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《番外》まるで深い海の底にいるようで -1【塚本】

 ○ 127話の塚本視点です。  見たくないものばかり見えてしまう。  何も見ないようにしているというのに、どうしても目で追ってしまう。  当然のように、森谷といる瀬口を。  持て余した感情をぶつけようと、柔道部を訪れたまでは良かった。  そこに、何故か瀬口が現われたのだ。  よりにもよって、森谷と一緒に。  約一年間分の記憶が無いというのなら、森谷に襲われた事も無かったことになっているのだろう。  もともと、塚本が懸念するほど、瀬口はあまり気にしていない風だった。  記憶があっても変わらず友人として接する事ができるのだから、無いのなら全く問題がない。  塚本には、それが堪らなく虚しく思えて腹立たしいのだ。  2人の間に割って入り森谷に掴みかかる事態を防ぐ為に、塚本は柔道場を後にした。 「誠人さん、待ってください」  柔道部の部室の前で声を掛けてくる生徒がいる。  藤堂が言っていた「あの1年生」こと、有島だ。  どこから現われたのか、小走りでこちらに近付いてくる。  塚本は有島を一瞥したが、待たずに部室へと入った。  そんな塚本の態度に臆することなく、有島も続いて部室に足を踏み入れた。 「大丈夫ですか?」  有島の心配気な声は、当の塚本には全く届いていなかった。  自分の後に誰かが部室に入ってきた、という事すら分かっているか怪しい態度で、無言で奥のロッカーを空けた。  中には、制服が乱雑に押し込んである。  部員ではない塚本に専用のロッカーは無いが、誰も使っていない場所を勝手に使用しているのだ。 「瀬口さん、来てましたね」  その言葉には、はっきりと反応した。 「いくら記憶が無いって言っても、少し無神経ですよね」  塚本の手が止まったのを見逃さなかった有島は、そう言いながら部室の奥へと足を進める。  有島が何を以って「無神経」と言うのか、それとなく察しはついたが、塚本はそうは思わなかった。  記憶が無いのだから、瀬口にとって塚本はただの同級生だ。  それは森谷も同じはず。  今の瀬口に、それを無神経だと言ってもきっと理解できないだろう。  塚本が気になっているのは、もっと別の事だった。  そんなただの同級生の部活動(正確には飛び入りだが)を、どうして森谷を伴って見学にやって来たのか、という事だ。  瀬口と森谷が一緒にいる所を見たくない、と反射的に道場を後にしたが、一瞬でも見てしまったその光景が脳裏に焼き付いて離れない。  甲斐甲斐しく森谷が瀬口の世話をしている、と言っていた藤堂の言葉も頭の中を回り続けている。  しかし、もう考えても仕方の無い事だ。  瀬口の意思を尊重するのなら、自分は必要のない人間となってしまったのだから。 「もう、いいんだ」 「え?」  塚本の呟きに、有島が身を乗り出す。 「それって、瀬口さんの事ですか?」  心なしか弾んだ声で有島が訊く。  塚本は口を開くのも面倒だと言わんばかりに小さく頷いただけだったが、有島にはそれで十分のようだった。 「じゃあ…オレと付き合ってくれませんか?」  さすがの塚本も、この申し出には今まで正面を見ていた顔を向けた。  キラキラとした瞳の有島が、期待に満ちた表情で見上げている。 「今すぐはちょっと、って言うなら、最初は瀬口さんの代わりでもいいです」 「代わり?」  思わず口に出してしまうくらい、どうしても引っ掛かる言葉だった。 「突然だったから、誠人さんだって少しは切り替えが必要でしょ? その間は、代わりでもいいです」  事実上、瀬口とは関わりが無くなったのだから、誰と付き合っても問題はない、筈だ。  けれど、そうでは無いと分かっている。  有島の言う所の、切り替えが必要という話でもない。  今の瀬口とは何も無いとは言え、以前には関係があったのだ。  それは、せめて自分だけでも憶えていなければならない。  例え、今の瀬口には理解できない関係だとしても。  だから、代わりなど以っての外なのだ。 「代わりは、いらない」 「って言うと思ってました」  何故か少し満足気に微笑んだ有島は、そっと塚本に手を伸ばした。 「変な事を言ってごめんなさい。本当は、オレもそういうのは嫌です」  手は、柔道着の袖を彷徨いながら上がっていく。  肩口に触れようとするのを、阻止するように掴んだ。  有島は意外そうに目を丸くしている。  何を期待されていたのか、分からない訳ではない。  そういう事に関しては、塚本はとても勘が良い。 「もう、帰れ」  だからこそ、これ以上有島と同じ空間にはいたくなかった。 「さっき、付き合ってくださいって言ったのは本気です」 「本気なら、何?」 「瀬口さんより、誠人さんを好きな自信があります」  そんな事を教えてもらった所で、塚本の心には何の変化もない。  有島がどれだけ塚本を想っていようが、瀬口にどれだけ避けられていようが、何一つ変わらないのだ。

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