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第142話 知れば知るほど深まるように -3
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「何が訊きたい?」
誠人の家に着いて落ち着く間もなく、早速そんな要求をされた。
そういうのって、催促されて思いつくようなものじゃないんだけどな。
訊きたいことなんてありすぎて、何から訊けばいいのやら。
なんて、悠長に考えている場合ではなかった、と気づいたのは誠人との距離が恐ろしく近かかったからだ。
「なんか、近くない?」
「近くないと、教えられないだろ」
「そんな事は……っ!」
無いだろ、と続けようとしたら、声にする前にどこかへ飛んでいってしまった。
ぐいっと引っ張られて傾いた身体が、誠人に支えられている。
この状態は初めてじゃないけど、何度されても慌ててしまう。
「どこから、ききたい?」
冷静な声で言われても、こっちの動悸は治まらない。
逆に、どんどん鼓動が速くなる。
「どこからって……」
掴まれた手が、誠人の胸元に導かれる。
何だよ、これ。
心臓の音、ヤバイ。
「俺も、もっと瀬口のこと、知りたいと思っていたんだ」
囁くように言われて、ワイシャツを掴む手に力が入る。
オレの事もっと知りたいって、どういう意味だよ。
お前ほどオレを知ってる奴なんていないっていうのに。
あれ?
キスと肌を撫でる手の感覚に流されそうになりながらも、ふと我に返った。
どうしてこんな事になってるんだっけ?
誠人はオレに何でも教えてくれるって言ってたよな。
オレはてっきり、オレと出会う前のことだと思っていたけど、この状態はそういう次元じゃないっぽいよな。
「ちょっと待った!」
腕を伸ばして、できる限りの距離を稼ぐ。
それでもかなり近いけど、なんとか話ができるくらいにはなった。
「何?」
服の中の手はそのままに、誠人が言う。
「何?」じゃないだろ。
「お前は、一体何を教えようとしてんだよ」
「全部」
「……意味が分からん」
なんかもう、脱力するしかない。
この状況になったら、むしろ何一つ分からなくなるだろ。
分かる事と言ったら…。
そこまで考えて、ようやく誠人の言動を理解して、更に熱くなった。
「なかなか質問されなかったから、自主的に、知ってもらうのに一番早い方法を」
「オレの所為かよ!」
なかなか質問できなかったのは、お前が矢継ぎ早に悩殺してくるからだろーがっ。
誠人さえ大人しくしていてくれれば、オレだって質問の一つや二つくらい言ってやれるって。
それに、教えてくれる気があるのは嬉しいけど、オレが知りたいと思っているのはそういうことじゃないんだぞ。
そうじゃないかと思ってはいたけど、本当にそうだったとは。
だから帰りたがってたんだな。
「お前の身体のことなんて、もう分かってるからいいんだよ」
納得したと同時に更に脱力した。
会話、全然かみ合ってなかった。
「……本当に?」
誠人が少し驚いたような表情を見せた。
疑うというよりは、面白がっているような言い方だ。
改めて訊かれると、ちょっと言い方が雑だった気がする。
「まぁ……大体、は」
しどろもどろに言ったはいいけど、目は合わせられない。
でも逃げることもできない。
なにしろ、距離が近すぎる。
「オレが何も知らないって言ったのは、オレと会う前の誠人の事ってあんまり知る機会がなかったからって事で……」
知らないことに不満がある訳じゃない。
ただちょっと、悔しい思いをする時があるってだけ。
だから、諒くんが写真を見せてくれるって言うから、こんなチャンスは二度とないかもって、飛びついてしまったんだ。
出会ってまだ1年とちょっとなんだし。
オレの知らない事なんて、たくさんあるに決まっている。
その全てを知ろうとは思っていない。
ただ、オレの知らない誠人を知る人に会った時の、劣等感のようなものが堪らなく嫌なだけ。
だけど、その都度こんな風に誠人を問い詰めるようなことしたくないし。
もっと自然に知れたらいいって思ってしまうのは、オレのワガママだよな。
「でも、今の誠人のことが分かっていれば、結構平気だし」
少なくとも、出会った頃よりは分かっているつもりだ。
ちょっとした嗜好とか、考えてることとか。
今だって、オレの為に手を止めている。
オレが「待て」って言ったから、それに従ってくれている。
強引にしようと思えば、簡単にできる筈なのに。
そういう所、申し訳ないけど大好きだ。
「今の、俺?」
「そ」
「それは、どんな俺?」
問われてしまうと、少し困る。
ただ単に、オレが分かってる「つもり」だけだったら嫌だし。
「『待て!』って感じ」
単純に目の前の誠人の状態を言ってみたら、怪訝な表情をされてしまった。
お前が言うな、って?
