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《番外》まるで深い海の底にいるようで -3【塚本】

 しかし、瀬口にはそれが気に入らなかったらしい。 「そーいうの気持ち悪ぃんだよ」  言い捨てるような瀬口の言葉に、妙に納得してしまった。  確かに、気持ち悪いかもしれない。  もう関わらなくてもいいと言われても、塚本が大事に想っていると知ってしまえば嫌悪感も消えないだろう。  だからと言って、どうにもできない。  この想いすら許されないというのなら、塚本ごと消えてしまうしかないのだ。 「大体、触るなって言われたから触れないとか、自分が憶えてるからオレは思い出さなくてもいいとか、お前って本っ当に面倒くさい上に鬱陶しい奴だよな」  畳み掛けるような瀬口のセリフは、以前なら考えられないようなものだった。  塚本に嫌われるのを恐れていた瀬口の口から、「面倒くさい上に鬱陶しい」なんて言葉が出てくるとは。  言われて、またまた納得してしまう。  この瀬口に対しての塚本の印象は最悪のようだ。 「減るもんじゃあるまいし、触りたい時に好きなだけ触ればいいだろっ!」  清々しいほどに嫌われていると思っていた矢先に、そう言い放った瀬口が大股で塚本に近付いてきて力一杯に腕を掴んだ。  あの日以来の接触に、さすがの塚本も戸惑う。 「触れないって言うんだったら、オレが触ったら逃げるのか?」  見上げてくる瀬口の瞳が揺れている。  怖い筈なのに、気持ち悪いと言ったばかりなのに、それでも塚本の腕をしっかりと掴んでいる。  逃げるつもりなんて無かったが、捕えられて動けない。  掴まれた腕の痛みが心地好くて、ずっとこうして捕まえていて欲しいくらいだ。 「そんな事気にしてる暇があるんだったらさ、もう一度オレを惚れさせてみろよ!」  とどめの一言は確実に塚本の心に刺さり、何かを変えた。  それは、ずっとどうしたらいいか分からずにモヤモヤしていた部分で、考えてはいけないと自制していたものだった。  もう一度好きになってもらうなんて、気が遠くなるような挑戦な上に、今の瀬口が望んでいるとは思えない。  しかし、その瀬口がそう言うのなら。  触れても良いと、もう一度繰り返しても良いと。  凍り付いていた気持ちが、たった一言で簡単に砕かれた。  少し上体を屈めて瀬口の耳元で囁く。 「瀬口」  離れて行きそうになる瀬口を、今度は捕まえて逃がさない。 「ゴメン、今の無し!」  拙い事を言ってしまったという自覚があるらしく、瀬口は慌てて今言ったことを取り消した。  顔を赤くした瀬口の仕草が以前と少しも変わらないから、塚本もつい調子に乗ってしまう。 「聞こえない」  嘘ではない。  今更「無し」は耳に入らないのだ。  いくら記憶を失くしたといっても、瀬口が塚本の想い人である事に変わりはない。  押し殺していた気持ちが解放されてしまったのだから、もう手遅れだ。  背後から抱き締めて、改めて好きだと実感する。 「ずっと、瀬口に触れたかった」  瀬口の鼓動と温もりを感じて、素直な言葉が溢れ出た。  しかし、塚本の腕の中に瀬口がいたのは一瞬で、すぐに振り払って逃げられてしまった。  とは言え、あまり広くはない部室の中で、逃げられる範囲は限られている。  すぐにロッカーにぶつかり、瀬口の動きが止まった。 「ほ、本気にするなよ。ちょっと口が滑っただけだから」  嫉妬するほど瀬口がへばり付いた所為か、ロッカーの上に積まれていた荷物がグラリと揺れたのが見えた。  塚本が見上げた時には、上に乗せるには大きめのダンボールが真下の瀬口目掛けて落下しようとしていた。 「オレが言いたいのは、そういう事じゃなくて……」 「瀬口!!」  叫ぶのと同時に身体が動く。  何かを考えるより先に、瀬口を守らなければという思いに突き動かされていた。 「痛ってぇ」  落下物からは守れたが、床に倒れこんだ衝撃は相当なもので、下敷きになってしまった瀬口が呻いた。 「大丈夫か?」  瀬口が頭を擦っているのを見て、また打ってしまったのではないかと焦る。  こんな状態で更に頭を打ったら、どんな面倒なことになるのか想像もつかない。 「多分。てか、今なんか落ちてきた?」  意外にも、冷静な声音が返ってきて少し安心する。 「何でダンボールなんか……」  軽く周りを見回しながら呟いた瀬口の動きが、塚本を見上げて止まる。 「……何で?」 「え?」 「何でオレの上にいるの?」  尤もで、単純な疑問を投げかけられ、今の状態よりも落下物に直撃する方がマシだったのではないかという後ろめたさに襲われる。 「上から落ちてきて、危ないと思ったから」 「助けてくれたんだ?」 「ああ」 「それは……ありがとう」  少し照れたような表情の瀬口は、素直にお礼を言った。  もっと叫んで暴れるのではないかと思っていたが、瀬口の態度は冷静だった。  ついさっきまで逃げようとしていたのと、同じ人物とは思えない。  違和感なくやり取りされる会話も、塚本に対する態度も、何かが変だ。  まるで……。 「誠人は大丈夫?」  ごく自然に問われて、一瞬その重要さを聞き逃してしまうところだった。  それはあまりにも唐突な出来事。  もう二度と聞くことのできないと思っていた、その声の響き。 「……瀬口?」  あんなに逃げようとしていた瀬口が、どうして塚本をそんな風に呼ぶのか。  すぐには理解ができなかった。 「どっか痛いのか?」  間近で見つめても、逃げる所か驚く塚本を心配までしてくれる。 「瀬口……」  信じられない気分で、もう一度名を呼ぶ。 「何だよ」  心配気だった瀬口の表情が少し曇る。  塚本の様子が妙な事に気づいたようだ。 「俺は、誰?」  確信が欲しかった。  塚本を「誠人」と呼ぶその意味を、どう解釈すればいいのか。 「はぁ??? 何言ってんだよ。お前、自分の事忘れちゃったのか!?」  呆れたような声を上げて、瀬口は塚本の顔を両手で掴んだ。  床に付いていた塚本の手が大きく揺さぶられる。 「誠人だろ、塚本誠人!」  それは、迷いの無いはっきりとした声だった。 「オレより一つ年上だけど同級生で、いつもボーッとしててやる気なくて…」  瀬口の一言一言が心に沁みて、愛しくて堪らない。  失ったと思っていたものが再び腕の中に戻ってきて、嬉しさよりも戸惑いの方が大きい。  それでも、気がつけば抱き締めている。  何を言われても、瀬口の声が心地好い。  都合のいい夢でも見ているのではないかと思いつつ、馴染みのある身体を抱き締めながら目を閉じた。

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