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第143話 波紋はやがて嵐になる -1
諒くんに貰った写真を返そうと、3年の教室にやって来た。
元々知り合いだったシロに訊いたら、実は3年生だという事が判明したんだよな。
言われてみれば、先輩って感じはしない事もないか。
というのは若干失礼だな。
それにしても、放送部だからといってもシロは本当に顔が広いよな。
オレの時も初対面であのノリだったし、知り合いが多いのは納得だけど。
「わざわざ返してくれなくても良かったのに」
教室前の廊下で写真の束を返すと、諒くんは少し残念そうにそう言った。
オレも、残念じゃないと言えば嘘になる。
正直、どうしようか迷ったけど、隠し撮りだし、誠人もあまりいい気分じゃないだろうから。
それに、持っていて嬉しいものもあるけど、そうじゃないものも結構多いし。
「予想以上に楽しかったです。ありがとう」
「楽しかった?」
「そりゃ楽しいよ」
オレの知らない頃の誠人が見られるなんて、楽しいに決まっているじゃないか。
一部を思い返せば、いつでも上機嫌になれるくらいだし。
総体的に考えれば、いいものを見せてもらったよな。
「本当に好きなんだね」
「はっ!?」
グワン、と脳が揺れるような衝撃だった。
主語が無かったけど、確実に分かってしまう。
誠人の事だって。
「あれ。違った?」
「…………まぁ、うん……違わない、けど」
どうして、出会って数日の人とこんな会話をしなきゃいけないんだろ。
逃げてしまいたい。
「それじゃ、これ」
お礼を言って任務完了、と思ったら、諒くんが何かを差し出してきた。
大きさ的に、たった今オレが返した写真と同じくらいのものだ。
厚さは大分減ったようだけど。
「何?」
「追加の写真」
オレがそれを手にするのを見計らうようなタイミングで、諒くんは淡々とそう言った。
思わず手が止まってしまう。
追加?
と言うと、返したものの他に、諒くんが持っている誠人の写真ということだろうか。
「昨日あまりにも喜んでくれたから、他にも用意してみたんだ」
そういえば、依頼者に渡したものがあるって言っていたな。
これが、それか?
毎度のことながら、諒くんは仕事が速いな。
「君にはあまり面白くないものかもしれないけど、現実を知るのも必要だと思うから」
ちょっとワクワクしていた気分が一転するような、不穏な一言が添えられた。
オレには面白くないって、どういう意味だよ。
「見れば分かるよ」
疑問符丸出しの顔をしていたらしいオレに、諒くんが早く見ろと催促する。
簡素な袋に入っていた写真を恐る恐る取り出して、言われた意味がようやく分かった。
写っていたのは、誠人と有島くん。
一体どんな場面を切り取ったものなのか知らないけど、確かにこれはあまり面白くはない。
誠人とは中等部の時からの知り合いで、体育祭の時には一緒に応援をしていて、相談に乗ってもらうような間柄な上に、「誠人さん」と呼ぶ有島くんだ。
「ちなみに、これは体育祭の後くらいに撮ったものだよ」
「体育祭の、後」
諒くんの言葉を反芻しながら、全身に嫌な感じのものが走る。
「君が、彼のことを綺麗さっぱり忘れていた時の写真」
相変らず淡々とした語り口だけど、言葉に棘が沢山生えていた。
それは、つまり……?
