140 / 226

《番外》祈って叶うものならば -2【塚本】

* * * 「あの1年生、また来てたでしょ!?」  授業に出る気になれずに、登校した足でそのまま直行した屋上に藤堂彼織が現われたのは、すっかり陽も高くなった頃だった。  意味不明な第一声に、おもむろに顔を上げる。  声音から予想していた通りの、険しい表情の藤堂が仁王立ちしていた。 「今、そこで擦れ違った」  屋上の出入り口の扉を指して、忌々し気に言う。 「何だか知らないけど、顔合わせる度に人のこと睨みやがって。何とかしてよ、マサくん」  謂れの無い苦情を突きつけられて、塚本はそれまで全く動いていなかった思考をめぐらせ始めた。 「何でオレが、って顔してるけど、マサくんの所為なんだからね」 「俺の?」 「当然でしょ」  藤堂のセリフには全く心当たりが無い。  まず第一に、藤堂の言う「あの1年生」が誰なのかすら見当も付いていない状態だ。 「一応、念のために訊くけど、何もしてないよね?」 「何を?」  塚本を暫く凝視した藤堂は、説明するのを諦めたらしい。 「……本気で分かって無いなら、いい」  溜め息と共に藤堂の頭がうな垂れた。  塚本としては何らかの説明が欲しい所だが、藤堂の思考は既に次の話題に移っていた。 「それはそうとして、思わせぶりな態度を取ってるんじゃない?」  またしても説明が必要な質問だった。  いつにも増して塚本の集中力が無いという事以前に、藤堂の主語の無さもいつも以上だ。 「誰に?」 「だから、あの1年生に!」  疑問を素直に訊くと、少し苛立ったような返事が返ってきた。  ただし、その返答もまた補足が必要なもので困る。 「あの1年生?」  藤堂が登場した瞬間から疑問に思っていたことを、ようやく尋ねることができた。  さきほどから話題の中心にいる「あの1年生」とは一体誰なのか。  訊くと、藤堂の表情が更に険しくなってしまった。  一連の会話で何となく察しが付いていたが、どうやらその1年生と藤堂の相性は良く無いらしい。 「さっきまでここにいたんじゃないの?」 「ここに?」 「今、オレがここに来る時に、あの扉の向こうくらいで擦れ違ったんだから」 「……誰と?」 「だーから、あの1年生と!! 有島(ありしま)だよ!! オレはバカ島って呼んでやるけどね!!」  藤堂は怒鳴るようにそう言って、座ったままでいる塚本の頭をガシリと掴んだ。 「マサくんのこの頭は飾りじゃねぇよな!」  グルグルと回している様子から、かなり怒っているらしいという事が分かる。 「腑抜けにも程があるだろっ」  投げ捨てるように塚本の頭から手を放して、再び大きく息を吐いた。  藤堂の言う「あの1年生」こと「有島」とは、このところよく塚本の前に現われる1年生の事らしい。  初めて会話をしたのは中等部の頃だが、それ以来たまに会うと話をする程度の間柄だ。  順調に進級し、今年の春から高等部の1年生になったようだ。  言われて見れば、ついさっきまでこの屋上にいた気がする。  誰かがいて、話しかけられて会話もした記憶が甦ってきたが、それが藤堂のいう有島という1年生であるという自信はない。 「そんなに気づかないなんて、あり得ないよ」  非難するような藤堂の視線が突き刺さる。 「考え事をしていたから」 「それにしてもさ……」  呆れ返ったように呟いた藤堂が、何かに気づいたように塚本に視線を戻した。 「あんなウザイ奴がすぐそこにいても気づかないくらい、何を考えてたの?」  と言う藤堂の顔には、訊くまでも無いけど、と書いてある。  誤魔化しやはぐらかしは通用しない上に、してみたところで意味がないので、このところ延々と頭の中を回っている事を語った。 「何でそういう発想になるのか知らないけど、それって全然結論になってなくない?」  淡々と語る塚本の言葉を一応は最後まで聞いて、うんざりしたような様子で藤堂がバッサリと斬った。 「そう?」 「全っ然ダメ。全く何の解決にもなってない。最初っからやり直し」  まくし立てるようにそう言って、藤堂は一拍置いてから大きく息を吐いた。 「いなくなればいいなんて、実際問題無理でしょ。人間は溶けて無くなるようにはできてないんだから」  呆れ返ったような藤堂の突っ込みは、間違ってはいないがどうしてか真面目さに欠けているような気がする。 「それとも、転校とか退学とか考えてるの?」 「いや、そこまでは……」  いざ現実的な話をされると、考え尽くしたと思っていた自分の思考の幼稚さに気づく。  ただ漠然と「消えてしまいたい」と思っただけで、具体的に何をすればいいのかなんて考えたこともなかった。 