだ?」  さらりと一番聞きたかった事を聞いてくれるなんて、森谷はいい奴だ。 「誠人さん? 何かね、突然来て『混ぜて』って。あの人強いし、先輩達は大歓迎って感じだったけど、すっげぇ殺気立ってて怖いんだよね。今も、気に入らない事があったみたいで帰っちゃったし」  残念そうに言って、小さく息を吐いた。 「帰った?」 「向こうの入り口から。用があるなら、部室に行けばまだ着替えてるトコだと思うから、間に合うんじゃない?」  と、向こうの方を指しながら教えてくれた。  けど、用事なんて特にないんだよな。  会っても喋る事なんて無いし、むしろ気まずいし。 「だって? どーする?」 「別に」  わざとらしく訊いてくる森谷の顔を押し退けて、ぶっきらぼうに突き放した。  だけど、何か引っかかる。  一体何にこんなに引っかかるんだ。 「誠人さん、何かあったの? いつもと雰囲気が全然違って怖かったんだよね」  ズキッと頭の奥に痛みが走った。  少しイラッともした。  将孝くんの言葉には、不愉快になるような要素はなかったのに。 「いつもの塚本と比較できるくらい親しいんだね?」  つい口から出たセリフが、思っていた以上に刺々しい言い方になってしまっていた。  こんな事聞きたい訳じゃないのに、言わずにはいられなかった。  だけど、言ってすぐに後悔した。 「ゴメン。今のいいや。忘れて」  自分で聞いたクセに、途端に恥ずかしくなった。  だって、これじゃまるで…。 「あれ? もしかして俺、ヤキモチ妬かれた?」  隠そうとしていたのに、あっさり将孝くんに指摘されてしまって恥ずかしさが3倍くらいに膨れ上がった。  そんなにはっきり言うなよっ!  オレだってビックリしているんだから。  まるで、自分の知らない塚本がいるのが許せないみたいな、そんな感情知りたくもない。  将孝くんは、照れたように頭を掻きながら軽く頭を下げて口を開いた。 「参ったなぁ。気持ちは嬉しいんだけど、好きな人がいるんで困ります」  間違ってるし!  そうじゃねぇだろっ。  妬く相手が違うわ。  ちょっと丁寧な言い方なのも癪に障る。  そんなの、オレだって困るっつーの! 「……ってのはいいとして」  将孝くんの口調が急に真面目なものに切り替わった。  唐突すぎて付いていけない。  自分で話を広げたクセに、勝手に打ち切るなって。 「誠人さんの機嫌が悪いのって、なっちゃんの事で責任を感じてるからじゃないのかな」  つーか、お前までオレをその呼び方で呼ぶのかよ。  まぁいいけど。  いや、良くはないんだけど、なんか定着しているっぽいから放置している。  呼び方なんて、その時の雰囲気で変わるからな。  あまり気にしても仕方ない。 「オレの事でって?」 「それは当然、騎馬戦で落っこちた事でしょ」  「落っこちた」と簡単に言ってくれるけど、そんなに軽いものじゃないぞ。  特にこれと言った怪我は無かったんだから、軽かったといえば軽かったのかもしれないけど。  記憶失くすくらいの衝撃はあったんだからな。 「どうして落ちた事に、塚本が責任を感じなきゃいけないんだよ。あの時、塚本は関係ないだろ?」  オレよりもその時の事情に詳しい森谷が指摘する。 「そーなんだけど」  言葉を濁しながら、ちらりとこちらを見た。 「俺も聞いた話だから憶測でしか言えないけど、あの時誠人さんは応援席にいて、なっちゃんと目が合ったんだって。その後すぐに落っこちたから、自分の所為かもって責めてるのかもなぁ……って言うのは考えすぎ?」  それはかなり意外だった。  オレのあの事故を、塚本が自分の所為だと思っている事が。  あいつ、そんなの一言も言ってなかったのに。  それに、落ちる前にオレが塚本を見てたって?  騎馬戦の最中に?  その話が本当なら、そりゃ落ちてもおかしくはないかもな。 「だからさ、憶えてたらでいいから、タイミングを見計らって『気にしてないよ』的な事でも言ってやってほしいんだよね。あの人が機嫌悪いと怖いし」  と、言われてもなぁ。  そんな勝手な推理、素直に信用できない。  と言って断る事もできたけど、何となく頷いてしまった。  塚本が不機嫌な原因がそれかどうかは分からないけど、でも、本当に塚本がオレの事で責任を感じているのなら、気にしてないって言わないといけないよな。

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