「個人的には、この2人は付き合うんじゃないかと思ってたんだ」
写真を指しながら諒くんが言う。
「あと少しでそうなる所だったんだけどね」
その後に続く言葉を予想しろとばかりに、諒くんはオレを見た。
あと少しだと思われた2人が、どうして付き合わなかったのか。
それはオレの記憶が戻ったから、とでも言いた気な視線だ。
冗談じゃない。
「つーか、オレが誠人を忘れちゃったからって、そんな簡単な話じゃないと思うけど」
やや強気に言ってやる。
諒くんの目には「あと少し」に見えたかもしれないけど、そんなのは勘違いに決まっている。
オレに忘れられたから有島くんに乗り換えるなんて、そんな無節操な。
いくら誠人だって、そこまでじゃないだろ。
百歩譲って、万が一にもそうだったとしても、オレの記憶が戻ったからという理由で無くなるなんていい加減すぎる。
そんなの、まるで誰でもいいみたいな…。
諒くんが妙な事を言うから、嫌な事を思い出してしまったじゃないか。
「だけど、あの時の塚本くんは君とは別れたつもりだったみたいだし、君が思うよりずっと簡単なんじゃないかな」
その言葉は、棘なんて生易しいものじゃなかった。
思考が停止して、空白の時間となるには十分な破壊力だ。
今まで信じていたものが、全て崩れ落ちるような絶望的な感覚。
そんなの嘘だと叫ぶ自分のずっと向こうで、出会ったばかりの頃に「挿れられればいい」と言っていた誠人の声が甦る。
待て、待て。
少し落ち着け。
諒くんの言ってることが全部正しいなんて事はない。
大体、どうして諒くんがそんな事を知ってるんだよ。
侮れない情報網を持っているにしても、誠人が「別れたつもり」なんて事を考えていたという情報をどこから入手するんだ。
誠人自身が誰かにその事を言わなければ、知りようもない。
誠人は、オレに言われて初めて諒くんを知った筈だ。
元同級生だったとしても、親しくもない相手にそんな事を言うだろうか。
「混乱してるみたいだから、分かりやすい情報を一つ教えようか」
頼んでもいないのに、諒くんはちょっと上から言ってくる。
いらない、と突っぱねることは、今のオレにはできなかった。
少しでも多くの情報が欲しい、と思ってしまっていたから。
「俺に塚本くんの写真を撮れと言ったのはこいつなんだ」
と、諒くんが指したのは誠人の横に写っている有島くんだった。
「……え?」
それだけではまだ何も分からないというのに、とても重要な事だと判断できてしまう。
咄嗟に言葉が出てこないオレを置き去りにして、諒くんは更に続ける。
「こいつの事は昔から知っていてね、塚本くんの話は一方的にだけどよく聞かされているんだ」
嫌な予感しかしない。
その情報を得てどんな答えが出るのかなんて、考えたくもない。
「体育祭の後に塚本くんは、君が忘れてしまったならそれはそれで『もういい』って言ったらしいよ」
ちょっと客観的な言い方は、誰かから聞いた話であることを示している。
その「誰か」というのは、この場合は恐らく有島くんだ。
つまり、誠人が有島くんにそう言った、と。
「……もう、いい?」
「自分をなんとも思っていない君と、付き合う気はもうなかったってことなんじゃないかな」
それは諒くんの勝手な解釈だ。
だけど、多分そういう事なんだろう。
信じられない気持ちの向こうで、妙に納得してしまう自分がいる。
誠人は、オレとまた一から始めるのが面倒だと思ったんだろうな。
そうだよな。
オレが好きになったから付き合うことになったんだし、勝手に忘れちゃったら「もういい」って思うかもな。
それで、カワイイ有島くんに気持ちが向かうのは仕方のない事だ。
またオレなんかと付き合うより全然簡単だし。
面倒じゃないし。
オレですら納得してしまえる。
むしろ、当然の流れだ。
でもさ、そうなるのは仕方ないにしても、有島くんと付き合うかもって状況になってもオレが思い出したらこっちに戻ってくるってどうなんだよ。
あいつにとって、そんな程度のものなのかよ。
「例えば、あのまま君の記憶が戻らなかったら、2人はどうなっていただろうって思うんだ」
オレの手から写真を取った諒くんは、それをオレの目の前に示しながら言う。
「俺の個人的な願望としては、この2人が付き合ってくれればいいと思っている。そうすれば、隠し撮りなんて事をもうしなくて済むしね」
あまり豊かではない諒くんの表情が、穏やかに微笑んでいる。
ずっと疑問に思っていた諒くんの親切の正体が、こんな所で発覚した。
つまり、オレがいなければ、誠人と有島くんは付き合っていた。
そうなれば、隠し撮りなんてしなくても済む。
だって、有島くんは写真ではなく本物の誠人を手に入れるのだから。
諒くんが言いたい事は、遠回しだけどよく分かった。
この時の誠人は、オレではなく有島くんを選んでいたのだと言いたいのだろう。
だから、この2人にとってオレは邪魔者なのだと。
いきなりそんな事を言われても、鵜呑みになんてできる訳がない。
でもでも、諒くんに写真を頼んだのが有島くんだったとしたら、もう4年も前から誠人を好きだったという事になる。
そんなに前から好きで、今も好きで、もう少しで付き合えるような関係になって、何も無かったって考え難くないか?
あの誠人だぞ。
相手がオレでも、好きだと言えば付き合ってくれるような奴だぞ。
有島くんに対してだって同じだろう。
このオレにすらガツガツ攻めてくる奴が、相手が有島くんで不足な訳がない。
むしろ、オレなんかよりもやる気は起きやすいだろうし。
オレと別れたと判断した誠人に、有島くんを拒む理由が見当たらない。
けれど、オレの記憶が戻ってからの誠人の言動が全て嘘だなんてこともあり得ない。
誠人にそんな芸当ができる筈ないし。
だけどもし、そんな事があり得るのだとしたら、どん底に落ちすぎてもう立ち直れないかもしれない。
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