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第132話 ここにいる -1
どのくらいの時間、そうしていたのだろうか。
あまり長い時間ではなかったと思う。
なにしろ、すぐに背中が痛くて冷たくて根を上げてしまったのだから。
力の抜けた人間に体を預けられて、情けないことに支えきれずにズルズルと自分ごと冷たい床と同化してしまった。
上には睡眠中の誠人。しかも裸。
状況が全く掴めないけど、このまま寛いで良い訳がない事だけは分かる。
「ちょっ……と、どいてくれないか、な」
オレを抱き締めるようにして眠る誠人から抜け出そうとするが、腕を解こうとしただけで更にホールドする力が強まってしまう。
まるで、お気に入りのぬいぐるみを取られないようにする子供みたいだ。
そう考えると、ちょっと可愛いぞ。
そのぬいぐるみ役がオレだという事が問題なんだけど。
「起きろよ、誠人」
軽く耳を引っ張ってやる。
「誠人」
耳元で少し大きめの音量で呼ぶと、煩かったのか少し身じろいだ。
パシパシと頭を叩くと、ようやく誠人が顔を上げた。
「起きた!」
思わずそう叫んだ直後、獲物を見つけた野生動物の勢いの如く口を塞がれた。
「んんっ!!」
顔、というか頭を掴むように抑えられ、逃げ場がない。
押し退けようと肩や胸を叩こうとしても、密着しすぎて上手くいかない。
出来ることは、脚をバタバタと暴れさせることくらいだ。
「……っは、んんっ、ふぁ……んっ」
食われるんじゃないかと思うようなキスにより、何がなんだかさっぱり分からない状態に拍車がかかる。
濃厚なキスを堪能したらしい誠人は、放心状態のオレからゆっくりと唇を離した。
「な、んっ……いきな、り」
非難の言葉を掛けてやりたいが、言葉が出てこない。
しかも誠人は、床に横たわるオレを見降ろすように上体を起こした。
唾液を舐めとるように動く舌が見える。
眠ってしまった誠人を優しく撫でてやっていた数分前、抱き枕のようにされていた数瞬前、そして捕食されそうな状態に置かれた今。
オレが何をしたと言うんだ!?
そして、更に混乱を増幅させるように、ワイシャツの裾から侵入した手が肌を撫でる。
「……っヤ」
胸の辺りで止まった手が、指の腹で乳首の輪郭をもどかしいくらい優しくなぞる。
「気持ち悪くない?」
「っ……ん?」
妙な声が出てしまうのを抑えるのに必死で、質問の意味が分からなかった。
「俺に触られるの、気持ち悪い?」
そんな事を言う誠人の表情が不安そうに見えたのは、気のせいじゃないのだろう。
どうしてそんな訊き方になるのか全く不明だけど、そういう訊かれ方は不本意だ。
体育祭の勝負の件で「触るな」とは言ったけど、誠人に触れられるのが嫌だなんて一言も言っていない。
むしろ逆だというのに。
「悪い訳ないだろ!」
言いながら、シャツの中に入り込んだ腕を掴んで外に追い出す。
その勢いで、力が抜けた身体をなんとか起こす事に成功した。
「良すぎて困るくらいだ」
ようやく床から離れられた安心感で、自分が何を口走ったのか気付いていなかった。
じっとこちらを見る誠人の視線を振り払うように、立ち上がって埃を落とすべく制服を軽く叩くと、ポケットの中に違和感があった。
何か入っている?
外からの感触的にお菓子類だろうか。
飴にしては少し大きいような……。
「!?」
取り出して、思考と身体の動きが止まった。
全く身に覚えの無いコンドームだった。
何故こんなものが制服のポケットに?
一瞬、シロに押し付けられた「賞品」とか思ったけど、そんな文字は書かれていないので別物だ。
そもそも、ポケットになんて入れてないし。
その他に個人的に持っては、いない。
いや、持っていた方がいいとは思うんだけどな。
だけど、自分の為とはいえ、そういう雰囲気になった時に取り出せるかどうかというという問題があって……。
完全に思考が脱線してしまったオレは、静かに立ち上がった誠人が無言で入り口のドアに向かった事に気付いていなかった。
ガチャ、という金属音が響いて顔を上げる。
「何?」
ドアの鍵に手を掛けている誠人が見えて、一瞬何をしているのだろうと思った。
「鍵、掛けた?」
まさか、と思いつつも訊いてみる。
動きや音からそうとしか考えられないが、状況的に理由が無い。
鍵なんか掛けて、どうするんだ?
