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第138話 本物には敵わない -4
□ □ □
屋上で寝ている誠人は、オレが近付くとゆっくり瞼を上げてしまう。
起してしまったみたいで、少し申し訳ない。
それに、寝ている所を見るのも好きなんだけどなぁ。
目は開いているけど身体は完全に寝てる状態の誠人を、見下ろすようにしてすぐ側に立つ。
少し眩しそうに細めた目でオレを見て、微かに笑ったようだった。
「触ってもいいか?」
そんな第一声に力が抜ける。
確認するまでもなく、寝惚けてるな。
「何に?」
「瀬口に」
全く予想してなかった訳じゃないけど、何の躊躇いもなく即答されると眩暈がする。
「……何で?」
「好きだから」
クラクラする頭をなんとか支えながら訊いたというのに、滑らかに返ってきた答えで完全に撃沈した。
毎回毎回、どうしてそんな一言でやられてしまうんだろう。
そろそろ慣れてもいいと思うんだけどなぁ。
「嫌?」
「嫌っつーか、わざわざ許可と取られるのが恥ずかしいっつーか。いつも勝手に触るクセに何で今更聞くかなぁ」
「気分」
「あっそ」
こいつの気分にいちいち振り回されるなんて、とてつもなく不本意だ。
だから、出てくる言葉はぶっきらぼうになる。
「で? どこ、触る気だよ」
言いながら、そんな事を訊いてどうすんだ、とすぐに反省したけど引き下がれない。
どこを所望されても余裕の顔で差し出してやるぞ、と心の中で気合を入れた。
「まずは、首」
は?
返ってきた答えは、あまりにも想定外だった。
「……なんで、首?」
恐る恐る訊く。
首を触りたいなんて、何となく危なくないか?
まさか締められるなんて事は無いだろうけど、警戒してしまうには充分だ。
「瀬口が、弱いから」
「はぁ!?」
そんな理由かよ!
つーか、どんな理由だよ!!
「嫌なら、腰」
「腰!?」
「駄目か」
オレのリアクションが大きかった所為か、誠人は残念そうに呟いて目を伏せた。
次から次へと、微妙な所を指定した割にはあっさり諦めて、こいつは一体何を考えているんだか。
「ダメっつーか、もっと普通の所にしてくれれば……」
「と、言うと?」
うっかりフォローしてしまったら、喰い気味に問われた。
そう言われると困るよな。
じゃあどこなら触ってもいいって、自分で言うようなことじゃない。
だけど、誠人は少なからず期待しているようで、オレの返答をじっと待っている。
じりじりと、追い詰められているような気がするのは、きっとオレの被害妄想だ。
「…………手、とか」
恐ろしいくらい普通の答えが出た。
詰まらないと分かっていても、自分発信でこれ以上はちょっと無理だ。
「手」
あからさまにガッカリしている…ような気がする。
口や態度に出さないけど、「何だ、手かよ」って。
だけどなぁ、お前の場合、たかが手だって結構な触り方するだろ。
オレにしてみれば、それだってかなり弱いんだからな。
「じゃあ、手で」
と、誠人が手を差し出す。
まだ立ったままだったオレに向けて。
その手を取ったら、引かれるのは多分オレ。
それもまぁ、仕方ないか。
差し出された手にそっと触れると、ゆっくりと引かれたので誠人の隣に座る。
自然な流れで指を絡めてくるから、ドキドキを隠して握り返してやった。
「写真、貰った」
「写真?」
つい先ほど諒くんに押し付けられた(と言うのは過言かもしれないけど)写真を取り出した。
右手は誠人に捕まっているから、不慣れな左手でゴソゴソとポケットを漁る。
取り出した写真を見せても、誠人の反応は薄かった。
そりゃそうか。
ただの隠し撮りだもんな。
しかも、何をしてるでもない場面。
「写真部の人が、偶然撮れたけどいらないからって」
「偶然?」
自分としてはザックリとしてるけど間違ってない説明だと思っていたのに、鋭いところをつっこまれた。
オレが「偶然」写りこんでしまっただけで、全く偶然撮られた写真ではないんだよな。
「写真部って、誰?」
「えーっと……」
果たして、ここで諒くんの名前を出していいものか考える。
隠し撮りだってバレたら、いくら誠人でも怒るかもしれない。
その恩恵を受けようとしている身としては、ここは諒くんを庇っておくべきだろうか。
と言うか、ここでオレが名前を言って、誠人が分かるのか?
