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第133話 一歩くらいは前進したと思いたい -1

「なっちゃんが大変だって聞いたからせっかく来たのに、もう戻っちゃってるなんて詰まんなーい」  例によって、男子校の学食に当然のように居座っている瞳子さんは、黒見に連れてこられたオレを見るなりそう言って不満を顕わにした。  制服でないとは言え、堂々としたミニスカートでは私服でも十分目立っている。  セーラー服姿ではないのは、今年の3月でめでたく高校を卒業したからだ。 「詰まんない、って……」  久々に会っても、人の不幸を面白がっているようにとか思えない発言は健在だ。  誠人の事も含めて、やっぱりこの人はちょっと苦手だ。 「傷心の誠人を慰めてあげよう、って意気込んでたのになぁ」  と言いながら、オレと一緒に連れて来られた誠人に目を向ける。  余計なお世話だ、と思っても口には出せない。  何を言っても、瞳子さんに負ける気がするから。  これで瞳子さんの本命が誠人じゃないって、やっぱり信じられない。 「瞳子さんって、卒業してから何してるんですか?」  放課後とは言え、まだ昼間と言って差し支えのない時間にこんな所で遊んでいられるなんて、よっぽど暇なのだろうか。 「何って、学校行ってるよ。専門学校」  嫌味のようなオレの質問に、瞳子さんはあっけらかんと答えた。 「白衣の天使になるんだよな?」 「その発想古いって」  瞳子さんは、からかうような安達の言葉に笑いながらそう言った。  「白衣の天使」って、一般的には看護師さんの事だよな。  否定しなかったと言うことは……。 「看護師!?」  予想もしていなかったものが出てきたので、思わず聞き返してしまった。 「何よ、その反応」 「……スミマセン」 「謝ったってことは、悪い意味だったってこと?」  返す言葉もありません……。  でも、あまりにも意外だったから。  何となく、真逆のイメージがあるんだよな、この人には。 「前から言ってたよね、瞳子さん」  瞳子さんの追求からオレを逃すように、黒見が話を少し逸らした。  すると、それまで眉間に皺の寄っていた瞳子さんの表情がパッと明るくなった。 「そう。英介がお医者さんで、私が可愛い看護師さんって」 「は!?」  と、またしても思わず声が出てしまった。  今の、聞き違いじゃないよな? 「何だよ、なっちゃん。俺が医者じゃ不満かい?」  ニヤリと笑ってこっちを見るのは、瞳子さんの隣に座っている安達だ。  不満って言うより、不安なんですけど。 「何の話っすか?」  妙に明るい声が後ろから聞こえて振り向くと、両手に自販機で売っているパックのジュースを抱えた1年生が興味津々に立っていた。 「お医者さんごっこがどうとか聴こえたんですけど」  いや、言ってないし。  1年生は、抱えていた自販機で買ってきたジュースをバラバラと無造作にテーブルの上に置いて、オレの顔をジッと見る。  そして、全部が違う種類のジュースの中からオレンジジュースを選んで、何故かオレの目の前に突き出した。  この1年生は、北崎(きたさき)将孝(まさたか)という安達たちの知り合いの子だ。  安達も仲井も黒見も、ついでに誠人とも知り合いらしい。  何故なら、瞳子さんの弟だから。  最初に知った時は驚いたけど、中学は別の学校だったのにウチの高校にそれだけ知り合いが多いのだから、言われてみれば納得できる。  でも、瞳子さんの弟かぁ。  その続柄だけでちょっと苦手に思ってしまう。  なんていう先入観は良くないよな。  うん、気をつけよう。  それと、篤士が言っていた瞳子さんの弟って、こいつのことだったんだな。  あいつ、オレが知っている事前提で話をしやがるから、混乱したじゃないか。  あの時点では存在すら知らなかったんだから、話を聞きようもない。 「嫌い?」  なかなか受け取らないオレに、少し首を傾げて訊く。 「リンゴの方がよかった? でもなっちゃんって、何かミカンって感じがするんだよな」 「分かる、それ」  将孝のよく分からない感覚に同意をしたのは、1人ではなかった。 「リンゴもいいけど、やっぱミカンでしょ」 「でもブドウも有りじゃない?」  安達に始まり、黒見に瞳子さんが口々に言いたい事を言っていく。  はいはい、そうですね。  ブドウもありますね。  でも、それとオレは全くの無関係ですから。  そんな会話にうんざりしていたオレの頭の上に、ポンと手が乗った。  確かめるまでもなく、さっきからずっとオレの隣にいた誠人の手だ。 「何?」  見上げると、誠人もこっちを見ていた。  見つめ合うこと数秒、誠人は何も言ってこない。  用があったとか、言いたいことがある、という訳じゃないようだ。  本当に何だよ。  まさか誠人まで、ミカンとかリンゴとか言い出さないよな。  そういえば、こいつアイスだったらミカンが好きって言ってたな。 「あれだろ? 犬が飼い主に『構って、構って』ってやつ」 「ご主人が他の人と話してると寄ってきて邪魔する的な?」  最初は何の話かと思ったけど、黒見も安達も言いながら誠人を見ていたのですぐに分かった。  犬扱いされてるぞ、誠人。 「なっちゃんに忘れられてから、更に過保護になったんじゃねぇ?」  過保護?  頭を撫でるのが過保護なのか? 「誠人さんが拗ねてヤキモチって新鮮だね」  将孝までもがそんな事を言う。  だから、これのどこが過保護でヤキモチなんだよ。  拗ねてるって感じでもいなしな。 「あんまり意味ない事するなよ。変な誤解されるだろ」  色々言われるのが耐えられなくなって誠人の手をどけると、ちょっと寂しそうな目を向けられた。  例えて言うなら、捨てられそうな犬……って、やっぱり犬か。  本当に捨てた訳じゃないのに、何でそんな目をするんだよ。  誠人がオレの頭を撫でるのは愛情表現だというのは、さすがにオレでも分かる。  分かるけど、こういう風にネタにされると「やめろよ」って感じになってしまうんだよ。 「誤解も何も、そのまんまじゃん」  という安達の一言は聞かなかった事にする。 「用が無いんだったら帰る」  ワイワイ楽しそうな奴らにそう宣言して踵を返えした。

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