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第131話 逃げるか追うかは自分次第 -5
「痛ってぇ」
倒れた衝撃でガツンと打った後頭部を、無意識に手で擦る。
言ってる程痛くはないけど、気分的に凄く痛い。
「大丈夫か?」
「多分。てか、今なんか落ちてきた?」
周りを見ると、ダンボールとか、そこから零れた色々な物が散乱していた。
直撃しなくて良かったけど、頭打ったからプラマイゼロな感じがする。
「何でダンボールなんか……」
と、口にした疑問を言い終わる前に、そんなものが吹っ飛ぶような事態に気づいた。
「……何で?」
「え?」
「何でオレの上にいるの?」
オレに体重が掛からないようにしてくれているとはいえ、形だけ見れば完全に押し倒されている。
「上から落ちてきて、危ないと思ったから」
状況のわりに淡々と答えてくれたけど、全体的に言葉不足だ。
落ちてきたって……、あのダンボールのことか。
「助けてくれたんだ?」
「ああ」
「それは……ありがとう」
とりあえず、お礼は言っておいた。
今の状況は置いといて、落下物から盾になってくれたのは本当なんだし。
「誠人は大丈夫?」
真下ではないとはいえ、多かれ少なかれ盾になってくれた背中に当たっているに違いない。
オレを心配する前に、まずは自分の心配をしろよな。
と言っても、当たって危険な物はなさそうだけど。
「……瀬口?」
人が心配しているというのに、オレの気遣いには答えないで、何故か非常に驚いている。
誠人にしては異常な程に目を見開いて、ジッとこっちを凝視している。
すっげぇ顔が近いから、見つめられるとどうしていいのか分からなくって嫌なんだけど。
「どっか痛いのか?」
「瀬口……」
「何だよ」
「俺は、誰?」
「はぁ???」
突拍子もない事を言い出しやがった。
こいつ、全然大丈夫じゃない!
「何言ってんだよ。お前、自分の事忘れちゃったのか!?」
只事じゃない質問をされて、思わず誠人の顔を両手で掴んでいた。
「誠人だろ、塚本誠人! オレより一つ年上だけど同級生で、いつもボーッとしててやる気なくて……」
と言ってる間に、ジリジリと顔が近づいているような?
「まさ…っ」
唇が重なって、口を塞がれた。
今更ながら、こいつの言動は不思議だ。
会話の流れが全く掴めない。
「大丈夫じゃないだろ、お前」
「瀬口が俺を好きなら、大丈夫」
やっぱりダンボールの角で頭を打ったに違いない。
元々恥ずかしい事を平気な顔で言える奴だったけど、それにしても今のセリフは恥ずかしすぎだ。
「何だ、そりゃ」
恥ずかしさを紛らわそうとしてみたけど、何をどうしても恥ずかしい。
誠人の言動も去ることながら、上から見下ろされている体勢とか、互いの顔と顔の位置とか。
「……って、お前何で服脱いでるんだよ!?」
今気づいたけど、誠人は服を着ていなかった。
「瀬口」
「だから…」
困ったことに、誠人の顔を見たら文句とか苦情とかは全部どこかへ飛んでいってしまった。
迷子の子供か犬みたいだな。
何かちょっとカワイイぞ、塚本サン。
「こういう事言うと怒られそうなんだけどさ」
「ん?」
「何て言うか……誠人ってオレいなくても全然平気そうに見えて、それがかなり悔しくてさ。 触るなって言ってから全然会ってくれなくなってもっと不安になって、やっぱ言わなきゃ良かったってすげぇ後悔して」
直ぐに後悔したけど、誠人が律儀に言いつけを守ろうとするから、オレから「やっぱり無し」なんて言えなくなっちゃったんだ。
あー……また誠人の所為にしてるな、オレ。
誠人の性格を考えれば、そのくらいの事は予想できた筈なんだから、やっぱり言い出したオレが悪いってことに落ち着けよう。
じゃないと、いつまで経っても同じ所をグルグルしているだけだ。
「誠人は全然平気そうなのにオレは全然ダメで。オレがいなくても何も変わらないんじゃないかって不安になって、凄く苦しくて」
誠人に思い知らせてやるつもりが、自分に跳ね返ってきてしまった。
意地悪な事は考えるもんじゃないよな。
身に沁みた。
「だから、ごめん」
こんな風に、誠人が抱き締めてくれるだけで満足しなきゃいけなかったんだよな。
何とか誠人の下から抜け出そうとしているのはすぐにバレて、ひょいと抱き起こされてしまった。
密着度は大して変わらないけど、上に乗られているよりはまだマシだ。
「全然、平気じゃない」
至近距離から真っ直ぐにオレの目を見て誠人が言う。
うわ……。
この距離と声と表情は、心臓に悪い。
「瀬口がいなくなったら、俺はもう……」
掠れて切羽詰ったような、こっちの胸が痛くなるような声。
こんな風に、誠人が言葉に詰まることなんてほとんど無いから、どうしたらいいのか分からなくなる。
オレの方が張り裂けそうになってどうするんだよ。
顔が近付いてきてまたキスされるのかと思ったら、誠人の頭はオレの肩にポスッと収まった。
痛いくらいに抱き締めてくる誠人の腕を、いつもオレが頭にされるみたいにポンポンと軽く叩いた。
今日の誠人は、いつもより幼い感じがするのはどうしてだろう。
幼いって言うのはあまり適切じゃないな。
不安定な感じ、かな。
こういう時はどうしたらいいんだっけ?
