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第129話 逃げるか追うかは自分次第 -3
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森谷や将孝くんと別れて帰路につこうとしていた筈のオレの足は、何故か別の場所へ向かっていた。
昼の時もそうだったけど、知らないのに知っているような気がするって変な感じ。
こういう事の積み重ねで、記憶が戻っていったらいいのにな。
……今は、あんまり戻ってほしくないんだけど。
そうこうしているうちに、古びた建物のとあるドアの前で立ち止まっていた。
扉には「柔道部」と書かれたプレートが掲げられている。
つまりここは柔道部の部室、らしい。
ここに辿り着いてしまったというのは、何かの偶然だろうか?
迷わずここまで来てしまったし。
以前に来た事があったのかな。
まぁ、今はそんな事はどうでも良くて、問題なのはこの中に塚本がいるかもしれないという事だよな。
将孝くんは「部室にいる」と言っていたけど。
入り口まで来たからって、中を覗いて声を掛けなきゃいけない訳じゃないんだから、このまま帰ってもいいんだけど……。
中から声がする?
ような気がして、耳をドアに近づけようとした瞬間、不意にドアが開いた。
「……っ!?」
避けきれずに耳をぶつけたドアの向こうから驚いた顔を覗かせたのは、昼に屋上で声を掛けてくれた生徒だった。
「あっ! ごめんなさい。大丈夫ですか?」
オレの存在に気づいて、慌ててこちらの心配をしてくれる。
「全然大丈夫。こっちこそこんな所にいてゴメン」
耳を押さえながら言う。
この子には、いつも情けない所ばかり見られてるよな。
でも、どうして柔道部の部室から出てくるんだ?
オレよりも華奢で、とてもじゃないけど柔道部員には見えない。
「全部忘れたって聞いたけど、やっぱり誠人さんの側から離れないんですね」
「え?」
唐突なセリフに聞こえて、思わずその1年生を凝視した。
顔は笑っているけど、言葉がやけに刺々しく聞こえたから。
こいつ、何なんだ?
塚本の事は「誠人さん」って言ってたから確実だろうけど、オレの事も知っているっぽい?
もしかして、昼にあの場所にいたのも塚本に用があって、とか?
どうしてか、この1年生を見ていると気分が悪くなる。
と言うか、頭が痛くなる。
屋上で会った時は、こっちのテンションも尋常じゃなかったからその所為かと思ったけど、どうやら違うみたいだ。
何かされた訳でもないのに、どうしてだろう。
これも、記憶を失くす前の感情なのだろうか。
だとしたら、この子とも知り合いなのか?
「お前……」
「失礼します」
何かを訊かなきゃと、もたつく口をようやく動かした所で、そいつは不敵な笑みを残して立ち去ってしまった。
おいおい。
こっちが何か言いかけているんだから、ちょっとくらい待てよ。
と、思いながらも、その背中に掛ける声が出てこない。
引き止めて何を訊けばいいんだ。
それよりも、開きかけた部室の扉の向こう側が気になる。
この向こうには、やっぱり塚本がいるんだろうか。
控えめに開けた入り口から覗き込んで、中の様子を窺う。
まだ陽は沈んでいないけど、室内は少し薄暗かった。
そう広くはない室内の中央に長机が置かれていて、壁際には部員用のロッカーが並んでいる。
「誰かいますかー?」
運動部の部室特有の、決して良いとはいえない臭いの中に顔を突っ込んで、すぐに身体が固まった。
中に人影を見てしまったから。
しかも、予想通りというべきか、それは塚本だったから。
ゆっくりとこちらを向いた塚本と目が合って、ビクリと肩が上下した。
怯えている訳じゃないけど、何か…こいつちょっと怖い。
ピリピリした空気が伝わってきて痛い。
将孝くんが「殺気立ってる」って言った意味がよく分かった。
「瀬口?」
着替えの途中だったらしく、上は何も着ていない。
タイミング悪いなぁ……って、別に着替えの途中だからって気まずい事もないんだよな。
着替えなんて、体育の時とかに何度も遭遇しているだろうし。
でも、あの話を聞いてしまった後だと、相手が塚本っていうのがちょっと…。
意識しちゃってるオレもかなりアレだけど。
「どうした?」
「いや……別に用って訳じゃないんだけど」
誤魔化して立ち去ろうとも思ったけど、何となく身体が動いて部室の中に足を踏み入れていた。
自分から塚本に近づいているのが不思議だ。
でも、基本的にこいつの事は嫌いじゃないし、独特な雰囲気とかに興味もある。
あの話を聞かされてなかったら、普通に友達として付き合えそうだったのにな。
「今、1年生の子が出てったけど」
「ああ」
「……?」
「……」
え?
反応、それだけ?
名前とか、どういう関係の子とか、簡単に説明とかないのかよ。
もっと突っ込んで訊くべきか?
いや、別にそこまでして知りたい訳でもないし。
知りたい事っていうなら、もっと他にもあるしな。
「さっき、柔道場にいただろ」
訊くと、塚本がちらりとこちらを見たようだった。
さっきよりは反応ありだ。
「ちょっとだけ見たんだけど、お前強いな。びっくりした」
「かなり未熟、だけどな」
「へ?」
どこが?
すっげぇ強くて、なんで部員じゃないんだってくらいだったのに。
あれのどこが未熟なんだか。
「わざわざ、そんな事を言いに来たのか」
淡々とした口調は相変らずなのに、少し突き放すように聞こえた。
本題に入る前に、探りを入れているのを見透かすように。
むしろ、そんなものはいらないから早く言いたい事を言え、と急かすような。
仕方なく、一番訊きたかったことを口にする準備に入る。
「小耳に挟んだんだけど、その……オレ達ってさ……」
そこから先が出てこない。
何て言ったらいいんだろ。
と言うか、今ここでわざわざ訊く必要あったか?
無いよな。
大体、ここに来たのだって衝動的って言うか、予定外だったんだし。
本題がないなら無いって言って帰っても良かったんじゃないか?
「気にしなくていい」
「え?」
言葉を選んでいるうちに出来てしまった沈黙を破ったのは、塚本の方だった。
あれ?
そのセリフ、オレが塚本に言おうと思っていたやつじゃなかったっけ?
オレと塚本の関係がどうだったかなんかより、そっちの話題を振るべきだったよな。
すっげぇ失敗した。
だけど、何で塚本が先に言うんだ?
「俺と瀬口がどんな関係だったかなんて、忘れたなら、忘れたままでいい」
ガツン! と頭を殴られたのかと思った。
今、何を言われたんだ?
「俺が、ずっと憶えてるから。瀬口は、もういいよ」
決して突き放すような言い方じゃなかった筈なのに、何故かとても遠くの方から言われた気がした。
言葉の意味を理解するのに間が出来てしまうくらい、凄く遠かった。
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