やたらと顔広いから、分かるのかもしれないけど。
「他に、何か言ってた?」
諒くんの名前を言おうかどうしようか考えていると、誠人が別の質問をしてきた。
珍しく誠人が拘っている。
何故だろ。
「別に、これと言っては……」
これは完全に嘘だ。
誠人を好きな人がいて、その人の為に誠人の写真を撮っているって。
諒くんはそう言っていた。
だけど、それをわざわざ誠人に言って聞かせる事もない。
と、自分に言い聞かせながら、誠人の質問に答えて首を傾げた。
オレの誤魔化しの言葉を聞いて、誠人はマジマジと写真を見つめた。
無性に後ろめたい気分になる。
「そー言えば、他にも誠人の写真があるから、欲しかったらあげるって言ってた」
付け足した情報に、誠人の顔がこちらを向いた。
こんな言い方したら、隠し撮り写真がたくさんあるってバレるかな。
「貰うの?」
「うーん……」
「欲しい?」
「まぁ、ちょっとは」
控えめに肯定してく。
欲しいとか貰うとか言う前に、どんなものか興味はあるんだよな。
とにかく、見たい!
「俺の写真が?」
訊かれて「うっ」と喉が言葉で詰まった。
こいつ、やけにしつこく訊いてくると思ったら……。
「……悪いかよ」
「悪くない」
だったらわざわざ訊くな! って言ってやりたかったけど、捕まえられている右手が持ち上げられて、誠人の唇が触れてそれどころじゃなくなっていた。
人差し指の第一関節あたりから爪の先。
覚悟はしていた筈なのに、やっぱりクラクラしてしまう。
「でも」
指先の形を確認するように唇を這わせて、オレの心臓を試している。
もっとドキドキしろって、煽ってる。
負けるもんかって耐えるけど、長い時間は持たない。
「写真なんか、いらないだろ」
そんな一言であえなく撃沈。
毎度のことながら、局地的な嵐を発生させるなよ。
本物がいるのに写真なんて必要ない、って言い切れちゃうその自信が凄い。
今この状況で言われたら頷くしかないだろ。
本当に、いつでも「これ」がいるんだったらわざわざ写真なんか無くてもいっか、って思えてくる。
「誠人ってさ、指好きだよな」
間抜けするぎる精一杯の話題転換。
この状態でそんな事訊いてどうするんだよ、オレ。
ただでさえクラクラなのに、これ以上エスカレートしたら倒れるぞ。
「好きだよ」
さらりと言いやがる。
主語を抜かしたのは、わざとだな。
「瀬口は、嫌い?」
「……何が?」
「こういうの」
「!」
と、言うや否や、人の指を甘咬みしやがった。
咄嗟に、捕まっていた手を力いっぱいに引き抜いた。
「嫌いか」
「じゃなくて、ビックリしたんだよ!」
あからさまにガッカリして見せる誠人に、思わず出てしまった大きな声で言う。
本当にこいつは、油断も隙もない。
「食われるかと思った」
そんな訳ないと承知の上で、少し怒っているんだぞという気持ちを乗せて言った。
大体、手を触ってもいいって言ったけど、咬んでいいとは言ってないぞ。
だけど、誠人は笑っている。
過剰な反応はこいつを喜ばせるだけだって分かっているけど、いきなり冷静に対応するなんてできない。
まったく、こんな指の何がいいんだか。
もしかして、指フェチか?
自分の手を見て色々考えを巡らせていると、誠人に頭を撫でられた。
何故、このタイミングで?
見ると、完全に目が合った。
こんな近くにいるんだから、逸らす方が難しい。
「食う気はあった」
「は!?」
「あわよくば」
「……え?」
「大丈夫。ここでは、しないから」
あー……そういう意味か。
何てエグイ事言う奴だと引いたけど、意味が分かっても複雑だ。
「オレ、いつも食われてるつもり無いんだけど」
ちょっとした揶揄なんだろうけど、言葉の響きが引っかかる。
少し不本意だ。
「分かってるよ」
苦笑しながら誠人が言う。
頭を撫でてくれていた手が離れていって、少し寂しい。
不満気にした所為か、距離を置かれてしまった。
勿論、大した距離じゃないけど、今までが近すぎたから。
次に「どこを触っていい?」って訊かれたら、頭って言おうかな。
少なくとも、手よりはドキドキしなくて済みそうだから。
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