オレが不安定だった時は……。
単純に、誰かの一言だったりするんだろうか。
「誰か」って、オレ……だったらいいなぁという希望はあるけど。
オレの場合は、むしろ誠人じゃなきゃダメだけど、誠人はどうだろう。
あんまり自信ないんだよな。
でも…。
力いっぱい抱き締められていると、身体や体温が溶け合っていきそうな感覚に陥る。
溶けて混ざり合ったら、どっちがどれだけ好きかなんて、もうどうでもよくなるのかな。
「大丈夫。オレ、誠人の事、前よりもっと好きだから」
告白するのが苦手な分、口にした時の重さや必死さを感じ取ってほしい。
というのは、オレのワガママか。
もし立場が逆だったら、ここでキスの一つでもしてくれるんだろうけど、オレにはこれが限界です。
でも本当は、抱き締められるより、抱き締めて言いたいな。
たまにはオレもそういう役割をしてみたい。
向いてないんだろうけど、今の誠人を見ていたら抱き締めたくなった。
「オレがいなくなっても、誠人は平気そう」っていうのは結構よく考えてしまうけど、「平気じゃなさそう」っていうのはなかったな。
誠人がこんな風に不安定になってしまうなんて、そんな事を考えるだけでもゴメンナサイだよな。
「いなくなったりなんかしないって」
「だけど、俺がいなくなったら?」
ちょっと浮かれ気分なのを押し殺して言った直後、誠人の口から想像もしていなかった言葉が飛び出してきた。
険しい表情で何を言うんだ。
何でいきなりそんな事を言うんだよ。
すっげぇ不安になるだろ。
オレに不安を伝染させるなよ。
「瀬口の中から俺が消えた時、俺は死んだのかと思った」
「……は?」
あまりにも意味不明な発言で、返す言葉もない。
呆然としている間に、バタリと壁の方に押し倒されてしまった。
痛くはないけど、別の衝撃の所為で思考が止まっている。
「え? 何…?」
オレの中から誠人が消えて、それで誠人が何だって?
いくら誠人でも、突拍子がなさすぎだ。
どういう思考を辿ればそういう発言になるんだ?
さっぱり分からない。
「あ、分かった。お前、夢見たんだろ」
短時間で考えたわりに、我ながらナイスな発想だ。
さっきからちょっと変なのは、きっとそういう夢を見ていたからに違いない。
あー、びっくりした。
「夢……」
ぼんやりと呟く誠人の声や表情から、苦しそうな痛々しさが消えていく。
「そうだろ? 中途半端な所で寝るから嫌な夢を見るんだよ」
屋上とか、部室とか、玄関とか、寝にくい所ばかり選ぶからな。
嫌な夢の一つくらい見ても不思議じゃないだろ。
「夢か」
誠人は納得したように呟いて、ようやく微笑ってくれた。
多少ぎこちない笑みだったけど、さっきよりは落ち着いたようだ。
「瀬口」
いつも通りに誠人に呼ばれて少しほっとする。
珍しい誠人を見るのも好きだけど、やっぱりいつも通りの誠人がいいな。
「次に、俺が目を覚ました時も、ここに、いて…?」
段々小さくなる声に合わせて、誠人の瞼が落ちた。
ガクリと首の力が抜けて、気持ち良さそうな寝息が聞こえてくるまで、そう時間は掛からなかった。
こいつ、マジで寝た?
オイ。
「誠人?」
呼んでも答えてくれない。
ペチペチと背中を叩いても反応無し。
これにしても……ここ、どこだ?
誠人が起きるまでこんな状態でいても良い場所なのか?
何となく見覚えはあるんだけどな。
「誠人」
聞こえないのを承知で話し掛けた。
微かに動いたような気がしたのは、ただの偶然だろう。
「まさ、と……」
自分の心臓の音の大きさに眩暈がして、言葉に詰まる。
あまりにもすぐ近くに誠人の顔があるから、思わずキスしそうになったけど直前で止めた。
今までの経験から言って、寝ている時だろうと、キスをしたら誠人は絶対に起きてしまうから。
と言っても、確率を語れるほど数試したわけじゃないけど。
無意識に誠人の髪を撫でながら、体育祭はどうなったんだろう、と考えていた。
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