「そもそも、今だってこんな所で油売ってる時点でどうかと思うよ。こうしてる間にも、森谷が甲斐甲斐しく瀬口の世話を焼いちゃってるんだから」  思わずピクリと反応してしまったのは、「森谷」という名詞の所為だ。  その名を聞いただけで、条件反射で眉間に皺が寄るのだ。 「傍から見てると、誰が瀬口の相手なのか分かんないよ」  やれやれ、と藤堂が首を横に振りながら言う。  話に聞くだけで苛立つ情報だ。  実際に目にしてしまったら、暴走してしまうに違いない。 「俺は、クラスが違うから」 「そういう言い訳は嫌い」  藤堂がバッサリと言い切る。  この場合、藤堂の好き嫌いは関係ないのだが、邪険にできる状況ではない。 「オレは、瀬口に構ってるマサくんが好きだから、ちょっと忘れられたくらいで諦めてほしくないんだって」 「カオリちゃん。そういう発言は、ちょっと…」  どういう意図の発言であれ、今の藤堂のセリフは塚本の生死に関わる危険性がある。  どこから弓月の耳に入るか分かったものではない。 「何? 本気で諦めるの?」  眉間に皺を寄せた藤堂には、塚本の危惧している事態は伝わらなかったらしく、見当違いの解釈をされてしまっていた。 「瀬口の事、そんなに簡単に諦めちゃうのかよ」  藤堂の早とちりは少し心外だった。  諦めるとか、諦めないとか、そんなに簡単な問題ではないのだ。 「今の瀬口にとって、俺は、知らない奴だから」 「だから?」 「少なくとも、森谷よりは警戒されているだろ」  一番引っかかっていたのは、そこなのかもしれない。  塚本の事は綺麗に忘れているのに、森谷の事はちゃんと知っている。  それを考えるとはらわたが熱くなる。 「そんなの、入学式にいなかったマサくんの自業自得でしょ」 「まぁ……そうなんだけど」  言い返せる余地が全く無い。 「面倒だからって、学校サボリまくってた罰だよ。真面目に登校してれば、少なくともマサくんの存在くらいは憶えてたかもしれないのにね」  あっさりと事実を指摘されて、分かっていたとはいえ酷く落ち込む。  今頃になって、一年以上も前の自分の行動に悩まされる事になろうとは。  もし、今タイムスリップができるとしたなら、間違いなく去年の入学式まで戻って出席しているだろう。  それよりも、騎馬戦が始まる前に戻った方が効率的だろうか。  塚本が入学式に出ていたとしても、もう一度瀬口に好意を持たれるとは限らないのだから。 「憶えていても、また俺と付き合うかどうか」  つい口から出てしまった弱気なセリフを拾った藤堂が、不思議そうな表情で塚本を見た。 「一度好きになったんだよ? どうしてダメだって思うの?」  恐ろしく真っ直ぐで明朗な意見だった。  確かに、言われてみればその通りかもしれない。  けれど、やはり瀬口の事を考えると…。 「マサくんて、瀬口の事信用してないんだね」 「そういう訳じゃ……」 「だったら何でそういう事を言うかな」  不満そうにそう言う藤堂は、まるで当事者のようだった。  心配してくれるのはありがたいが、どうにもならない事もある。 「ムラムラするんだ」 「……は?」  塚本の突然の告白に、さすがの藤堂も目を丸くして驚いた。 「瀬口を見ると、押し倒しそうになる」  夢の中では何度実行したか分からない。  睡眠不足の所為で、現実との区別が付かなくなりつつある今の塚本にとって、生身の瀬口の存在はとても危険だ。 「だから、今は、近づかないほうがいい」  様々な矛盾した感情が入り交ざって、本当はどうしたいのかも見えなくなっている。  こんな関係にまた瀬口を巻き込むべきではない、というのは表向き。  塚本に捕まらなければ、瀬口の人生が乱されることはなかったのだ、と冷静に突き放した考え。  瀬口の為に身を引くのだと言えば聞こえは良いが、本当は怖いのだ。  今まで通り、恋人として付き合いたいというのが本心。  また自分を好きになって欲しい、という希望は当然抱いている。  けれど、綺麗さっぱり忘れられてしまった存在である自分に、どうして自信が持てようか。  もう二度と触れられないのなら、いっそのこと悪夢を現実にしても良いのではないかという気持ちにもなる。  そんな事をしてしまっては、好かれるかもしれない可能性を自らゼロにするようなものだ。  難しいとはいえ、望みが少しでもあるのなら、そこに縋りたいとは思うのは当然だ。  だから、今の状態で瀬口に近付くのは、塚本にとっても瀬口にとっても危険なのだ。  今はただ、この欲望がおさまるのを待つしかない。 「結構キてるね、マサくん」  深い同情の篭った藤堂の言葉を、ぼんやりと他人事のように聞いていた。

ともだちにシェアしよう!