しかも、犬みたいに言うな、って?
「写真に写ってた誠人って、あんまり楽しそうじゃないよな。無表情って言うか、仏頂面って言うか」
まだ全部をちゃんとは見てないけど、笑ってる写真が無かった気がする。
表情が乏しいって言うのかな。
なんとなく詰まらなそうに見えたんだ。
「でも、オレの知ってる誠人は、どっちかって言うと笑ってることが多いと思う」
機嫌が悪そうな時もたまにはあるけど、大抵は笑ってるよな。
状況が合ってないって場合も結構多いけど。
少なくとも、写真の印象よりは柔らかい表情をする。
「それって、何かいいなぁって」
誠人の視線が、真っ直ぐオレを捉えている。
あんまり見つめられると、言葉が出てこなくなっちゃうんですけど。
というオレのこの状態も、誠人はきっと楽しんでいるに違いない。
握られたままの手から、こっちの気持ちが伝わってしまいそうで怖い。
「オレといると楽しいのかな、とかちょっと自惚れてみたりして」
自嘲気味に笑って言ってみた。
このマイペースな塚本誠人の機嫌を、オレが左右できるなんて凄い事だ。
ただ、オレにその自覚がないから、加減ができないというのが残念だけど。
「多分だけど、今の『待て』って状態も、実は結構楽しんでるんじゃないかな、って思うし」
我ながら、凄い解釈だという自覚はある。
でも、そうじゃなかったら、いつもこんなに待ってはくれないだろ。
そうだったらいいな、っていうオレの希望でもあるんだけど。
「……違ってたら、ゴメン」
オレが勝手に自惚れているだけなのかもしれない。
誠人は全然そんな事思ってないかもしれない。
何かある度に待たせるオレを、もうとっくに鬱陶しく思っているかも。
嫌な思考になりかけたのを振り払うように誠人を見る。
「大体、合ってる」
苦笑して、ずっと握ったままだったオレの手を放した。
「拒まれるのが楽しいんじゃなくて、瀬口の我が侭が好き」
「……?」
「何でも、言う事を聞きたくなる」
それはつまり、祖父さんが孫を可愛がる的な感情じゃないだろうか?
ワガママを言われるのが好きだなんて、やっぱり変わった奴だな。
つーか、やっぱりワガママって思ってたんだな。
「俺が笑えるのは、瀬口の側にいられるからだよ」
お、恐ろしい殺し文句だ。
いつか、塚本誠人語録なんてものを作ったら、殺し文句だらけになるんじゃないだろうか。
そんなセリフをさらりと言っちゃえるなんて、オレが敵う筈がない。
解放された手の感覚がおかしい。
痺れたみたいに、上手く動かせない。
それを言うなら、身体に力が入らなくなっている。
呆れて脱力した所為じゃなくて、今の誠人の言葉の所為だ。
声も内容も、オレなんかじゃ太刀打ちできないような甘さだった。
だけど、こんなのは誠人にとってはまだまだ序の口なんだよな。
オレの想像を絶するような事も、平気で言うし。
「瀬口」
頭の中まで痺れが回りそうな所に、名前を呼ばれて咄嗟に顔を上げた。
やっぱり楽しそうな表情の誠人がいる。
「……何?」
誠人がそんな顔しているのもオレが影響してる、って思ってしまう自分が浅ましい。
「まだ、『待て』?」
小首を傾げて訊くその姿に堪らなく絆されてしまう。
けど、自分から飛び込まなければいけないこの状況に臆している自分もいる。
「……も少し、待って」
ここで素直に「よし」って言えないオレって、やっぱり全然可愛くない。
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