オレの疑問に答える気はないらしい誠人が、相変わらずの無言でこちらに戻って来る。
目の前まで来て、コンドームを持ったまま固まっていたオレの手首を掴んだ。
うっかりしていて、隠す選択肢を塞がれてしまった。
「鍵、掛けた方がいいだろ?」
そう言って微笑んだ誠人は、掴んだオレの手首ごと引き寄せたゴムのパッケージを甘噛みしやがった。
咥えたままオレの手から奪って、言葉も出ないくらいに動揺するオレを満足気に見て笑う。
これはまずい。
舞台が整いすぎている。
そもそも、未だに状況が掴めていないのに、何の説明もなく事を進めようとするなんてどうかしている。
困惑するオレを見て嬉しそうなのも、何故か上半身裸なのも、出入り口に鍵を掛けて密室にするのも、何一つオレが抵抗できる要素が無い。
「その前に、説明、を……」
「好きだよ」
何の説明にもなっていない上に、脈絡すら無い告白をされて、律儀にときめくオレはどうしようもなくバカだ。
騎馬戦が始まったと思ったら、突然柔道部(推定)の部室に誠人と二人きりなんて不思議な状況がどうでもよくなってしまう。
「こんなもの、俺以外の奴と使うなんて許さない」
……ですよね。
やっぱり、きっかけはそれですよね。
多分、というか絶対、シロが持ってきた「賞品」を見た時からそうだったんだよな。
相手が森谷だったから、余計に誠人を呷ってしまったんだろう。
当たり前の事すぎて腹を立てたオレと同じように、誠人もイラついていたんだろう。
とは言え、さっき誠人に奪われた物は「賞品」とは別物で、誰かがこっそりオレのポケットに入れた、言わばイタズラだ。
身に覚えのない物なのに、どうしてこんなに追い詰められなければならないんだ。
「それは、もちろん、そうなんだけど、誠人と使うのも今じゃなくても……」
無理かもしれないと思いながらも、鎮めようと説得をしようとした途端に抱き締められた。
ぎゅーっとされて、自然に誠人の背中に腕を回したら、触れた感触が素肌で焦る。
こいつずっと半裸だけど風邪とか大丈夫かな、とどうでもいい心配が頭を過ってしまう。
「頼むから、今は拒まないでくれ」
耳元で聞こえた声は、なんだかとても悲痛な響きに聞こえた。
別に、拒んだ訳じゃないんだけどな。
「今」じゃなくて「後で」って意味なんだけど。
そんな風には聞こえなかったのかもしれない。
だからって、何もそんなに絶望的な言い方しなくても。
オレはいなくなったりなんてしないのに。
「拒んだんじゃなくて、さ」
「抵抗されたら、酷くしてしまう」
「……え?」
服の中に侵入した手が、肌の上を滑る。
「ちょっ、と、待っ……」
腰を抱かれたまま耳朶を舐められて、言葉に詰まってしまう。
「瀬口の匂いだ」
しかも、妙に変態じみた事を興奮気味に言う。
人を舐めながらハァハァするなよぉ。
混乱しているのはオレの方なのに、誠人の方が明らかに落ち着きがない。
焦っている?
と言うか、怯えている?
何に?
「もう、どこにも行くな」
まただ。
さっきもそんな事を言われた。
オレはどこにも行かないのにな。
何がそんなに不安なのか分からないけど、落ち着かせる為に誠人の背中を優しく撫でた。
けど、逆効果だったようだ。
「ごめん」
と言う声が聞こえたかと思ったら、くるっと身体を回転させられて背後から抱き締められる体勢に変わっていた。
逃げようもない力と、首筋を這う舌の感触に負けて、もう観念するしかなかった。
部屋の真ん中に置かれた長机にうつ伏せにしがみ付いて、誠人から与えられる衝撃に耐える。
長机がガタガタと音を立てて揺れるのが心もとないけど、掴まる所が無いよりはマシだ。
いつもなら十分すぎるくらい慣らしてくれる誠人だけど、今日は最低限で済ませるくらい余裕が無かったらしい。
呼吸もままならないオレに、苦しいと分かっていても止められない、と何度も謝ってくる。
だけど、同じかそれ以上に、「好き」と「愛してる」も言ってくれるから、身体だけじゃなくて頭の中もぐちゃぐちゃになるくらい感じてしまう。
そうして、果てた誠人が乱れた呼吸ごと背中に覆いかぶさるように抱き締めてくれる。
「あぁ……っ」
ズルリ、と杭のように支えていたものが身体から抜かれて、ガクガクと震えていた膝から床に崩れ落ちた。
手を付いた床が冷たくて、このまま横たわりたくなる。
「乱暴にして、ごめん」
絞り出すような誠人の懺悔の言葉は、明らかに後悔していると分かる声音だった。
まったくだ、と怒ってやってもいいけど、今はそんな気になれない。
今思うのは、誠人が落ち着いたようで良かったな、くらいだ。
そもそも、乱暴にされたとも思ってないし。
そんなに謝られても困る。
「いいけど、ちゃんと説明してくれよ?」
一緒に床に座っている誠人を見て言うと、目が合った顔が綻ぶように笑った。
「勿論」
返事が良いのはとても嬉しいんだけど、そう言いながらペロリと舐めた手の平の白濁の液体は恐らくオレが今しがた出したもので…。
本当に、そういうの止めて欲しい。
赤面して絶句するオレを楽しそうに観察するのも、きっと止めてはくれないんだろうな。
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